十二話
「しょうがないじゃない、お呼びだしを受けたもの。
……せっかくの休暇が、台無しだわ。そうは思わない、リディ?」
「……悪かった」
ふて腐れたかのような口調だが、ちっともそういう風情はない。
愉悦そうな魅惑で隣の席の男性客の心を鷲掴みにしているし、あまりの美女っぷりに後方男性の手元の箸は止まったまま。手繰った蕎麦がぱらりと落ちている。その上、その蕎麦男性と相席している同僚らしき人は私を見て、なんとも言いたげな顔をしていた。悪かったな、同席している奴がこんなムサい男で。
アーディ王国でも馴染みある視線が集中し、私は呆れた声で呟く。
「……それで、意趣返し、か」
唇に扇をやり、お上品にコロコロと笑う彼女。
お蔭さまで、男衆の私への嫉妬の目線がチクチクと刺さる。
異性を誘う艶っぽさでさえ計算されているのだから、アイリアは実に恐ろしい諜報員、さすがは、幼馴染みである。
「で、リディ。
どうして、こんな火中の栗を拾いにいくような真似をしたの?」
「火中?」
「決まってるじゃない、この国のこと、よ」
彼女はゴージャスな扇子で口元を隠し、
「……殿下、お怒りよ」
わざとらしいその小声での振る舞いには、私の食欲が減退しかけた。
「……だろうな」
容易に想像できて、私の双肩に重みが増す。
やっぱり面倒なことになっているようだった。
「すごく、怒ってたわよ」
「……そう、だろうな」
「俺だけ置いてけぼりか、なんてブツブツブツブツ毎日毎日、
根暗な呪文を聞かされる身になってよね」
「……悪かった」
「いつもより余計にだらしない日常を送って父君を怒らせてるわ」
「また厄介ごとを引き起こしているのか」
「主にあんたのせいよ、リディ。
後始末の尻拭い役がいなくなっちゃったから歯止めがきかないのよ」
「そこは部下に頑張っていただきたい」
「あの方、ひねくれると長いわよー」
「……勘弁してくれ」
私は腹の底からのため息をついた。
昔っからそうだった。そう、赤子の頃から、意地になると長いのだ、殿下は。
お気に入りのおもちゃや、贔屓する存在が居なくなると、癇癪を起こす。
それは、昔っから持ってる殿下の悪癖である。大人になっても治らないのだから筋金入りだ。
一方で、王太子にとって、どうでもいいものに関してはどこまでも冷淡で切り捨てられるのだから、王族に相応しい冷徹さも兼ね備える。
「ま、それはともかく!」
私は、機能的なメニュー表をアイリアにも見せる。瞬く美女。
「どれ食べる?」
「……ふふ、切り替えの早い男は好きよ?」
「それはどうも。
で、どれがいい?」
「せっかちねぇ」
えーと、どれがいいかしら。
などと、ぶつくさ言いながらも、手渡したメニュー表を手渡した諜報員。とてもじゃないが、普段、影に潜むのが職業の人間には見えない。
(まぁ、目立つなとは言わなかったしな……)
休暇を潰された意地悪をするぐらい、の隙間はこの国にあるということか。
(まったく……殿下の直属の部下は皆、曲者揃いだな……)
殿下はアレなところはあるものの、比較的真面目な性質を持っていたりするが、逆に、こいつは……、非常に優秀だが、事なかれ主義というか、なんというか。基本的に面倒臭がりである。大概において、この幼馴染みは、多数の部下にあらゆる仕事を押し付けて自分は高楊枝、が多い。そのため、部下には相当あれこれ文句をぶつくさ言われているようだったが、そんないい加減な昼行燈に諜報員のボスをはっていられるのも、その腕前がモノをいう世界、であるからだ。誰にでも化け、声色さえも真似できる。
幼少時、劇団にぶち込まれたと零す幼馴染みは、生まれながらにしてエリートスパイなのだった。
その、商売道具である、誰かに侍るためのわざとらしい装いからは、酒の匂いがわずかに立ち込めている。あけっぴろげの胸元が、少し照かっているように見えた。
「……アイリア」
「ん?」
アイラインのばっちり入った上目使いが、私の視界に入りこんでくる。
これで大酒のみの大男にだって化けるのだから、いったい骨格にどんな化学変異が起きているのか不思議でならない。昔っからこの調子だったものだから、なんともいいようがない……小さい頃を知っている私としては、ここまで年齢を隠せるほどの化粧技術を身に着けられるとは思わなんだ。
女に化ける場合、相手を油断させることが目的の一つでもある。
そう、目的のためならば、あらゆる手段を使う。そこだけは、殿下と似通っている。
「まさか、もうすでに……、侵入して確かめてきたのか?」
「ふふ、どう思う?」
「……さて……」
はぁ、と嘆息すると、彼女はごめんごめん、と片手を振りながらも答えた。
「当然、よ」
すでに一仕事を終えてきた、ということか。
どこかしら、誇らしげに偽の豊胸を張り上げる彼女に、
「……さすがだな」
「お褒め預かりどうも」
あの酒場で私が幼馴染みに、ひとり、手足となる諜報員を貸してほしいと願ったあの時点から、この幼馴染みは部下ではなく、あえて自分自身を使い、私のためにわざわざ休みを返上してまで頼まれ事をしているということだ。普段ものぐさな態度しかとらない、この幼馴染みが……私のために。
確かに、元々、この国に入り込んで諜報活動をしていたのだ、本人があれこれとやってしまえば、楽といえば楽なんだろう。
「すまない」
「ふふ、そういうとき、なんて言って欲しいと思う?」
あたしが喜ぶ言葉よ、なんて囀る彼女は、間違いなく教え込まれた凄腕の技を身に着けている。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
こればかりは本当の笑みを湛える諜報員、まさしく彼女は、我がアーディ王国が誇る諜報機関の情報部養成所を首席で卒業した、猛者である。
……まったく、頼もしい奴だ。




