十九話
優秀な諜報員からの知らせによると、商人の名は、
カエシナ
だそうな。
どこかで聞いた覚えがあるが、気のせいかもしれない。あまり記憶にない。アーディ王国風でもなし、和風、ともいいづらい。何か、言葉を変えたような響きがあった。かといって、漢字の当て字っぽい妙な塩梅だし、と百面相を一通りしたあたりで、今後の予定をようやく定めた。
まず、第一に私が大事にせねばならないのは、我が国であり、直属の上司であるリヒター殿下である。なんらかの不利益が殿下へ直結する事情が発生した場合、私は速やかに離脱をし、帰国したアーディ王国側から日本人の保護を訴えるしかない。騎士団長として責任ある立場なのだ、私事に我が国をあまり突っ込ませたくはなかった。
(……冷たいことだが)
第二に、あるいは、私は自死をせねばなるまい。
(ただ、果たして、そこまでに至るかどうか……)
最悪の事態は、いつでも考慮せねばならない。
私は、無事に生き残ることを前提とした策を練ってきたわけではなかった、ただ、のんびりとした心持ちで和食や現地の観光を期待いてやってきてしまっていたので武器なんて腰に佩いた剣一本しかなく、180度のドシリアスに方向転換をせねばならないので実にややこしいことだが、今後、もし、私が悪手を働いてしまった場合は、みずからの命を絶たねばならぬ覚悟をしなきゃならない。
それは、騎士として、叙勲をしたときから、いや、殿下が……、
(リヒター殿下を守ると決意したときから、決めたことなんだ)
すい、とたまに脳裏に顔を出すのが、かつて女だった記憶の私だ。
くすりと笑い、しょうがない、と唇の端を緩く和らげる、かつての私。
(そう、私は、女としてではなく、男として生きねばならないと、たとえ女の感情や記憶、それと、男としての記憶と体の……、ホルモン、といえばいいだろうか。私は医学に詳しくなかったから、分からないが……)
男性の体は、私が幼い頃から戸惑うことは、真剣に悩むほどに多かった。
でも、それでも、私は、私らしく生きようと決めたのだ。
たとえ、どれだけ苦しかろうが、故郷(日本)が恋しかろうが、母性だろうが父性だろうが。
(私は、決意したのだ)
殿下のために生きようと。
そのためならば、この身がどうなってもかまわない。
だからもし、自称日本人創作に我が国アーディ王国にとってとんでもない災いが降りかかるようならば、私は、自らを持って、対処に当たらねばならなかった。
幸い、幼馴染みは、この国に長く諜報活動をしてきた諜報活動のプロであり、諜報員たちのボスでもある。
大概のスパイは私に協力だろうし、あらゆる面でサポートしてくれることだろう。
と、そこでようやくアーディ王国、という後ろ盾である彼らの、真面目な勤務態度や、仮名をいくつも使い分ける現在アイリアというらしい幼馴染みからの、信頼感と、想う国を同じくするという結束をなんとはなしに感じ、ふ、と唇が緩む。
(そうだ、悩んでる場合か)
まずは、その、商人とやらを私も探そう。
このまま、宿で腐っていても、どうにも情報を手に入れることはできない。諜報員たちは、頑張っている所だろうが、もしかしたら、私の力が必要な場面だってあるやもしれない。
いてもたってもいられなくなった私は、さっそくながら、思い立ったが吉日とばかりに、自称日本人と出会い、金環国家の王族に引き合わせたという商人の手掛かりを探ることにした。
首都内のメインだったところは散々歩き回って頭に脳内地図として叩き込んだので、速やかに、商店街に当たる華やかな場所までやってきた。
途中、長屋が連なる、お惣菜屋さんにも目がいってどうにも誘惑を断ち切ることに苦笑したが、大通り一本のこのあたりは、大店と呼ばれる立派な店が立ち並んでいる。
中には、すさまじい客の数が入り込んだ呉服屋もあったりして、中をちらりと覗き見る。どうやら、お茶を出して接客しながら服の見繕いをする、ある種、高級デパート的な扱いをして色々と買い物をさせているようだ。ふいに鼻につくイ草の香りがして、あまりにも懐かしくって思う存分嗅いでしまったが、なるほど、そこには畳が目いっぱい敷かれていてる。お客さんは座席に上がってあれこれと対話をさせ、染物屋から仕入れたものや、我がアーディ王国からの輸入品までも並べたてているあたり、流行という名の情報を貪欲に取り入れ、満足のいく買い物をさせるという商売方法のようだ。顧客ナンバーワンの地位を狙っていてもかしくはない繁盛ぶりだった。奥の方にいるらしい店員と目が合うと座っていた腰を上げていたので、服を買わされそうな気配を感じた私はそそくさと移動し、別の店先を覗いていく。
美味しそうな飴玉、綺麗に織り込まれた風車、
幼木売り、それに、髪買いに、騒がしい音を奏でる風鈴……。
どれもこれも、見覚えのあるものばかりであるが、ただ、どこの店も、後方で積極的な接客を心がけている大店の呉服屋ほどの繁盛っぷりではなかった。
(……日本では、知っている商売方法だけれども)
他店は、閑古鳥が鳴くとまでは言わないけれども、客足をとられているようだった。
(あんまりやりすぎると、あれこれとあげ足とられそうだが)
かといって、集客力がある店の周りはただ黙っていたら儲けがないわけで、これを機会に、チャンスととらえ、あれこれと催し物をやればなんとか……、と、他店の盛り返し方法を考えていた辺り、ここで、ようやく私はなんとはなしに気付いた。
(ん?)
そういえば。
「日本語?」
慌てて振り返り、屋根を見る。先ほどの、儲けを出しているであろう、呉服屋のほう。そこには、確かに日本語で、呉服屋、と書かれていた。
この国の、言葉ではない。日本語である。
(……引っかかるな)
日本語は、ややこしい言語である。
喋ることに関しては、比較的容易であるらしい。ただし、敬語とか、謙譲語が絡むと、大概の外国人は頭を抱えるのが常だが、同音異義語にも目を回すものの、そこそこ熱心に勉強を重ねていけば、日本人よりも日本人らしい人になる。
逆に、日本語のもっとも難しい部分、それは、書くことにある。
漢字とひらがなとカタカナ。プラスアルファしてローマ字。
いずれも、一年やそこらで覚えきれるものではない。
日本人はあれこれと生まれながらにして触れる言語であるからして、半紙に墨を落とすがごとく、なんとなく、日本語を扱えるようになってしまう。それに、地方の言語、いわゆる訛り、が混ざるとカオスになるが、日本語を理解して書く、ということは、とてもじゃないが普通の、それもただの異世界の人間が一筆書きでかけるものではない。
自称日本人でないと、書けないものだ。
(私は、生まれながらにして、この世界の言語を理解していた。
それは、赤ん坊のころからの訓練の賜物だ)
しかし、あのとき、アイリアは、スパイはなんと口にしていた?
「なんでも、日本っていう国に生まれたんだ、ってさ」
「……日本っていう国の、学生だから、
さほどのことは貢献できないけれど、って言ってな……」




