三十一話
作戦は、こうだ。
目立つ黒髪と顔立ちを編み笠で隠した彼女を、足の悪い老人の代わりに小女が連れ出し、呉服屋、といけばいいのだが、背後に誰かが居たらいけない。呉服屋の主である大旦那は、日本人をバージルの王に見せ、わざとらしく逃がした実績ある人物である。憲兵にお店のあちこちを、それこそ倉庫の隅々まで調べつくされたのだ、ちょっとでも怪しい動きをみせたら捕縛されるのは間違いない。なので、睨まれている大旦那様は店からは出られない。代わりに出たのは、
「出番ですわね」
大旦那様の奥さまであり、小女の母。老人の姪っ子にして、とにかく明るいアラフォー世代。たすきをかけ、ねじり鉢巻き。ついで薙刀を装着してさあ出陣、というあたりで、娘に目立ったら駄目でしょと怒られたのが大体の経緯である。
本当は巻き込む予定ではなかったのだが、女の勘働きともいうべきか……不自然な動きをしてみせる夫の様子に、妻はちくちくと精神攻撃をかまし、見事、打ち取ったり。バレてしまった。娘は消沈する父の肩をぽん、と叩く。
以上が、この呉服屋における顛末になるが、気付かぬうちに、空が薄暗くなり始めた夕暮れどき。
刻々と、時間が差し迫っていた。いつまでも家族団らんしていては作戦が決行できぬ。怪訝なる娘、母の顔色を伺う。
「お母様、本当に把握しているのですか?」
「大丈夫よ、心配しないで。
旦那様もそう、指先をこねこねこねなくてもいいじゃないですか」
大旦那は、婿養子であったが有能な男だ。
いつもなら堂々とした立ち振る舞いで大店を切り盛りをする、実に婿殿なのかと疑うものが続出するほどの仕事人なのだが、この働き盛り、いくつになっても妻には頭が上がらない。
「しかしなあ……、お前さまはとにかく、
無鉄砲でなあ……」
「まあ!」
指遊びをして心配してしまうほどに、大旦那は妻の性格を知り抜いていた。
「心配しなさんな。
あたくし、ちゃんとあの子を失踪させてあげたじゃないですか」
「それはそうだが」
「ですから、大丈夫ですよぉ」
しかし、その指先はちっともその動きを止められないでいる、大旦那。
カラカラと能天気そうに笑う妻へ、一抹の不安を覚えていた。娘、そんな父の傍らへ寄り、こそこそと立ち話をする。
「……仕方ないですよ、お父様。
味方は少しでも多いほうが助かります」
「それは、まあ、そうだがな。
しかし、事態はあのときとは違うぞ」
それでも眉間の皺がとれない父の困惑した表情に、黒髪の少女が逃げ出す際に足止めをしたという母の武勇伝が思い起こされる。あのとき、確かに小女のお母様は、逃げる少女を追いかける憲兵らを足止めした。したが、とても人に言えない程度の恥ずかしい留め方をしたのだ。人助けとはいえ、まさかそこまでする大店の奥方がいるとは、この世の誰だって夢にも思うまい。あのときのことは、娘と父の記憶にひっそりと鍵をかけて、ぐるぐる巻きに鎖で縛り、二度と思い出さないようにと願いながら心の片隅においやったほどである。
「あたくし、しっかり殿務めますわね!」
不安だ。
父と娘、揃って顔色を悪くするも、しかし、作戦はさっさと開始せねばならない。
ぎゅっと拳を握りしめてて鼻息荒い奥様、もとい、お母様は少し時間をおいて呉服屋からこっそりと出てもらうことにして……先行した娘、さっそくながら、準備を促すために蕎麦屋へと立ち入る。
後ろに誰かついてきていないか、見張られていないか……、心臓がバクバクと高鳴るも、やるっきゃない、女は度胸!
とばかりに、老人のいるであろう引き戸をガタガタと揺する。
すると、たちまちに棒が外され、腰曲げた老人が出迎えた。
「おお、来たか」
老人はやっと天の助けが来たとばかりに、子女を歓迎する。
大店の娘は、いくばくかの緊張を全身にみなぎらせながらも、話し始める。この段階になると、娘も少しは落ち着きを取り戻していた。父に対し、食い気味に話をしたのが良い経験となった模様である。
「……ふむ」
聞き終えた老人、くしゃくしゃな皺をさらにくちゃくちゃにしながらも、
「そうだな。
それしか、やれることはないようじゃ」
と、頷く。
「もはや、猶予はならん。
妙な子供は、今の所姿をあらわさなんだが、
……後ろに、大人が居るのは間違いないじゃろ。
卑怯な大人じゃ」
どこかで誰かがくしゃみをしてそうな言葉を吐きながら、老人は早速ながら、台所へと進み、とんとんと、水瓶を叩く。
しばらくして、誰かの動く気配がした。
「さあさ、出てきんしゃい。
お迎えが来たぞい」
「あ、お爺ちゃん、おはようございます……、あれ。
この子、今日来なかったですけど……、
今来たんですね、おはようございます」
「相変わらず妙な頭の下げ方をする娘じゃの」
不思議そうに傾げる黒髪の少女はひとまず、いつもは帰っているはずの、いつも少女に下着やら上着やらを持ってきて来てくれる彼女に礼を尽くした。
「えへへ。
なんか、嬉しいな。
わたしと同じ女の子がまだこんな時間にいるなんて、
それだけで嬉しい」
「……なんか知らんが、笑っておるのう」
相変わらずの言葉の噛みあい、殴りあいが続いているが、幸せそうに微笑む黒髪の少女に、先ほどからの緊張感漂う空間に、わずかな緩みが生じた。
「ま、それはともかく、じゃ。
さあさ、あっちの衝立の裏で、着替えんしゃい」
「え、え、え」
「さあ、さあ」
何何と、急に背中を押された少女、びっくりして後ろを見ても、老人がぐいぐい少女を移動させようと力を入れてくるので、彼女はされるがまま、小上がりの、畳の上――――いつもの着替えをするスペースへと足を運んでしまった。
そこに、小女が、いくつかの着替えを広げて待ち構える。
「着替えましょう。異邦人の方。
類まれなる御方。最果ての地からやってこられた、
知恵ある国より生まれいずるお方よ」
「え、え、え」
「まずは、その、膝下までしかない半端なものを脱いで、
このズボンを」
「あ、あの、ぬ、脱がさないで……、
わ、分かりましたから、なんか、分からないけど、
ぬ、脱ぐから、引っ張らないで……、あう」
「あ、ごめんなさい、
糸がちょっとほつれてしまったわ」
「ぼ、ボタンが……」
スカートの端を止めるボタンが、伸び伸びになった。
そのことに、黒髪の少女は脱力する。彼女の家庭科力は、あくまで料理に向けられているからで、決して器用な指先ではないのである。
「変わった留め具ですね」
「うう、わたし、苦手なんだよう、ボタン、つけるの」
スカートが不恰好になってしまったものの、まだ着れるだろうと少女は我慢する。薄っぺらい不恰好のままに、丁寧に畳んだそれを大事にしている様子を目の当たりにした小女は、なんともいえない気持ちになる。
「……そこまで大事になさるなんて。
ううん、そうよね、故郷の服だもの……、
いくら、はしたないものだからって、
彼女にとっての……ごめんなさい、わたし……、
でも、今は、早くしないと」
心を鬼にして、小女は、上着も脱ぐように誘導し、なんとか、見た目だけはそこらでたむろう少年、といった風に外見だけは整った。
そう、彼女は身長が170はあるのだ、それでいて細身。見る人が見れば、骨格からして女だと断定できるやもしれないが、パッと見では完全に男である。彼女が短髪で、この国の女の標準装備である簪を頭にさしていないのが主な要因だが、やはり喉仏や筋肉のない丸みを帯びた体つきは、老人を少々唸らせる。
「おう、なかなかじゃのう。
別嬪な男じゃ。
しかしのう、そのままではさすがにバレるのう」
「……そう、ですよね」
「これも身に着けたらよかろうて」
老人が奥からいそいそと持ってきたものは、ダボついた雨具であった。
藁を編み、身体全体を覆うタイプの、金環国家に古くからある由緒正しき雨合羽である。
「うわあ、蓑虫みたい」
無慈悲なる黒髪少女の発言は幸いにして、二人の耳には翻訳されて聞こえていない。両手両足を広げ、蓑虫コスプレをご機嫌で回転してみせる無邪気な異世界人に、金環国家住人たる二人は、まんざらでもなさそうな笑みを湛える。
「似合うわ」
「うむ。これならば、
日本人だと気付かれぬじゃろうて」
「かつての勇者様も、この正式なる蓑で、
敵から身を隠し、大雨を防いだとか」
「まるで勇者様の再来じゃな」
うんうんと二人は同時同意する。
勇者伝説はこの金環国家住人にとって、幼い頃より言い聞かされる物語。親しみ深く、誰もが知っているストーリーだ。
その伝説はどれだけ世代が移り変わっても、この国が根本から変わらぬ限り、永遠と語り続けられる国家の根源たる礎である。
老人にだって子供時代がある。幼少時に聞かされた話を再び老人になっても脳裏に蘇らせた彼はなんとはなしに懐かしい心地に浸っていたが、ぴたりと、その緩んでいた頬を真一文字に引き絞る。
賢明なる小女は背後から黒髪少女の唇を片手で覆いつくすやいなや、老人は、すっと、想像だにしない素早さにて、日本人女子の頭に問答無用で顔全体を隠すことのできるバケツのような深編み笠を被せ、
「む、むむむ、」
あらかじめ笠の中へと片手を入れ込んで、黒髪少女の口を貝のように閉じさせた小女と目配せし合う。
誰か、来たようだ。




