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二十九話

 看板に描かれた黄金の首輪が、朝日に照らされ、キラリと輝く。


 人々もあちこちで大あくびをしながら井戸や道端で挨拶をしたり、七輪を外に出して朝ご飯の支度にと大わらわだ。

太陽の強い光に押された朝露がぽとりと落ちるあたりで、老人は、ただでさえ重たい腰を上げるために両手を木机について軋ませ、ゆっくりと体を起こした。

 台所で朝ごはんの支度をする。うっすらと蕎麦屋に差し込む朝の兆しに疲れを見せながらも、灰だらけのかまどの、炭化した薪の下に火種くすぶる板を差し入れ、せっせと白いご飯を炊いた。

 老人は味噌汁を作らないタチだった。

味噌が嫌いではないが、汁ものばかり作る職のせいか……、そのため、ご飯を大量に炊き上げて主食にしている。年寄りは小食だ。昔ながらのそのやり方のせいで、彼は少女に、節食させていることに気付けないでいた。また、少女も、アレルギーなど、現代的には知られてはいても、異世界ではさほど気にも留められていない症状ゆえに、余計に食べることを我慢してしまう。

 どちらも、相互を思いやるが故のすれ違いであった。

 せめて、日本語を介することができれば……、

そうは思うも、彼女はこの世界の言語を理解できないでいる。

戸惑い、不安にさいなまれながらも隠し部屋に。今現在も、小部屋の部屋の隅にて猫のように丸まり、眠りについている。

 懐に、制服を掻き抱いて。


 


 「……出てきませんね」


 少年が言うように、ボロ切れのようにたなびくはずの蕎麦屋の暖簾が、店先に出されていない。仕舞い込んだままである。

 蕎麦を打つ音さえしないということは、今日は休業予定のつもりらしい。明らかに、昨日の宣言が効いている証拠だ。

 近くに潜み、匂いや物音に聞き耳を立ててきた少年曰く、


 「ずいぶんと遅い朝餉の支度をしているようですね」


 老人がちゃんと生きているのは間違いないようだが、昨日、耳にした日本語、を喋っていたであろう人物の気配がない。

 (店内の、どこかに居るのは間違いないようだが)

 ずっと見張りをしていたから、ほんのわずかな異変でさえも見逃したつもりはない。昨日の夜から、ずっと。

 

 「声をかけた昨夜では、誰かの足音が微かにしました。

  ……どこに隠れているのでしょうか?」


 少年が、くるくるとよく動く眼を私に向ける。

薄暗いココ軒下から望む限りでは、蕎麦屋の動向に変化はない。


 「見えた範囲では、居なかったんだな?」

 「はい」

 「普段より、この蕎麦屋は営業していた。

  それは間違いないな?」

 「聞き込みが正しければ、その通りです。

  定休日は月に2,3回程度だそうです」


 (私がマヨネーズを食べたのが、だいたい、一週間以上前)

 もしかしたら、さらにその前から提供されていたかもしれない。

うーん、と唸る私を、子供が不思議そうに見詰めている。

 (ずいぶんと、懐かれたな……)

 この頑固な子供を返そうかと思ったが、翌朝になっても渋られるとは思わなんだ。朝ごはんを食べていないのは私も同じ。だが、育ち盛りには辛いであろう。そう考え、昨晩からの交代要員である諜報員スパイに、朝ごはんの手配を頼んでいる。

 (手軽に食べられる、おにぎりが届けられることだろう。

  ……温かいご飯を口にできるなら、

  どこだって天国だ)

 再びよぎる、あの世理論。

前世への妄執は、こうやって暇があるときに考え込むからこそ、脳みそに永遠と刻み付けられ続け、忘れられないものになってしまっている。

 自我の目覚めと同時に、私は前世を思い出したクチだ。

そして、何度も何度も、スルメのように、何回も何回も、繰り返し考えつくした。記憶にある日本が、廃れないように。私の前世が偽りでないように。妄想でありませんように。前世における家族の無事と、社会の安寧、世界平和。ついでに、友のことも。友人はついで扱いに怒るだろうが、なんとか生きて、孫やらひ孫まで胸に抱いて、ゆったりとした歩みであの世へと逝ってもらいたい。決して、私のように、なってはならない。それは勘弁である。私のような不幸と幸運は、私だけのもの。誰にも渡してはならない。

 (もはや、後戻りのできない40年を、失うことのできぬ命を、

  運命を手に入れてきた……)

 ひとり、ふたりと顔が浮かび上がるも、その後ろには、前世における縁ある人々の様々な表情があった。うっすらと、霞みがかってはいるが。


 「団長様」

 「ん?」


 気付かぬうちに、私は少年の頭を安定した軌道で撫でまわしていた。


 「おっと。すまん」

 「いえ」


 まったくもって、少年は気にしていないようだ。犬のように首を振っている。

さすがは未来の諜報員スパイ。成長が期待できる大物である。


 「団長様は、考え事があると、

  ずいぶんと、嬉しそうで、悲しそうですね」

 「そうか?」

 「はい。僕の妹が生まれたときの、

  お父さんと同じ顔をしています」


 (それは、私の年代が、この少年の父と同じか近い、

 の意味だけではなさそうだな……)

 世襲制、ならではの悩みなんだろう。

少年はしっかとやってくれているが、果たして、彼の妹はどんな人生を送るのだろう。

 す、と。

戸が横に動いたのは、それから間もなくのことである。

 時間通りに、通いの小女が、親戚の家からやってきたのであった。

彼女は、どうやら老人に受け入れられているらしい。

じっと私たちが見ているとも知らず、老人の姿につられるようにして、小女は蕎麦屋に入っていった。


 「……見たか?」

 「見ました」


 私と少年は、頷き合う。


 「……そうか。

  そういえば、あの蕎麦屋。

  金の勘定や、配膳は、あの小さな女の子がやりきっていた」

 

 ということは、だ。

 糸口は、見えてきた、か?


 「ややっ、そこにおわすは、我らが団長殿!」

 

 振り返ると、ちょうどタイミング良く幼馴染みが片手に手土産を持ってこちらへとやってきていた。

 どうもそのわざとらしくぶら下げた風呂敷から、美味しそうな天国の匂いがする。


 「ほら、頼まれていたおにぎりだぞ」

 「おお」

 「お茶もほら」

 「水筒までも、か。

  完璧だな」

 「もっと褒めたたえよ。

  まあ、作ったのはあの副官殿だが」

 「ほう」


 解かれた風呂敷の中にある竹の包みを開くと、不恰好ながらも、ちゃんと満足いくまでに食べられる程度のおにぎりが、何個も何個もくっつきあってひしめいていた。ぱくりと食べると、ちょっとしょっぱいが、なかなかの味わい深さ。人の作るおにぎりは、味噌汁と同じく美味い。米はやや柔らかすぎるも、塩が美味い具合に米粒と米粒の間に入って、塩分という旨みを引き出す仕事をしている。

 

 「あとでお礼を言わねばな」

 

 そんなことを呟く私に、ジェイズは吹き出した。


 「なんだ」


 睥睨する私に、幼馴染みは悪い悪いと口開く。

その、チャラい顔から想像できる程度の気軽さで、言葉を紡ぐ。


 「なに、一等不幸なことは、

  優しすぎるところ、だなあと思ってね」

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