小話<アーディ王国 下>
頃合いを見計らい蕎麦屋から泣く泣く背を向けた私は、きっちりとした騎士の制服を身に纏って晩餐会に出席する。ただし、警護の面で。騎士として剣を携え、赤毛の王太子殿下の傍らに立つ。
今夜の晩餐会は、ことのほか煌びやかであった。
アーディ王国にとって得になる駆け引きをリヒター殿下はなさったからな。隣国の次期王との対談内容も高く評価されていた。
功績ばかり打ち立ててきた王太子殿下の登場に、有力貴族らが早速ながら群がる……のをしり目に――――とある若い貴族が、わざとらしく私の前にすり寄ってきて呟いた。
「贅沢者がおる」
「は……?」
「未だ騎士団長の地位に拘るとは」
顔を見やれば、真面目腐っている。まったくもって友好的な雰囲気ではない。
(ふむ)
私の記憶が確かならば、最近爵位を継いだばかりの若者だ。嫌味に乗ってこないぽつんとした私を一瞥した彼は、面白くなさそうに立ち去った。
反論を差し控えたせいか、また一人、ちゃらちゃらとした若者貴族が出現する。
彼は、実に堂々とした体躯で面と向かって私に言い放った。
「何故、リヒター殿下は貴殿を寵愛するのか。
……どこにでもいる男ではないか。しかも若くない」
(そりゃそうだ)
40歳のおっさんだもの。
赤毛の王太子を横目で確認、他の護衛騎士がきちんとついたのを見届ける。私がエネルギー余りある若者らの鬱憤を受け止めているのを把握しているあたり、さすがは同僚。
さて、と目線を戻せばメンチを切られてる最中だった。
「身分は伯爵。領地もさほど。
オレのほうが、顔も身分も、何倍も良いというのに。
いつまで殿下のご厚情に縋るつもりだ?
いくらお側に長く仕えたとはいえ……」
(確かにな)
と、私よりかは見栄えのする顔を持つちゃら貴族に頷くが、逆に馬鹿にされたと思われたものらしい、語気が荒くなる。
「ここは潔く身を退くべきでは?
貴様のしたことは、まさしく騎士としての失態。
とうが立ちすぎて、騎士団長という地位は荷が重すぎる」
「……殿下の御心に従うのみです」
さすがにそればかりは、主君でもない他人に指図される訳にはいかない。
(……わざと捕まったとはいえ、悪評は広まるのが早いな)
どうやら私の金輪国バージルでの振る舞いは、本国では失態だと伝わっているものらしい。大成功の殿下とは良い対比である。
よくよく周囲を観察してみると、遠巻きながらも私を馬鹿にする輩もいた。指差し確認は安全を確保するときに活用していただきたいが。
…………正直な所、新鮮ではあった。
大多数のアーディの貴族らが、私に喧嘩なんて売ることはしない。
普通、ありえないことである。
殿下が赤子の頃から護衛として抜擢された私を詰るなんて。
だが昔の経緯を知らなかったり、軽んじたりする者らは少しずつ増えてきていると、感じてはいた。それだけリヒター殿下の地位と評判、人気が高まっている証だが、正味な話……、
引退、の二文字が脳裏を掠める。
もはや黄金時代は遠いものになりつつあるのだ。少しずつ世代交代をし始めている同僚もいるし、目の上のたんこぶとして彼らには映っているんだろう。
何も、意欲があるのは悪いことではない。
「嗚呼……、サトゥーン騎士団長。お願い。
美しきアーディの君……わたくしたちに、返してくださる?」
「気高き美貌殿下の優しさは、聖女にも等しい」
「殿下のお情けに、騎士団長、
あなた勘違いしていなさるのではなくて?」
「空を飛ぶ鳥だって節理を心得ている。
無駄に地べたを這う虫は、きちんと我が身を空に晒すわ」
恋は盲目、とはよく言われるもの。
殿下は魅惑的な男性である。未だ婚約者候補さえ立てていないので、ホモ疑惑にまみれた私を目の敵にする結婚適齢期の淑女諸君もまた、私を嫌う傾向にあった。
嘆息しつつも諌めた。
「……淑女がそのような言葉を……いけません」
「わたくしたちにこのような振る舞いをさせているのは、
誰かしら?」
「浅ましいお方」
「お年を召すと、判断が悖る」
くすくす、と。
そのふっくらとした胸を強調したドレス、綺麗な化粧を扇で隠しながら、集団で笑う。女子にありがちな高等戦術である。
(厄介だな……)
元女だからこそ、分かる行為。こうして、女性というものは一致団結すると、梃子でも動かなくなるものである。
眉尻を下げていたのを気づかれたものか、後ろから、声がかかった。
「蝶のように舞う可愛らしい方々。
俺の騎士をそろそろ、解放してくれぬか」
殿下、少し酔った顔をしてみせながら、グラスを揺らす。
高位貴族の次は大臣たちに群れられていたが、散らしてきた模様である。護衛騎士も引き連れている。
「あ、こ、これは麗しき殿下……!」
「こ、こ、これは、その」
自覚はあるんだろう、良い振る舞いではないことを。
ぐっと腰を落として淑女の礼をした女子軍は、輝かしき殿下の御前にノックアウトされた模様である、なかなか滅多に謁見できないと愚痴を零す彼女たち、幸せそうにふらふらとした足取りで立ち去った。
リヒター殿下は遠のく彼女らから目を離し、意地悪そうに私に歩み寄る。
「くく……リディ、絞られてどんな気分だ?」
「は……」
しれっとした顔でいる王太子殿下も予備費を使ってまで隣国へ行くとは何事か、と、財務大臣をはじめとしてそれなりに言われていたようだが、あまり気にしていないようだった。
それよりも問題は、
「リディ、俺はまだお前に言い足りぬことがある。
次は俺からだ、覚悟しておけ」
本番はどうやら、目の前で優雅に酒を嗜み美貌を振りまく殿下から下されるようだ。
殿下の場合、大きな雷が落ちた時が厄介である。
朝方までずっと怒られた事もある。あの時は、何が原因だったか……あまり記憶にないが、どうせ私が不興を買ったのだろう。何か至らぬところがあったのだろう、私に。
(今夜は眠れそうにもないな……)
警護のため、飲み食いができない私は、喉を上下させて美味そうに食べ物を胃に収める私以外の満腹姿の連中に、ごくりと生唾を飲みつつ、
(お蕎麦食べてて良かった)
などと、出汁が効いた麺類への味を脳裏に蘇らせた。
おっさんの朝はだるい。
「ふあ、」
本当に殿下は、朝方まで怒りをあらわにされた。
昨日今日と、疲れた四十歳の身には徹夜はつらいものがある。
(殿下は記憶力がすこぶる良いからな。
一から百まで、懇切丁寧に解説して教えてくれた……はあ)
横長の椅子に座ったまま、口元を利き手で覆いながら目元を擦る。
殿下の執務室は、豪奢な一室である。
魔法具があちこちに装飾、ぶら下がっており朝日に照らされて輝く。
宝石が目覚めるように、世界中にある美術館のどの美しさにも勝る壮麗な一室であった。
ぼうっとして眺めていると、
「ん、」
肩に重みがしたので見やれば、宝石の主たる殿下が私の肩に寄りかかかって眠っていた。
真っ直ぐな鼻梁、陶器のごとく透ける肌に赤毛がさらりとかかっている。伏せられたけぶるまつ毛は、あまりにも長く。同色のしっとりとした唇が僅かに空き、ゆっくりと呼吸をとっていた。
殿下の頭部が私の頬に当たってこそばゆい。
「……」
微笑ましい旋毛を見下ろしながらも目線で辿っていくと、私の手を殿下の指が掴んでいた。人の重みで痺れた腕の先だから、まったくもって気付けなかった。国宝の指輪が光に照らされ、優美ではあるが。何故こうなってしまっているのか。はてなマークを頭に浮かべるも、一切合財、記憶にない……。
鼻腔をくすぐる殿下から立ち昇る人の匂いにさえ気づかない私は、ずいぶんとその存在を安心してみているのだと、無意識にも認めているのだと理解はしたが。
(騎士たるもの、なんという……)
護衛としても失格である。いくら主とはいえ。やっぱり訓練しないとな、などと気持ち改める。
(さて、いまだ朝も朝。早朝も早朝。殿下を起こさないように……)
そうっと、なんて慎重に、寄りかかっている殿下をもう片方の自由になるほうの手で支えつつ、その御身をゆっくりと動かしていった。
が、私の姿勢がうまくいかなかったものか、ずるずると重力に従って落下する殿下、眠ったままに、すんなりと私の膝の上にのってしまった。
(立てんな)
失敗した。おっさんの太ももを枕に寝てる我が主君。いたたまれない。
とりあえず、そのまろい頬にかかる横顔の毛を取り除き、息をしやすいよう整える。
さて、いつ起こして差し上げるかが問題だ。このまま寝入っているだけでは疲れがとれんだろう。今日も今日とて、殿下にはお仕事が待っている。
(ベッドに移動させるのも、なかなか……)
骨が折れる作業だ。殿下、私より体躯が小さいとはいえ、やはり二十歳の若者である、お姫様だっこならぬ王子様だっこはその時は大丈夫だと思っても後日、私の腰を痛めるのだ。
思案し続けていると身じろぎしたので、
(起きたか?)
と期待したが、殿下、私の腿や膝を枕だと勘違いしたものか何度も確かめるように手を滑らしたまま、ますます深い眠りへと誘われるだけだった。
(男の足なぞ、固い枕でしかないだろうに)
常よりあどけない殿下の横顔に、つい過去の思い出を蘇らせてしまい、くすりと笑む。髪を柔らかに手櫛ですいてやりながら、
「……昔のお小さい頃のあなたは、
そうやってよく眠っておられた……、殿下……」
なんだか懐かしい気持ちで胸が暖かくなる。
時に私の腕の中で、あるいは、背中に負ぶって。
柔らかな子どもであった、赤毛の子。少年となった時も、私から離れず眠りたがる。
(……まあ、幼馴染みから言わせると、
自分よりやんちゃとのことだが)
幼馴染みほど悪童ではなかった、とは思う。
それでも、幼少時の殿下は私に本気で怒られるようなことはさほどなさらなかった。それが逆転し、今じゃ私を叱りつけるほど、成長なされている。
――――朝焼けの光が一際強く、入り込んできた。
染み入るような黎明のような光は、私は夕暮れの光にも見えた。
それは、私が去りゆく人で、殿下がこれから明るく輝く人間であるという、対比のように感じられた。
私は、あとどれぐらい生きていられるだろう。
殿下の頬にかかる赤毛を手の甲で恐れ多くも掬って撫でてやりつつも、そんなことを思う。