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二十話

 金環国家バージルには、領地や家紋のように、代々引き継がれるものがある。

 名前だ。

 バージルの王は、王になるとき、その名を引き継ぐ。


 「アイリーン様曰く、社交界では……、

  皆、王を習い、二つ名を使います」

 「ほう」

 「ですので、本名はご法度。

  その、代々引き継がれる名を名乗るのが通例だそうです」

 「それで、商人の名前だけは判明した、ということか」

 「おっしゃる通りです。

  カエシナという人物は、昔から存在していたようですから、

  どこの家の者かはいずれ分かると思います」


 大根サラダに、黄色じみた、艶々のタレがかかっていた。ひょいと箸でとって味わってみると、葉物野菜特有の水分と合わさった、油味と仄かな酸っぱさがあった。これは、マヨネーズ、か。

 (こんな、ハイカラなものまであるのか……)

 食に関しては、まこと、この金環国家はかなりの面で進んでいるのかもしれない。舌の上で転がせば、じわじわと味わい深い、妙味が広がる。

  

 「それで、我々は何を調べれば……」


 私と相席しているこの男もまた、諜報員スパイだ。

恰好はいかにも一般的な金環国家住人といった態で、その腰にぶらつく木の箱がしっかと存在している。時折、熱いお茶を飲みながら、小声で語る彼は今、いかにも友人と語らっている、といった面構えでいるが、本来なら無表情で控えているのが常である。人前だと、少しは周囲に遠慮して溶け込むものらしい。


 「カエシナ、については、アイリアが」

 「今はアイリーン様です」

 「……アイリーンが、調べてるんだろう?」

 「はい」


 いつの間にか、アイリーンの名前に変わっていたらしい、幼馴染み。

さすがは凄腕である。いったい何をやらかしているかは分からないが、いずれ会う機会はあるだろう。

 

 「ならば、お願いがある」


 私は、手繰り寄せた最後に残ったお蕎麦を啜り、相席している諜報員スパイと目を合わせた。そうして、蕎麦湯をもらい、ゆっくりと楽しむ。

 食道をゆっくりと、トロリと、胃の腑に降りていくさまに充足した心持になり、熱い息を、宙に吹き付ける。

 ここ、蕎麦屋は地元でも味が良いと評判の店だ。

なんとも良い掘り出し物をしたものだと、腰を曲げて大きな包丁を握るご老人の顔を見やる。台所は奥まったところにあり、主な接客は孫娘なのか、やけに若い娘さんが、お金の預かりや食器の片付けに台所を出入りしながら、くるくると駒のように働いていた。

 視線を戻せば相席者の姿は、そこにはなかった。

 




 早く見つかってくれ……。

私が願うのは、それだ。

時間が、とにかくない。ないのだ。

 もう、一週間と半分は経過した。

あと二週間と半分。半月に近づいている。





 騎士団長としての仕事は幅広い。

リヒター殿下の護衛、いうなれば近衛でもあるため、あまり殿下の傍を離れられない職業でもある。騎士団はいくつかあり、私はそのうちのひとつを請け負う騎士団団長であり、王太子殿下を直属の主とする。

 職業柄、長期の休みはとるなんて言語道断でもあり、なんて固い考え方でもって働いてきたため、私に休みを取らせることに部下は躍起になっていたが、ひと悶着のすえに、逆に部下に長期休みをとらせるという返り討ちをして、諦めの境地で出掛ける部下をものすごい笑顔でバカンスに送り出しもしたが……、今頃、どうしていることか。

 基本少数精鋭な団員数なので、幼馴染アイリーンみの所のように優秀な粒ぞろいだ、変なことにはなっていないはずだが……お土産でも買ってごまかしておくことにしよう。

 そう、少数だからこそ、私の仕事が少なくならないのだ……。

 (平穏な老後を得るためにも)

自称日本人を、無事に保護してやらねばな。

 気持ち新たに、私は、金環国家の花街をうねり歩く。

といっても、金環国家首都な割に、目立ったものはない。むしろ、最初に宿泊した宿場町のほうが、そのあたりがあけっぴろげであった。

 夜も深い、今日この頃。

 全員黒い髪だが、目の色が様々な色、それこそ、緑や青、黄色もいれば、水色の娘が、それぞれの家で佇んでいたり、見える畳の部屋にだらしないが、色っぽく素足を投げ出してこちらに色目をつかっている。

 ……なんというか、懐かしい気持ちだ。

 (あんな風に、私にもおっぱいがついてたんだよなぁ)

いや、今の私にもあるにはあるが。すごい胸筋である。私は剣を振り回して豪快に薙ぎ払うのも得意なので、そこそこ、筋肉質な体躯をしている。

 (懐かしいな……)

 従騎士時代は、あの姐さん方に必死に恋文を渡したものだ。付いていた騎士の、だが。

仕舞には綺麗な姐さんを口説いていたと噂され、払しょくするのに手痛い目にあった。とんだとばっちりだった。懐かしいが、昔の殿下まで出てきた記憶を脳裏に浮き上がらせたあたりで、私はなんとはなしに、視界の端に生きる、小さな猫を見つける。暗がりの、水がためてある釜、その陰に居た。

 猫は、静かに、そこで座り込んでいた。しっかりと前足を仕舞い込み、じっと。

 私は、その姿を見下ろし、前世で死んだ自分を、ほんの少しだけ、記憶に残っている欠片の一部に息ずく猫の姿を思い出した。

 猫は、九つの魂を持つという。

ならば、私は?

 あちこちで灯される提灯からの、たどたどしい光が、猫の綺麗な瞳を煌めかせた。人影が、私と猫の間をすり抜けていき、ぼうっとしているこの間も、私の家族は、日本における家族がどうなっているのか、飼っていた賢い猫がどうなっているのか、急に、寂寞に襲われた。

 (私は、この世界で、この記憶と感情を持って死ぬ)

 その瞬間、私の魂は、どうなることだろう。

ふと、不安にかきたてられるも、数えきれないほど切ってきた人たちの顔を、熱を失っていくありさまを回想し、

 (死んでみないと、わからんな)

 結局のところ、それに尽きる、と。

 黒い髪を信望していながら、それでいて双眼を色づかせる女郎ともいう彼女らの前を過ぎ、女も酒も買うことができるという店に入った。


 「これはこれは、ココはお初で?」

 「ああ」

 「と、ご主人はこの国のお人ではないようですねェ」

 「まぁな。

  ……隣国から、旅行に来た」

 「ほほう! アーディ王国から!」


 私の腰あたりをちらちらと視線を投げかけながら、私の身のなりを値定めた、女衒あろうか、中年男が私の腕をとり、


 「さァさァ、極上の!

  といいたいところだけど、アイリーンは生憎と接客中だァ、

  上玉をお部屋に案内しましょ」


   


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