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三十六話

 どこぞの家と家がひそめく路地裏を、二人の少女が駆け抜けていく。

夜闇に紛れ、後ろを振り向く間もなく急いでいた。追われているのを、重々承知の速さである、筋肉疲労の兆候をみせる四つの足を休ませねばならないと頭の片隅では考えていた。

 二人は必死だった。

 だからか、至極当たり前のように――――重なる息切れが途切れた。

 あ、と気付けば、小さい少女が転ぶ。

立ち上がろうとする彼女に、先行していた黒髪の少女が駆け戻って手を伸ばす。不恰好な蓑を身にまとい、隙間から覗く細い腕には火事から逃れる際にぶつけた青タンがあったが、それでも彼女は小さな女の子を手助けしようと奮起する。

 強く引っ張ると筋肉に痛みが生じ、眉を顰める。奮闘するも、疲れ切った小さな娘は足に力が入らないからか、なかなか腰が上がらない。それでも、黒髪の少女は決して諦めなかった。

 たとえ、頭上の雨雲が、静かなる雨粒を落としたとしても、視界が真っ白なしなだれる雨にその身を冷やされようとも黒々とした瞳は、生き残りたいと、怖いものから逃げたいと懸命だった。


 「駄目だよ、こんな所で座っちゃ。

  あいつら、来ちゃうよ」


 言葉は通じないし、連れ合いの小女は息も絶え絶えで蹲っていた。

それでも黒髪の少女は、彼女の腕を引っ張りながらも励ました。


 「駄目、駄目だよ、こんな所じゃ見付かっちゃう!」


 驟雨しゅううだったのか、夕立はあっという間に小さな霧雨のような天候に変わり果てた。髪を濡らし、体力を奪い続ける雨に、ひどく舌打ちをしたい気分になる。

 それに、妙な足音。

先ほどから、誰かが二人の少女を探すような、そのような物音がするのである。

口を窄ませ、声の調子を落とし……、なお、声をかける。

 たとえ何があろうとも、石にかじりついてでも、生き残りたい。

こんなところで、死にたくはない。

 

 「帰るんだよ……!」


 悲壮な顔でいながらも、それでも、黒髪の少女は、諦めずにい続ける。

走った。

どこにだって、どんな世界だって。

 黒髪の少女は、かつての勇者と同じ想いを抱きながら、小さな少女の手を引いて、少しでも前に進む。よろよろと、しかし、確実に前進する。五代目と言われ、華やかな未来があったはずの小女も、また。黒髪の少女の、何よりも強い意志に、感化されたものか……、自分を慮る彼女に、ついていく。

 細かな雨が、頬をつるりと撫でて雫となって落ちる。

すっかり濡れ鼠の有様の彼女たちの前に、広がった光景。

 どうやら、大きな道に出たらしい。

地面は濡れ濡れとしていて、黒ずんでいる。水たまりは小さな波紋を作り、穴のある場所を住処すみかとした。道の端に生え揃う草花はしおらしくなり、大きな橋の向こう側には、大きな白亜なお城と、大店の立ち並ぶ商店街の区画が在った。路地裏界隈から、ようやく抜けたものである。

 

 「ああ、お父様の……お店が……」


 小女の瞳が輝く。

あの大きな紅色の欄干橋の向こう側に、彼女の実家がある。

上手く隠れてしまえばいい。そうすれば、一時的とはいえ、なんとかなるかもしれない。母も心配だ。後発だった彼女はいったいどこへ。もしかしたら、家でやきもきして待っている、かもしれない。異変を感じ、逃げてくれてる、かもしれなかった。

 とにもかくにも、状況を整理しなければ。

段々と、頭が働くようになった小女、やっと、冷静になることができた。

そうして、自分の手をずっと握りしめて、ここまで走って連れてきてくれた黒髪の少女を見上げる。すっかり萎んだ黒い髪が哀れなほどだが、その瞳は生きる力でみなぎっていた。それでいて、魅力的なものがある。決して、小女を見捨てずにいた、あの野蛮な憲兵からの視線を遮ってまで盾になってくれた彼女、そう、かつてこの国を造りたもうた勇者と同じ――――美しき黒い瞳で、あられた。

 

 「さあ、行くよ、早く進まないと」

 「……勇ましき方」

 「見付かっちゃう」


 雨の音は、様々な音を隠す。

それこそ、追いかけてきた輩の足音も。ましてや、経験を積んだ実力ある特務隊隊長である。

 ぱしゃり。

水たまりが、跳ねる音がした。


 「見ィつけたァ」


 慌てて振り返る。

すると、そこに……茶色の、あの男が肩を上下させて、髪をかき上げていたところであった。


 「アア、まったく。

  面倒なことをしやがっテ」


揃って、息をのんだ。


 「逃げンじゃネーよ、

  足折るぞ、てめェ」


 妙に背の曲がった剣を、黒髪の少女へと突きつけてくる……。

小さな女の子は歯噛みをし、黒髪の少女はじりじりとした焦燥に駆られる。


 「ハぁ、これでやっと今日の仕事はアがりダ」


 まるで散歩でもするみたいに、男はこちらに向かって歩き出す。

 ――――逃げなければ。

そう思い、橋の向こう側へと目を向ける、も。


 「隊長ぉおおお~……」


 情けない声だが、体躯だけは立派な憲兵らが橋の向こう側からやって来るではないか。慄き、他に逃げ場はないか目を皿のようにして見回すも、どこにも、蟻の一穴を探すようなもので、実に、何もなかった。

 というのも、ここは橋のかかる大道一本道のど真ん中。

開けた場所であるからして、今から逃げようったって、そうは問屋は下ろさぬ。こんなにも見晴らしの良いところから、そも、どうやって逃げたら良いというのか。ましてや、足腰がすっかり弱り切っている現状、元気でもないというのに、大の男どもから逃れられる術など……あるはずもなかった。

 さらには小女……、なまじ希望を見ていただけに、すっかり意気消沈している。前からも、後ろからもやってくる恐ろしい憲兵らの怖い威圧的な雰囲気……、本人らも自覚してやっているであろう行動に、もはや、観念しなければならないのでは、と。込み上げる胸の内なる激動に、浅い息を繰り返すばかりであった。

 

 「……もう、駄目、なのかな」


 ぽつり、とした日本語。

それが、ただ、悔しくて。

訳も分からず、振り回され、追いかけられ。

降り積もる雨に打たれ続けた黒髪の少女、彼女はただ、ぼんやりと、淀みはじめた橋の下流れる川を、じっと眺めた。

 

 「おお、いいところに来たナ。

  ちょうど良い、そのガキ、捕まエておケ」

 「はっ!」


 少女は、ただ黙って見ているつもりはなかった。

自分ひとりだけなら、川の中に突っ込んででも、逃げようとさえ考えていた。幸い、泳ぎはまあまあな成績だ。けれど。

 もう一人の、この小さな女の子のことが気がかりだった。逡巡していると、男の二の腕が素早く私の手を掴む。


 「痛っ」

 「大人しくしていろ。

  そうすれば、隊長に攻撃されないで済む」


 ――――結局。

わたしは、捕まることを、選択した。

 もう、二人とも足が限界だったし。諦めて、あのジジイの……お相手、だったか。良くわからないけれど、とても嫌なことをさせられるのは分かっていた。怖い。たまらなく。わたしはまだ、恋も、愛も知らない、何も知らないままの女の子なのに。犯罪なんて犯した覚えがないのに背中に腕をねじり上げられ、地面に膝まづけられる。


 「く……」


 痛い。 

目の奥から涙がじわりとこみ上げてくる。

 けれど、今、わたしが大人しくしていれば。いずれは逃げ出すチャンスがあるかもしれない。そんな細やかな、他人行儀な願いは、あっさりと砕け散る。

 あの尊大な態度の隊長が、小さな女の子に近づいていて……、哀れなほどに彼女は震えているではないか。


 「やめ、やめて!」


 手足を必死に動かすも、駄目だった。

思いっきり体重をかけられてしまえば、いくらなんでも、腕一本自由にはならない。黒髪の少女は翻訳する能力をしっしてから、この世界の住民の言葉がまるで分からないが、不明瞭ながらも、なんとはなしにニュアンスのようなものは察することができた。あの茶髪の男が、憲兵らのボスらしき立場であり、危険人物なんだと。声こそ優男なものだが、どこか、冷ややかなものを感じるのだ、この男には。

 そんな危険な野郎が、あんな小さな娘に、大きく振りかぶった。

刀身の曲がった剣を、キラリと光らせ。

雨露を吹き飛ばし、切りつけようとしていた。

 信じられない光景だった。


 「い、い、や、いや、」


 嗚呼。

もう、駄目かもしれない。

あの剣が、振り下ろされたら。

わたしは、生きる糸を失いそうだ。知らない人ばかりの、この世界に。

ひとりぼっちになる。

 身をよじって、あの隊長の後ろ姿を、小さな女の子の姿を、必死になって掴もうとした。腕は後ろで、羽交い絞めにされているけれど。

それでも、芋虫みたいに、身を。地面になすり続けて、それでも、それでも。

 

 「……え?」


 眼を、閉じなかった。

だから、小女と隊長の間に何かが飛んできたのを、わたしは目の当たりにした。

這い蹲っていた体の上に伸し掛かっていた憲兵もいなくなり、わたしは自由になっていた。

 慌てて立ち上がり、小さな女の子に寄ると、彼女は可哀想なほどに動揺していた。双眸を覗き込むと、気持ちが、失われているというか。感情が、見えない。

 瞠目したままでいて、じっと立ち尽くしていた。

 慌てて両肩を揺らせば、すとん、と。お尻から地面に倒れ込むようにして座り込んだ。

 

 「だ、大丈夫? ね、大丈夫?」

 「え、あ、ああ、あう……」


 まったくもって大丈夫そうではないが、目の奥がなんとか。意識が戻ってきているようだった。ほっとする。

 そうして、わたしたちを救ってくれた影を見つめる。


 大の男である憲兵らが大道に倒れ込む、異様な光景。

その紅色の橋の袂にて、一人の男がその中心にて、まるで幽鬼のように突っ立っていた。

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