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二十八話

 「ごめんください」


 その声にびくりと飛び上がったのが、黒髪の少女だった。

夜更けである。

そろそろ寝ようと、重たい眼をこすっていたところであった。

 唐突な来訪は、少女を恐慌状態に陥らせた。ただただ、我が身を竦ませることしかできない。そんな彼女に代わり、冷静な判断をしたのが老人である。伊達に年季が入ってないわけではない、いつもの落ち着いた態度で、少女に顎で指示をする。水瓶の後ろにある、隠し部屋に行けというのだ。少女はこくこくと頷き、衝立に干してた大事な制服をしゅるりと雑に掻き抱き、どこか標的に狙われたカモシカのような素足を晒したまま、びくびくと、足音立てずに台所へと向かう。

 蕎麦屋の主は、そんな彼女の行動を横目で確認しつつ、


 「はいはい、今行きますよ、ちょっと待っててくださいね」


 腰を曲げた人影を障子にうつしてやりながら、油断させるようゆったりとした喋りをした。つっかえ棒に手をやり、取り外す。

 そうして、ガタガタと音を立てながら入り口の引き戸を横に、実に緩慢な動作でスライドさせた。

 夜の冷たい空気がたちまちに、蕎麦屋のあちこちに入り込んでくる……、ロウソクがじじじと小さく空気を動かし、老人の影が揺らいだ。 


 「どちらさんで?」


 姿を現したのは、若い声の通りの、一人の少年だった。

くりくりとした双眸、濃い眉毛。恰好も、どこにでもいる子供としかいいようのない服である。手持ちは何もなく、所在無げに立っていれば愛嬌があるものの、そうではない。堂々と老人を見上げている。


 「夜分遅くに、申し訳ありません」


 彼は、その年齢にらしからぬ言葉遣いをした。


 「こちらに、自称日本人がいる、その確証を得られましたので、

  こうして参った次第でございます」

 「な……」


 はっきりいって、不気味だった。

夜半も夜半、夜も深い夜に、深夜を背景に背負う子供がいる。いや、子供だからこそ、老人は戸を開けたのだ。なんらかの事情があるのではないか。近所の子か。あるいは、火事でも発生したのだろうか。金環国家は、日本人の持つ知識による木造建築が主だったものであるため、ちょっとでも燃えると、大火事になる恐れがあった。

 その、先触れかと考え、彼女をどうやって逃がすかその算段をしながらの、唐突な少年である。


 「坊や、いったい何を言っているのかね」


 まるで魔物や化け物を目の当たりにしてしまった心持ちであったが、老人はすぐに立て直した。すべきは、日本人、がこの蕎麦屋に潜んでいるという情報を拒絶すること。無いこと、にすることにある。

 でなければ、あの看板のように……あるいは、老人の親戚である通いの子女が言っていた通り、奴隷とされて、ひどい目に遭わされる。

 善人の人生を歩んできた彼にとって、それは、例えようもないほどに、許せないことだった。

 

 「……寝ぼけとるんじゃな。

  蕎麦屋の蕎麦はすでに仕舞いじゃ、

  出すものは何もない、早く家に帰りんしゃい」


 店内に、この不気味な子供を入れる訳にはいかない。

人の気配というものは、案外と残っているものである。

 

 「あの、失礼ですが、

  ここで話をしていても、埒が飽きませんので……」

 「駄目じゃ!」

 「お声が大きいかと」


 はたと我に返った老人は、むっとしつつも口を噤む。


 「……どうしても、駄目、ですか」


 妙に、この得体の知れぬ子供は大人びている。


 「むむ……」

 「このような場で言うのは本当は駄目なんですが、

  身分高きお方が、こちらでお隠れになっている日本人に会いに、

  はるばる探しに来られたのです」


 老人は、半歩下がった。


 「中で女の子の声がしました、

  それは、明らかに……あっ」


 そうして、言いきらぬうちに、ぴしゃりと戸締りをされた。


 

 

 「駄目、でした……、

  申し訳ありません」

 「いや、大丈夫だ、問題ない」

 「ですが……、せっかく、団長様からの御指示を、僕は……」


 気合の入った眉毛を持つ少年だというのに、今じゃすっかりしょんぼりとした有様である。私は、そんな彼の痛ましげな頭を撫でてやり、元気を出してやる。


 「心配するな。

  これぐらい、想定内のことだ」


 蕎麦屋の灯りはすっかり落とされている。

真の夜は、本当に暗くて、無音だ。ただ、足元を吹きすさぶ風が、木枯らしを浚うのみであった。

 蕎麦屋の真向いにある軒下。

ここは、あの店を見張るのにちょうどいい物陰もあって、隙間から覗けて具合が良かった。寒さからも凌げるよう、縦長に身を隠せる場所もあるし、雨に打たれずに済む。

 

 「団長様、いかがなさいますか」

 「そうだな……、まあ、明日、私が直接会いに行く。

  せっかく、諜報員スパイが宣言してくれたのだ、

  ちゃんと会いにいかねばな」


 にっこりとほほ笑むと、少年もどことなしに安堵したような面持ちになる。

やはり、失敗したのかと気持ちを揉んでいたんだろう。

 本土からの騎士であり団長でもある彼の手伝いができるなんて、と、かつてない職務に少年も気が休まる時がなかったんだろう、すっかりおネムの体勢である。うつらうつら、と騎士団長の腕によしかかるのを我慢して、そうして、またヤジロベーになりかかる。

 

 「眠そうだな。

  家には……」

 「いいえ、帰りません」

 「しかしもう少ししたら、諜報員スパイが来る。

  その交代に来た者と共に帰宅しても私はかまわんが」

 「帰りません。

  それだと、団長様がずっと見張りをなさることに」

 

 (頑固だ)

 とはいえ、このまま一人で家に帰らせるのも、まずい。いくら諜報員スパイの卵とはいえ、子供は子供。何回か押し問答をするも、

 

 「両親からも、くれぐれも粗相のないよう、団長様の手助けをするように、

  頑張りなさい、と言われてきました。

  このまま成果も出せずに帰ったら、怒られてしまいます」

 

 どんな親だ、と思ったが、諜報員の家系は代々世襲制だった。


 「ならば、あともう少ししたら見張りの交代になる。

  それまでは、ほら」

 「わ、」

 

 腕に少年をのせ、彼の柔らかな後頭部を胸から、鎖骨のあたりにぐりぐりと押し付ける。

子供特有の、高い体温がこそばゆく、あたたかい。


 「寝ていなさい」


 子供に冷えた空気に晒すのはよろしくないであろう。今後の育成的にも。また、彼の親御さんのみならず、幼馴染スパイみの大事な部下だ。こんな小さなナリだが、立派に職に励んでいる。

 仕事、といってもかなり特殊なものだが。


 「だ、団長様……」

 「かまわんさ。

  別に、誰も見ていない」


 大丈夫だ、誰にも怒られない。

そう言い含め、幼少の頃の殿下にしてやったように、とんとん、と一定のリズムで背中をたたいてやると少年はようやく目を閉じ、あっという間に夢の住人と化した。自前の上着を脱いで、彼にかけてやる。

 しばらくすると、穏やかな寝息が聞こえてきた。

疲れ切っていたのであろう、すっかり寝入っている彼の幼い横顔を眺めながら、蕎麦屋を見定める。

果たして、今、あの中ではどんな作戦が練られているのか。

 まったくもって、真っ暗なものだから、知りようもない。

 

  

 

 

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