三十八話
小雨になると、頭上の切れ目のような雲間から、目に刺さるかと思わざるを得ないほどの夕焼けの光が金環国家首都に垂れこんできた。
紅の欄干橋をさらに赤く染め上げる太陽が、眩しい。
異国の夕暮れは、二人の少女と彼女らを保護しようとする金髪碧眼の男、それと敵対する茶髪の憲兵長の澄ました横顔をも容赦なく照射する。
人影は、柔らかくなってしまった地面に幾つも作って、折れた腕を平気でプラプラとさせる憲兵の長にも存在したが、彼の真後ろにも、沢山の人影が山脈のように連なった。
「隊長、ご無事ですか!?」
異変を感じとったものか、遠くから息を切らして走り寄ってくる彼らに、地獄の番犬はその折れ曲がった腕を持ち上げてみせた。
「コンナの見て、どこが無事だってンダ!」
「あ、……スゴイ曲がり具合ですね」
「息の根があって何よりです」
「あア!?」
だいたいの感想を各々勝手に述べながら地獄の犬の部下らは、仕事をしようと持ち場につく。
「どうやら、峰打ちですね皆」
怪我をしていないことを確認する者もいれば、妙に威圧的な金髪長身を警戒する者もいた。すらりと隊長と似たような刀身の曲がった武器を構え、上司の合図を待っている。
「隊長、あの男は……もしや、
情報の上がってたやつですか?」
「ソーだ。
アーディ王国所属の、アノ騎士団長様よ」
「貴族で、伯爵でしたよね」
「金髪碧眼……、
そこそこの顔立ちと聞き及んでいましたが、
本当、騎士って感じの人ですね」
「自分ほどの筋肉ではありませんが、
雨に濡れてもなお理想的な体型ですな」
「隊長の腕を折るぐらいだから、気をつけんといかんぞ」
「ははあ、あんな人がまさかの男色とは……」
ぴく、と引きつくこめかみをしてみせるサトゥーン騎士団長の様子に、地獄犬はいやらしく笑う。
「プ、
あいつ、やっぱ気にしてるんだナ」
「隊長?」
「いや、なんでもネェ」
茶のざっくばらんな髪の隙間から、面白そうに瞳を輝かせ、折れたほうではない腕を正面へと回し、その指の隙間から投擲用の武器を万遍なく出した。
「ケケ、マ、人様の事情なんてどうでもイイ。
要は、テメーをオレっちが抑えりゃ、万事片付くんだーヨ。
テメぇのために這い蹲る王子様も見てみてぇし」
「……殿下は這い蹲ることはなさらない」
「どーだカ?
しかし、あのキレーな顔が歪むのを見てみたいと思わんカ?」
「思わんな」
「ケッ。ノリが悪イ……」
平然と、数が増えても気にもしない長身の男、その襟首には、キラリと煌めくサファイアの宝石があった。
欄干橋を後ろ手に、憲兵らをたった一人で二人の少女を守ろうとする真っ直ぐな姿勢。それだけでも異様な肝の入り方である。
さすがは鋼鉄の騎士だナと、まったくもって攻撃の隙がないことに苛立ちを隠せずにいる憲兵の長、嫌味を募らせた。
「マッタく、テメーのせいで、
番狂わせダ。
大人しく、その黒髪の娘を渡セ。
ソレと、テメーは大人しく捕まってロ、
そースリャ、命だけは助けてやんよ」
「断る」
「チッ……、
なんツー石頭。
……ソモソモ、テメーは何しにこの国へ来たんダ?
そんな見知らぬ娘を守ルタメか?
ならヤめておケ。
アーディ王国の手には余る問題のうえ、
内政干渉ダ。
……それとも、騎士道、ってやつカ?」
「……さて、な」
なんとも遠い目をしながらも、異国の騎士は剣を下段から正眼に持ち直した。
そうして、背後で守られ静かにしている少女二人に、彼は前方を警戒しつつ、やおら声をかけた。
勿論、日本語で、である。もっとも強い反応を示したのは、やはり黒髪の少女だった。
「君、この橋の向こう側に私の部下である副官殿がいるはずだ。
彼女は女性だ、眼鏡をかけたキツそうな美人だが、髪を頭に、
ひとつにまとめ団子にしている。
大道を真っ直ぐ走っていけば、待ち構えているはず。
姿を現すはずだ。
……この場は私に任せ、行きなさい」
「え……」
「大丈夫だ。
彼女は女性騎士だ、腕っぷしもなかなかのものだし、
そんじゃそこらの者では太刀打ちができん。
きっと、君らを守ってくれる」
「で、でも……」
「私の名は、リディール・レイ・サトゥーン」
「リディー……?」
「皆、リディと呼ぶ。
……私の名前は、この世界では短いほうだが、覚えづらいだろう。
リディでいい」
「リディ、さん……」
黒髪の少女は、逡巡していた。
しかし、このままここにいたって、彼の足手まといにしか過ぎないのは、理解もしていた。
「リディさんは……」
その黒々とした瞳をウルウルとさせ唇を噛み締める彼女に、リディはにっこりと微笑する。
「私は私でやることがある。
だから、いいんだ。
ここは、私に任せなさい」
「けど!」
「私は一応、隣国で騎士団長をやっている男だ、
なに、心配はいらん」
何やらあの暴力的な男と会話をして揉めていたようだったが、まさかの騎士団を率いる人だとは思わず。呆気にとられた日本人少女に、リディは小声で呟く。
「……やはり、いいな。日本語は」
まだまだ、黒髪少女には聞きたいことがあった。何故、日本語を話すことができるのか。どうして、日本人だと分かるのか。そんなにも悲しげに、懐かしげにわたしを見るのは……どういうことなのか。
あまりにも複雑な感情を乗せる表情、それを入り混じらせる理由を、問い正したかった。
貴方は、何者なのか、と。
手を伸ばし、彼の腕を掴もうとした。いや、存在を掴もうとした。
が、たちまちに横やりが入る。
彼は剣を横に薙ぎ払い、きぃん、と、鉄と鉄が弾く音を響かせた。
「さあ、行け。
私がここで、あいつらを食い止める」
黒髪少女は、目を見張った。
騎士団長のまん前に、続々と集まる憲兵らの姿があったからだ。皆、同じ制服を着用しているから間違いなく、あの茶髪の野蛮な男の仲間であろう。似たような目をしている。帯剣して同じ武器を脇に拵えているし、全てが敵、なんだろう。
とんでもない数だ、と思った。
だが、皆、黒髪の少女ではなく、騎士団長たるリディに意識が向いているようだった。隣国の人間だから、だろうか。
「……行きなさい」
いくら彼が強くても、あんな数の暴力に勝てるだろうか……。
疑問は尽きない。だが、まず間違いなく。自分たち二人がお荷物になるのは正しい認識であった。
「ごめんなさい……」
本当は、彼女だって戦いたかった。
こんな惨めな思いをして、逃げなければならない、だなんて。拳銃でもあったら、応戦してたかもしれない。が、たとえあったとしても、わたしに使えるだろうか、と自嘲する。平和な国、だが、本当は、その平和の下にコストと誰かの国を想う心と苦労があることを、学生の身のままである彼女は未だ、知る由もない。
少女らは、走った。
その二人の後ろ姿を横目で見やり、安堵の吐息をはいてしまう。
私は、なんとも、不思議な心地でいた。
嬉しい、のか、悲しい、のか。分からない。でも、たまらなく心が揺れた。
だって、彼女は間違いなく、故郷の匂いと体を持って、この世界に訪れた奇跡なのだから。私も、かつては彼女と同じ黒髪と瞳を持っていた。それが今では、中年の金髪碧眼である。おまけに男だ。長年、会いたいと思っていた……日本人に会えて、私は感傷的になっているんだろう。
「……頑張れ、若人よ」
剣の柄を、強く握り直す。
恐ろしいほどの両目が、橋の袂にいるリディを鋭く見据え、たった一人の騎士団長を遠巻きにしながらも、彼らはまず落ち着いているようだった。なんせ、敵は、いくら腕が良いからって、一人きり。
地獄の番犬の様子は、顧みずとも判明するというものだ。




