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十三話

 おまちどう、なんて言われながら、ごとりと置かれた大きな器に入ったおうどん。たっぷりの透明なカツオ出汁に入り混じったお醤油が芳しく、食欲をそそる匂いがする。

 ごくりと唾液を飲みこむ。

 湯気の熱さになんとはなしに目が霞むが、第六の味覚を刺激するためにも手早く割った割り箸を突っ込む。勢い、底から救い出された白い麺。熱々地獄から引きずり出されたものの哀れ、ずるずると野郎の口の中へと放り込まれる。そうだ、そう、この食感がたまらない。うむ、……頬張る油揚げの、なんと幸せな染み具合よ。みりんも大事だってことがよくわかる。

 芳醇な汁を舌の上で転がす。 


「……本当、リディは謎が多い子ねえ」


満足そうにうどんを食べる私を、アイリアは嘆息交じりに箸で指し示す。

当然、その箸先にいるのは、黙々と残りの汁を喉奥に呑み込ませている私だが。


「アイリア、それはマナー違反だ。

 指し箸といって、良い行為ではない」

「本当、どういうことかしらねえ」


 私が、何故隣国のマナーを知っているのか。

初めは苦手だと言っていた沢庵を今じゃ平気でパクつくアイリアは、間諜スパイだからこそ、食べられるようになっただけであるが、彼女と同じく器用に箸を扱う私のほうが可笑しい話だ。

 なんせこの器用なお箸の使い方は、世界的にみても金環国家バージル独自の食べ方であり、他国はスプーンやフォークで食事をするのがごく自然な摂り方である。長年の諜報活動で金環国家のマナーを理解している彼女は不思議がっているが、私は沈黙するにとどめた。

 生まれながらにして生粋のアーディ王国貴族の、それも王太子護衛の騎士団長である私が知っているはずのない行儀だ。隣国に興味があって教わったにしては、滲み出るものが違うのだと、アイリアの諜報員としての長年の勘が訴えているのだろう。とはいえ、私はその疑問に答えることができないでいる。

(前世の話なんて、できるわけがない)

 けども、その前世での出来事や、経験を語った人たちがいる。

彼らは私のような生まれ変わりではないから、外見がまさしく日本人であったために仕方のないことではあっただろう。ましてや、この金環国家バージルは、そこかしこ、あらゆるすべてが日本人にとって、馴染み深い和で満ち溢れている。

 大事に保護され、衣食住を保障されたら。

 ひとりぼっちで心細くて、しょうがないだろう。

 周りに親切にしてくれる人が現れたら。

(絆されるのも、当然、か)

 最後の麺を口に頬張り、汁もすべからく飲み干した。

どんぶりものの器の底には、出汁が微かに残る。

 名残り惜しい匂いが湧き立ち、鼻腔をくすぐるも、からり、と音をたてて器の中に箸を入れた。





 はじめは、金環国家バージルの民に親切心で、技術を教えたのだろう。

農業への革新も。

 だが……、それらに、高付加価値がついた結果、かつて小国であったバージルに国力がついたために……どういう経過でそうなったのかは不明だが、次第に恩人であったはずの日本人を奴隷のごとく扱うようになり、最終的には、どんな手を使ってでも、その知恵と力を引きずり出そうとした。


 事の発端は、やはり権力闘争、だろうか。

実際、そのためだけに奴隷制が制定されたそうな。

今なお現存している、この金環国家バージルだけの、法制度である。

 奴隷という、人権を無視した行為。

いにしえの時代ではどの国にも存在した身分であり、職業でもあるが、それを日本人のみに限った、金環国家独自のおぞましい差別。正直、日本人、に限定しているあたりが凄まじい妄執を感じる。

 制定された時期は不明だが、それを、表沙汰にしたのは、我がアーディ王国が要求したせいであるが、まるで当たり前のようにあった法律であった。

 ……国際的な反発を招くことを承知のうえで、公開してみせたのである。

 まさか、遥か昔の、捨て去ったはずの古い制度で人権をがんじがらめにしてくるとは……当然、当時の国々は衝撃を受け、その不当な扱いをしてみせるバージルを、奴隷国家バージルとなじり、特に南海大帝国は大変遺憾の意を示したが、バージル国代表は気にも留めず。


 開示された情報によれば、昔の彼らは引き出せば引き出すほど豊かになる知恵と力に恐れを成すとともに、ますます日本人に対し、傾倒していったそうな。そのため、金環国家に保護されていた日本人は皆、死んでしまった。


 あれから時代は移り変わり、現代。

 自称日本人、が出現したのである。





(国が、身元不明な人間を保護するのは良いとして。

 問題は、その国が、ちゃんとした法に則った国家であるかどうかだ)

 独裁国家。

 我がアーディ王国も王族にやや権力が集中しているものの、それでも大貴族が脇に控え、あれやこれやと文句を言ってくる。殿下はそのことに嫌味で返しつつも、まっとうな事柄にはちゃんと対応している。

 華やかな貴族的社交界とやらも、気の合う人間がいなければ面倒そうにしておられるが、パーティひとつ開かれるごとに貴族がため込むお金が市井にばらまかれるため、そうそう悪いものでもなかろう。

 鮮やかなドレスや見目麗しい男女のダンスは、国民にとっても憧れのステータスでもあるし、稀に連れて行ってほしいと懇願されることがあった。

親戚、別部署の同僚、女友達、あるいは彼女たちから紹介された貴族令嬢やら、行きつけのお店の店員さん、などなどレパートリーだけは豊富……まぁ、手に手をとって連れ立っていくと大抵、殿下に連行されていかれるのだがな。

 私のダンスパートナーが。

(……まぁ、恋愛感情として連れて行ったわけじゃなく、彼女たちが、一般国民だからなかなか滅多に出られない、物語や劇に出てくるような階級社会のキラキラしい部分を見たいって言うから、友人的気安さで女性を連れて行ったのが運のツキというべきか)

 無論、殿下のお相手になれば、というやましい気持ちもないわけじゃない。未来のお妃候補の可能性だってあるのだ、ちゃんと家に帰らせることを条件にしているため、手だけは出さないように殿下を見張ってはいるし、一応言い含めてはいるものの、それでも女性たちの視線はすっかりハートマークになっている。

 美貌王子、と言われるほどなのだから、もし、殿下のお眼鏡がかなわなかった場合、女性のほうが惚れこんでしまって婚期が遅れると彼女らの親御さんから怒られるかもしれないと、ある種、戦々恐々としてはいたが、華々しい世界を堪能したと、かえってお礼を言われることがほとんどだった。美しき男性王族の、それも王太子と一夜踊れるのはまるで夢見心地だという。私は? と思ったが、言わぬが華だ。

(……おっさんは悲しい……)

 国民からしてみれば、火の粉さえかからずに暮らしやすければ文句はなかろう。現国王陛下の生真面目な政治は、至極まっとうなもので、急な税金引き揚げもなければ、今後の生活に支障をきたすような整備工事にこき使われることもない。

 不平不満は私の耳には入ってこないし、むしろ他国から羨ましがられているという。悲惨な歴史を連綿とつなげてきた過去に比べると、一番、勃興してるんじゃないかとは思慮する。

 他国からの移住希望者が多く、勝手に侵入してくる不法経済移……移民希望者に、出入国管理者は頭を悩ませている。眠れない日々を過ごしているという彼らには同情するものの、良かった、そっちの担当者じゃなくて、なんてほっとしている私は現在、隣国の金環国家バージルでのんきに情報収集と称して日本食の食べまくりを敢行しているのであった。

 

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