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三十話

 子女にとっても、それは一大事であった。

 ――――見知らぬ不気味な子供が、日本人を知っている。

身震いをするも、しかし、落ち着けと老人は忠告する。


 「このままでは、じきに見付かるじゃろう。

  ……大旦那様に、お伝え願いたい」


 言われ、反論したくなったものの、ぐっと言葉に詰まった。

 確かにこのままではあのお姉さんは、あの城に逆戻りだ。彼女が未だ息を潜めて隠れているであろう、隠し部屋のある台所のほうをちらと見やり、ゆっくりとだが、子女は頭を上下に動かして諾、とした。


 「すまん」


 老人は、痛ましい声で項垂れた。




 さて、老人の親戚の子。

 子女は、老人の兄弟の妹の娘の子。とても遠い縁戚であった。だのに、ここまで良く働いているのは、子女が、大店の一人娘であることが要因である。

 振る舞いの仕方こそ、それこそみっちり仕込まれた。

ただの娘ではない、大店の跡継ぎなのだ、それ相応のことは嫌が応にもやらされた。その教育の一環として、彼女はこの老人の店を手伝うことを勉強として、使わされていたのだ。無論、この老人が一人さびしく生きていることを、気にしている老人の妹、すなわち、子女にとっての祖母が願ったからこそ、立ち働いているのも大いなる要因ではあった。

祖母にとっても、この家は実家である。本家であった。

 とはいえ、そんなことなんてお構いなしに、子女にとっても、このお店の仕事は大好きではあったが。お金の勘定は、物心ついた時から習わされた算盤そろばんである。接客は、大店の経営者としても現場を見てまわるよう父の後ろで連れ回されていた。重たい物を持つ両手は、お嬢さんな身柄であるくせして、お皿の水洗いを手伝うために、すっかりあかぎれていて見るに耐えない。初めの頃の痛みに慣れるのに辛い思いをしたが、仕事をするということ、その意味、意義、工夫をすること、とにかく接客業として相手を満足させること、喜ばせることの嬉しさを理解できて、彼女は小さいながらも立派な商売人の道を歩んでいた。

 状況変化したのは、つい最近のことである。

うらぶれた道すがら発見した、黒い髪の少女。今にも泣き出しそうな顔で、ぽつんと世界からまるで切り取られたかのように存在していたのである。




 子女は、まずは父のいる大店へ帰ることにした。

それで、懐にあった品物を老人に手渡す。


 「これを」

 「これは、着替えか」

 「それと、うちの店で使われなくなったものです。

  あの妙な服で出歩くと目立ちますから、

  ……できうる限り、これらを着てほしいものですが」


 老人は、ふぅ、と諦めの息をつきながら、


 「無理じゃろうな」

 「……そうですね」


 黒髪黒目の少女は、何故か不明だが、あの破廉恥な服を身に着けることに終始していた。金環国家を相手どるにしては、十分に十分すぎるほど、効果てき面な、説得力のある服ではあったが、とてもじゃないがこの世界における一般的な恰好ではない。

 ただでさえ、あの看板で見張られているようなものなのだ、黒目黒髪というだけでもどこでだって注目の的だ。それに、あの顔立ち。


 「ですが、隠れて移動するには必要なものです。

  もしかしたら、今日にも使うかもしれませんので、

  念のため、彼女に渡してください」

 「わかった。

  ……無理するなよ、五代目」


 心配そうな眼差しで、老人は小女を送り出した。

 老人は、この蕎麦屋の秘密部屋での隠しものを守らねばならない。

 子女は、こんなことに巻き込んでしまった老人に申し訳ない思いを抱きつつ、ぺこりと頭を軽く下げて、ひっそりと往来に溶け込んでいった。




 大道。

 大店の店が立ち並ぶ、最も金が唸るという一軒の店先に、子女は姿を現した。

出来うる限り、目立たぬよう。焦っている姿を見せないよう、足早に。

 彼女ができること、それは、解決策を父に願い出ることだ。

喉の渇きをそのままにして実家へと、ちっとも客足の絶えない店の出入り口を覗き込み、父の姿を探した。

 居た。

 父は、貫禄ある体躯をしていた。だからか、すぐに娘である子女にも、彼が顧客と対談しているのを見てとり、商談は終わったのだと把握する。飲み物はすっかり下げられているし、顧客は帰る準備をしていた。

 娘は、


 「お嬢様」


 近づいてきた番頭に、父に至急大事な話があることを伝えるよう頼み、畳の上を歩いて父の書斎へと向かう。

 店の中にある小さな暖簾をくぐると、そこから先は私邸である。

真っ直ぐな廊下は毎日水拭きされ、廊下沿いにある緑ある庭には、楓の木が植えられている。百合の花も水仙も小さな沼のような水面に映え、小鳥が飛び立つときに波紋をいく筋もつくる。小石はまばらに備え付けられているようでいて、見目を楽しませるために、地味ながらも自然に調和している。

 まるで、一枚の絵のような、造形美である。

そんな手入れの必要な庭を一番美しく見える部屋を占拠しているのが、子女の父である大店、呉服屋の大旦那であった。

 立派な大木を舐めまわすように濯いだ木机を前に、彼女は正座して待ち続ける。すぐに、父は来た。


 「なんだ、どうした」

 「お父様」


 子女は、大旦那がどかりと胡坐をかいているのを目の当たりにするや、商談後で疲れ切ったであろうにも関わらず労わる声もかけないままに、勢い、先ほどの老人との会話をとつとつと語った。喋れば喋るほど、喉の、水分不足による痛みは酷いものだったが、そんなことを構っている場合ではない。冷や汗のようなものが、身体に絡みつくようにわいてくる。それはそうだ、子女は、今、とんでもない境遇に陥っていることを理解しているのだから。

 国家バージルに背いている。

それを、自覚しているのだから。

 一息をついたあたりで、大旦那は、ふむ、と一言漏らしたっきり。黄金蒔絵の煙草盆を引き寄せ、煙管キセルに火をつけて、一服。ぷかりと空間に煙を吹かせ、瞑目する。

 しばらくして、音を立てて煙管の火の粉を落とした。


 「ま、そう慌てるな」


 大旦那は、血相のない娘に言いつける。


 「彼女を、この呉服屋へ移動させよう」

 「……ですが、それでは」

 「一度、この呉服屋の中は、憲兵によってあちこちを調べられている。

  戻ってくる、なんて思うまいて。

  ……失踪、したことになっているんだからな」

 「うう……」


 子女は、悔しくも、膝に置いた拳を握りしめた。

そんな娘の様子を見ながら、父は口の端を上げる。


 「大丈夫だ。

  今日の夕暮れにやってやろう」

 「ですが、他に方法は……」

 「ない。

  あるはずなかろう、いるはずもない。

  国に背く気概のある奴なぞ」


 一番いいのは、誰も知らない場所にひっそりと住まわせることだ。

隠せられるものなら、そこにずっと隠しておきたかった。できれば、あのみっともない看板が消えてしまうまで。


 「……あの娘には可哀想なことをした。

  ……まさか、あそこまで、我が国の王は愚かであったとは」


 それには、娘も同意する。


 「はい……。

  あんなにも、この国の言葉を流暢に話していたのに、

  途端、言葉を失うほどの苦しみを与えてしまった……」

 「……我々も、浅慮であった、ということか」

 「……悔しくも」


 父娘は、似た者同士だった。

似たような双眸で、同じような顔で、苦しそうに。気持ちを、吐瀉した。

 ――――どこかで、春を告げる鳥の声がした。場違いな、鳴き声が。




 山の端が、うっすらと煙っている。

もしかしたら雨がくるかもしれないと、老人は気を揉みながら、首を長くして来る時を待ち構えていた。

 老人は、善人だった。

だからこそ、頼まれたことに、鷹揚に頷いたものだ。

 老い先短い老人にとって、手助けしてくれる、驕りもなく、ただ真っ直ぐに仕事に励む親戚の子。そして、それを容認する大旦那と闊達な姪っ子。さらに、自分をいつまでも大事な兄だと思ってくれている、老いた妹。

 家族。

 彼らは、間違いなく、血のつながった家族であった。

たとえそれが、どれだけ薄まりようとも、どこかでまた出会うであろう、そういった性格の家である。

 しばらく、老人はそうしていたが、腹も減ってはどうしようもないと、蕎麦屋に引っ込む。

 そこを見張る、不気味な視線を気付きもせず。

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