二十三話
「悪い悪い」
ぶ、ふふ、とたまに堪えきれぬ笑いを零しながらも、私の横顔を見てニヤニヤと笑う幼馴染み。
「……そう思うなら、少しは庇ってくれたっていいだろう……」
「ま、まぁ、良い教訓になってよかったじゃないか。
あの生真面目一辺倒な副官殿の可愛い嫉妬だし」
(何が嫉妬か)
ため息をつき、カラカラと笑いながらガラ悪く横長の椅子に胡坐をかいている、この男。下手したら尾てい骨まで出ているかもしれない……、それぐらい、腰の低い位置にズボンを穿き、身分証明の印籠を無造作にぶら下げている。小奇麗な模様はどこのものかは不明だが、妙な金具やら鎖がじゃらじゃらつけて晒している恰好は、どっからどうみても調子のいい兄ちゃん、そのものである。朝もやも漂う底冷えの中、良くその恰好でいられるものだ。
目鼻立ちは悪くないから、時折、仕事明けの女郎がこの幼馴染みに視線が釘付けになっているのを目撃するたび、
(この男、昨日は花魁やってたんだぞ)
なんて教えたくなった。
おまけに、今度はニタニタとした思い出し笑いをしている。なんて奴だ。絶対にろくでもないことを想像している。
「まぁまぁそう怒るなって!
リディも勿論可愛かったよ!」
「嬉しくない」
「ほら、この饅頭食べろ! 温泉饅頭だから美味いぞ」
今度はチャラ男路線でいくらしい、幼馴染み。
本当に七変化が著しい、器用な奴である。
私と幼馴染みの間にある空いた空間に置かれたお盆を、片手で私のほうまでそそくさと押し出し、丸々と肥えた饅頭を提示される。食い物に怨みはない。熱々のおしぼりでしっかりと拭いた手で、しっとり肌の茶饅頭を持ち上げ、大息をつく。
「はぁ……」
「元気だせ」
気持ちが沈んだままである。
ぱくり、と、一口。じわじわと甘い粒が口腔内を遊びだす、この食感。風味。たまらない。ここで、味の濃いお茶を飲めば、一服。いつもなら、これだけで至福な一時を満喫できる私だが、なんだか疲れが残っていた。
あまり眠れていない、のも原因か。
寝入っているであろう副官殿の部屋が二階にあるので、だいたいあのあたりだろうと検討をつけて予想するすりガラスの窓を見上げる。
なんでこんなことになったんだか……、とにもかくにも、寝入っている副官殿が目を覚まさない限りはどうにもならない。
私たちは、朝も早い花街の、なんともけだるげな空気を吸い込みつつ、女郎屋の前で営業している茶屋の軒下にて、両雄並んでのんびりとお茶を啜っていた。
アイリーンからジェイズに名前を変更した彼は、意気揚々とした塩梅でご機嫌であった。見慣れぬ私の失態を目の当たりにして、存分に楽しんでいるのだから、こいつの性格はさもありなん。分かっている。昔っから、こいつはこういうやつだって。
(この調子だと死ぬまでネタにされそうだな……)
太陽は出てはいるものの、朝もやが未だ周囲に漂っている。
気温が高くなれば、この少々の冷ややかな気温も温まって文字通り、雲散霧消、視界は良好となるはずだ。
「にしても、副官殿はよく平気で寝ていられるな」
ぽつり、と喋るジェイズ。
確かに、と私は熱い茶飲みで指を温めながらも同調した。
女郎屋は嫌だろうと思ったが、私がこの宿に泊まるといったら、彼女も宿泊すると言い切ったのだ。団長の副官として、傍に控えたいという。
「鬼教官の娘は、所詮、鬼教官、
男が女になっただけか」
「……ジェイズ、ぞれ、絶対に副官殿に言うなよ」
「ぶ、ふふ、分かってるよ!
さすがにそこまで阿呆じゃない」
副官殿の父は、私とこの幼馴染みの教師。いわゆる教官であった。鬼の。
その縁もあって、副官殿は私の従騎士としてつくことになり、騎士としてのイロハを教え込んだ。そういった仲であるため、今回の罵倒は本来、軍人としては上司にたてつく行為になるため褒められたことではないが、諌めるという意味においては大丈夫だと私はいつも、彼女に伝えてはいる。無論、他の、見も知らぬ位の高い騎士にしてはならない、とは彼女自身も理解しているはずである。
(……副官殿は、どうしてこの国に……)
しかし、焦ってはならない。
彼女は単身、この金環国家に来たようだった。
基本、預けた仕事を手放さなさぬ生真面目一本気な彼女のことである、なんらかの事態が我がアーディ王国に起こったのでは、と気がかりであった。
極上の花魁と化していたアイリーンに即座に訝しがられて足止めされていたせいで、副官殿は私の前にすぐ現れることができなかった。そうして、あの修羅場である。どうしてこうなった。
ただ、
(もし、本当にそこまでの危機があるとするならば、彼女は開口一番、私に伝えているはずである)
それに、
(急を要することか、と尋ねたら、最初はそうだったが今はそうではない、とのことだから……幼馴染みとの聴取で、解消されたやもしれん)
美容は大事だからな。
などと、女性に対する気遣いをした私を、副官殿はむすっとしつつも、ありがとうございます、と、ツンツンしながらお礼を言ったのであった。
この、よくある副官殿と私の会話にも、幼馴染みは腹がよじれたものらしい。
「あ、あの副官殿が……つ、ツンデレ……!」
「……ジェイズ、あまり笑ってやるな。
絶対、足払いと投げ技がやってくるから。
知らんぞ、私は」
ツンデレ、というよりも感情表現が苦手なだけだと思う。
副官殿の父である鬼教官も、なんだかんだで不器用な面があった。二人並ぶと、顔も形もぜんぜん違うのに雰囲気がそっくりであり、さすが親子だと内心喝采したものだ。
個人の性質、個性というものだ、あれこれと馬鹿にしたり、笑いものにしたりすると、ただでさえハイスペックな副官殿のことだ、とんでもない仕打ちをあとで返されるだろうに……、この幼馴染みは本当に……にやける口元を片手で覆って、昨日の出来事への感想を肩を震わせながらも、散々に私へ言って聞かせてくる。 無論、私の顔がしかめっ面になるのを拝むためである。
(愉快犯め)
あまりやらかすな、と釘を刺さないといけないかもわかんな、と、頭を横に振る。
「あ、あの」
声をかけられた。横長の椅子におずおずと近づいてきた若い娘。
ジェイズも口を閉ざし、じっと少女の様子を観察している。
「き、昨日はありがとうございました!」
「あ、君は……」
「紫部、と申します」
ぺこり、と丁寧に頭を下げてくる少女。
化粧っ気も何もないうえに、結い上げていた黒髪を後ろに流しているためか、すぐには気付かなかった。
「あ、あと、アイリーン様、も……?」
疑問形、なのは、当然だろう。
横を見やれば、やや、ふんぞり返っている幼馴染みである。
「ふふ、それは内緒、だよ?」
「あっ」
幼馴染みは、すっと、少女の唇に人差し指をあて、にぃい、と笑む。その仕草に、ぽう、と頬を染める少女はどう見ても諜報員らしからぬものだ。一般人だと思っていたが、男になった諜報員を一発で見抜いた。女の勘、かもしれないが、大概は見分けがつかないほどの技である。
目線でどういうことだ、とジェイズの細める瞳に訴えると。
「……この子は、まだ仕込み中なんだよ、リディ」
言いながらも、彼はよしよし、と気持ちよさそうにしている彼女の頭を撫でる。とてもじゃないが、アイリア、アイリーン、とたて続けて女性だったようには見えない。いいとこ、近所のチャラい兄ちゃんである。
「で、どうした?」
「あ、その……、
副官様が、目覚められまして、それで……」
「あぁ、それで呼びに来たってわけか。
いじめられなかったかい?」
昨日の今日だ。
あの剣幕で罵られては、いくら夜の世界に息ずく彼女だろうとキッついものがあっただろうと、申し訳なさにぐっと堪えてはいるが、眉尻が下がりそうである。少女に謝罪する。
「昨日はすまなかったな、私の副官殿は、少々気が立っていてな」
「い、いいえ!」
頭を下げると、びっくりしたものか。
彼女はあわあわと飛び上がった。
「リディ」
微笑するジェイズ、彼は私の肩を突き顔を上げるよう促す。
言われた通りにすると、少女は戸惑って幼馴染みに救いを求めるような視線を送っているようだった。それに、ジェイズは応えた。
「ほら、教えてあげなよ」
「は、はい。
あの、あのあと、副官様を眠れるように布団を整えたり、
お風呂のご用意をしたあと、副官様は、
あたしに、ごめんなさい、大人げなかったわ、
って、謝ってくれたんです」
「えっ」
「今日も、先ほど起床されたときに、謝罪してくれました」
意外、ではあった。
(あの副官殿が)
「ははは」
ジェイズが大笑いしているので、みぞおちを肘で突いておく。
ぐふ、とヒキガエルのような声がしたが気にしない。
「そうか、副官殿が……」
「はい!
それで、あたしに、アーディ王国で流行しているっていう、
お化粧道具をもらっちゃいました!」
欲しかったんですぅ、と言いながら、少女は手の平の内を見せてくれた。
キラキラのガラスに閉じ込められた平たく、小さな小物。中身は記憶が確かなら、アイシャドウのようなものだったはず。
「えへへ、これでアイリーン姐様に続く、二番手に……」
何やらすごい呟いている。
もしかして、いや、もしかすると、ものすごく向上心の強い少女だったのか。
ジェイズはジェイズで、
「おぅ、俺に続く二番手に頑張れよー」
などと拳を張り上げて、筋肉の塊であろう二の腕を誇張して応援している始末。ずいぶんと漢らしいじゃないか、幼馴染みよ。
(まぁ、でも、和解してくれて良かった)
まさか、この少女が紫部という名の諜報員の卵だったとはつゆ知らず、しかし、騎士と諜報員という同じ国の者同士の間に溝が生まれなくてよかった、などと安堵の息をつくリディール・レイ・サトゥーン騎士団長であった。