十八話
あれから、波状的なお呼ばれしました攻撃と、付随して言葉の内に潜む諜報員ジョークに精神をすり減らしながらも、淡々と情報をかき集める彼らをねぎらいつつ……、翌日になった。
幼馴染みは部下に手広く、騎士団長の手伝いをしろと命令したものらしい。魚の形が可愛らしいあんこ入りのたい焼きを食べようと大口を開けた途端、背後からどこからともなく現れたり、手紙をこよりのように細くして私の懐へいれて安全に内密な話ができる場所を示してくれたりと、未だかつてないバリエーション豊富な彼らのお蔭で私は労せずして情報をまとめることができた。
感謝しきれない。
ただ、時折狙い撃ちのようにやってくる諜報員ジョークが脳裏をよぎり、頭を悩ませるが。たぶん、私は苦手なんだろう。親父ギャグが。
(私自身が親父もいい歳なのに)
積極的な彼らの奉仕に、私はなんらかの返答をしたいが、未だに何も返すことができないでいる。無表情ゆえに、がっかりしているかどうかは諜報員ゆえに心の内を悟らせないので分からないが、彼らの感情を満たしてやれないのは、国家中枢で働く者としてはいかがなものか。
苦悩しながら、私は朝の支度をし、おかゆに箸をつける。
宿の食事は、病人食も完備していた。私は病を持ち得ていたことはさほどなかった記憶にあるが、しかし、昨日から情報の精査をしていたため、あまり食欲がわかなかった。宿の主に、おかゆを所望したところ、快く用意してくれたため、さすがは和食、と、再び和食ブームが内心で沸き起こる。
残念ながら、スプーンは完備されていないが、ここは、日本人がかなりの影響を与えた国でもある。他国の文化をあまり取り入れなかった長年の鎖国に近い貿易を行ってきた由縁ゆえに、箸の先からとろりと落ちるお米にちゃんと頬張れなくて申し訳なく思うが、人の交流もかなり解放されているとのことから、いずれは準備されるであろうと、私はこの国の今後に思いを馳せる。
(かつての日本のように、なるのだろうか)
鎖国を解放された、かつての故郷(日本)のように。
何故、ここまで頑なに秘密主義を貫いていたのかはわからないが、しかし、なんらかの経緯はあるんだろう。
(藩主が居る国、ってことではないだろうけれども)
この国の歴史は、ひも解くとややこしいものがある。
私が分かっている範囲では、金環国家バージルの最初の成り立ちは、勇者が中心となって生まれた、なんとも英雄譚がはびこるような国柄でもあった。
(また、かつては存在していたギルド、傭兵たちが、英雄である勇者を慕って、自然と、国家という成り立ちが出来上がったという)
なんとはなしに、そんなことも物憂げに、しかし、しっかりとした箸使いで、ぱくぱくと湯気のふわふわとゆらゆら蠢いて私から逃げようとするおかゆの粒を、一粒一粒、丹念にすりつぶすかのようにして食していく。
ああ、美味い。
ほんのりとした、塩加減。昨日、夜遅くまで、情報をまとめて働かなくなってしまった脳みそを、体内からじんわりと癒してくれている。
付け合せの漬物も、程よい味わいで、茄子のしんなり具合、鈍い照り返しが見目にも渋い、と唸らせるほどだし、この味を知らぬとは世の中の楽しみを一つ知らないようなものだと、咀嚼しながらもほっとする。特に、このキュウリの味噌漬けは鼻を抜けるお味噌の旨みが……辛抱たまらんと、おかゆと食べ合わせる。口内調味がここまで幸せを噛み締めさせてくれるとは。いい。素晴らしい。梅干しもなかなか。日干しを何回もしたものらしい。塩味がちゃんと凝縮されたすっぱい味を噛み締めながら、梅の花を眺めながら散策するのもいいなあ、なんて思い始めた。コロコロと口から梅の種を吐き出し、……食後のお茶も二杯、ちゃっかりお代わりをした私は、
「ごちそう様でした」
などと、食事を作ってくれた、水場で食器を洗っている最中のご婦人方に挨拶をして、今後の予定をたてることにした。
二階の通りの角にあたる宿泊してる室内は、ベッドと小さなテーブルとイス。
窓辺からは川を挟んだ道沿いに並び立つ、どこぞの染物屋、の看板とそこの二階の窓がはっきりと見えた。ここ金環国家バージルの首都はあまり観光目当てな場所ではない、言い直すと、未だに観光開発が行われていないので、観光に来た者はなかなかに居づらいものがある。
逆に言えば生の金環国家バージルの文化がそのまま、観光向けに作られていないため、ある種貴重な体験をしているといってもいいだろう。
……私からしてみれば、ただの当たり前に在る和文化、のような気がしないではないが。懐かしさを感じる、お隣に存在する青い暖簾の染物屋だって昔ながらの日本である。
「商人、の出所は未だ見つからず、と」
いつの間にやら私の机の上に、ひっそりと置かれた文。
文鎮の下にあったその和紙を取り上げて読む。
「……ただ、名前は分かった、と。ほう」
(優秀だな)
にしても、私の部屋を自由気ままに歩き回る、優秀な諜報員というのも、なんとも。私のプライベートをあまり気にしないようだ。
(まぁ、あの幼馴染みがボスだしな)
たぶん、私の性格がそれほど神経質ではない旨までも、含めて言い聞かせてはいるんだろう。やれやれ、と、私は頭をかいた。
(……男として生きてきたせいか、それとも、騎士として生きてきたゆえか……、本当に、細かいことに気にしなくなってしまった……)
おそらくだが、下穿き(パンツ)をぶら下げられても、それは私のだと平気で言うような頓着しない性格にはなってしまっている。事実、騎士の従騎士をしていたときは、そのような塩梅だった。好きなように使われていたし、いくら伯爵家の跡取り息子だといっても顎であれこれと指示されたら、仕える上司ともいうべき騎士のために必ずやり遂げねばならなかった。理不尽なことは多々あるものの、それでも私は平和だった。マシ、だったのだ。
(ある意味、洗濯とか女、の扱いも、私の方が上手だったからなぁ)
だからこそ、ある意味では生き残ることができた。ましてやここまで昇進するとは。さすがの私も、思いもよらぬことであった。
(あいつら、達者でやってるかな……)
過去を蘇らせる。
かつて騎士学校を過ごした同級生たちも、幾人かはこの制度にうまく馴染めずに自ら職を辞した。そこいらあたりで、かなりの諍いがあったのも同時に思い出してしまい、なんとも神妙な面持ちになってしまった。私は無事、騎士として叙勲を受けて晴れやかな一人前になることができたが。
(ただ、私の場合、貴族の子息だったからこそ……)
なんとかなった場面も、多少、あったのは間違いない。運が良かったのだ。
木枠の、飾り気のない窓から、そのキラキラしい水の表面を流す小さな川が脈々と流れている。遠目からでもわかるほど、透いた水辺に、数人の現地の金環国住人が、洗濯ものなのか、洗濯を行っていた。足場は短いながらも、洗濯板で笑いあいながら、近所の女性と洗濯ものをしている者がいた。あの顔には、見覚えがある。
真顔で、理不尽な貴婦人のおかげで、時間がうまくとれず、お伝えすべき内容まで調べられませんでした、内容がないよー、と言い切った妙齢の女性諜報員だ。
(あんなところにいたとは……)
とてもじゃないが、同一人物とは思えぬにこやかさ、所業である。
私はなんだか妙な疲れを感じ、さっと視線を外す。そうして、なるべくアーディ王国の騎士団長をちょこざいな扱いにしないようにと幼馴染みに苦言を申し伝えようと決意した。
文鎮と共に、和菓子が置いてあった。羊羹である。
(でも、このお菓子のお礼は言っておこう……)
無言でもぐもぐと、食べる、食べる。
この調子だと、帰国する際の私はとんでもなく太っているだろうな、なんて、食い意地張ることは当たり前のように受け入れるリディール・レイ・サトゥーン騎士団長であった。