小話<アーディ王国 上>
帰国直後あたりの日常。普通です。
もはや住んでいるといっても過言ではないアーディの王城を認めた途端、ほっとした表情を浮かべている騎士団一行である。
勿論、私自身にも言いようのない感情が湧き起こっていた。
(やはり、長く生きた場所だから……)
棚引く旗の、鮮やかな光景が誇らしく馴染むようになったのは、ここ最近のことである。
快晴に響き渡る金管楽器の吹き鳴らす音と共に入城、民たちの歓声に揉まれながら、凱旋の音楽を心地良く感じとりながら――――アーディ王国騎士団は帰投する。
ゆっくりと息を吐き出しつつ、浮足立つ愛馬を城内へ進ませる。
王陛下の問いかけに答える赤毛の王太子殿下の、その背後につき恙なく護衛を行う。
今回の騎士団動かした事情、まさかの私を第一目的にしていたらどうしよう、と戦々恐々ではあったが杞憂に過ぎなかった。良かった。
(殿下、ちゃんと私以外にも理由を挙げていたな)
隣国たる金輪国家バージルの動きが妙であることを第一の目的として、私の救出、手助けはあくまでもオマケ、といった扱いであった。私はそれほど大物ではないので、国としては人権侵害的な意味合いで助けたようなものである、今後の参考になれば幸いだ。
差し出された、手の甲。仰ぎ見る。
「健やか、無事のようで何より」
とのお言葉を、王陛下より頂戴する。
老いた手である。長年の苦労が滲んでいる。
(陛下も、御年だ……)
なんとも感慨深いものである。私もまた、そうではあるが。
様々な思いを抱きながらも跪いた姿勢で、うやうやしく口づけをおくる……、騎士らしく玉座の前に頭を垂れ――――失礼にならぬよう、後ろ姿をなるたけ見せないよう、そろり、と。
後方へと下がれば、殿下が隣にいらした。いつの間に。
彼は、不思議そうな顔でいる私をちらりと見、ゆるりと口の端を上げた。
(……何だ……?)
笑顔のようで、笑顔ではない。
ただの勘ではあったが、あながち間違いでもなかったようだ。私の次に殿下と目が合った王陛下がぎくりと、身を小さくしたように見受けられる。
「父上、前回奏上した件なんですがいい加減、認めてくださいませんか」
「む……、うむ」
「では今宵こそ、華やかなる宴を」
「いや待て。我が子はすぐコトを性急に」
何故か室内の気温の低下による影響により宰相はごほんごほんと咳をし、大臣たちもまた微妙な表情で私と、主に王太子殿下へ向けてちらちらとした視線を送りつつのため息、手の動きを止めたまま、気の毒そうな顔でいる書記官長もいるわで。
(宴……?)
今夜の晩餐会のことか?
とんと理解できずにいる私は、護衛らしく口を閉ざしたままでいるが……。
王陛下、いつにもましてひっきりなしに袖口で脂汗を拭きとっている。
夕暮れ時に他の者と交代、旅の疲れを癒したいところだが、私の机上が今どうなっているか気もそぞろになり、疲れた体を押して私の仕事場である騎士団長部屋へと赴いたところ、案の定とんでもないことになっていた。
まず、書類ものだ。ドアの隙間に刺さっている。
「……」
私は無言でその紙を丁寧に取り外し、束ねて脇に抱えた。
アーディ王国では識字率は悪くないのだが、いかんせん体を動かすほうに重きを置く騎士業である、人材も必要最低限しか置かないリヒター殿下の意向により脳筋タイプが多々のため、妙に重たい扉を押しのけ開けた視界いっぱいに、私の机上が山脈になっているのを静かに見下ろす。
道理でドアノブが重たい訳だ、と、扉に押しのけられて壁際に佇む書類の中に、ナニかを発見した。
(人形……?)
なんらかの事件の証拠物か、青い目の異人さんに連れて行かれた赤い靴のお人形……に似てるような、可愛らしいが何故ここに。不気味だ。とりあえず地べただが座らせておいた。
頷いた私は、さて、と重たい腰を上げて、
「インク……どこかな……」
まず、そこから探さねばならないようだと振り返る。
僅かばかりの飛び地の間をゆっくりと歩むが、足の着地地点さえ探さねばならん状況である。
それもこれも、無造作に何でも置かれている環境が悪い。重要書類に文鎮のように置かれた証拠物の兜や、折り紙の要領で作られた紙飛行機、赤黒い染みが付着している剣がどっかりととっ散らかっていたり、とりあえず置いておこう精神によって私の団長部屋は生臭いことになっていた。
私へのお土産らしい謎の角まで置いてあるあたり、野外訓練はことのほか盛り上がりをみせたらしい。どこで仕留めた。
窓を開けたくなったが、この状態で解放するや、各方面からのクレームが競うようにして届きそうだ。なんたって生臭い。血糊の臭いがするのである。長くせき止められた漂う臭気によって私の鼻が試されている。
「はあ……」
ため息をつくが、体を動かすタイプばかりの黄金世代が私の世代である、同僚からして机仕事嫌いがほとんど。さばける人材がいなかった。彼らは武勇には優れてはいるが、書き物には優れていないのだ。やれ、字が汚いと文系官僚に言われて、やーめた! となったものらしい。初めは頑張っていたようであるが、強ければ良いという思考にだんだんと染まっていってしまった。気付いたときには遅かった。
それもこれも、アーディ王国の貴族連中が嫌味ったらしく言うのが悪い。
殿下がとりなしてくれたりもしたが、いかんせん、彼らは殿下の見える範囲にいなければ好き勝手にやってくれるのだ、庶民が多い黄金世代には苛立ちが募るらしい、厄介ごとばかり引き起こしてくれる。
そして、貴族の立場を持つ私が彼らの橋渡しをせねばならなくなる、と。
とにかく、この一面重要なものが撒き餌のようにばら撒かれてる、足の踏み場もない部屋をどうにかせねば。
私は疲れた体に鞭打ちながらも、緊急性とあとでやるのと仕訳をし、証拠品をそこらへんに放置プレイすんなと文句を言う算段をとることにした。
黄金世代の彼ら、基本的に同僚や身内以外からの苦情を聞き流すのだ、殿下から一言言われたらそれはそれは大人しくお淑やかなおっさんになるが……。
(私が赴くと、久しぶりに会ったとハッスルしだすからなあ……)
本当、困ったおっさん連中であると、私は苦笑する。
「仕方ないな」
私を助けるために、無理をしてくれた者たちもいるのだ、美味いものでも食べさせてやろうという魂胆にはなる。
留守番をしてくれていた黄金世代の彼らと話をつけにいく。
彼らは新兵連中に稽古をつけていたらしく、ひぃひぃ言わせてスクワットをさせていた。
暇そうに監督してる仁王立ちの同僚らと目が合うや否や、彼ら黄金世代は大喜びで私に剣やらそれぞれの得物を向けてきた。新兵放置。戦うのが大好きな武勇の世代らしいおっさんたち、まさに。
帰国祝い、という訳だ。
「む」
がん、と私は重たい刃を受け止める。
その間、後ろからまた誰かの剣風が迫ってきていたので、さっと横に跳び退り、やってくる剣技の応酬に、黄金時代流の所詮じゃれ合いという名の歓待を受ける。
途中、投擲までやってくるので、気が抜けない。
背にあるマントでさっと投擲の勢いを消し去り、視界を奪ってから近場にいる者へ足技をしかける。
これには観戦気味の新兵も、おお、と声を上げた。
指に力を籠め、すっ転んだ男の持つ剣めがけ、愛剣を下段から天へと振り上げた。
「ひとつ、重要書類に、血をつけないこと!」
飛んでいった剣は、転んだ男、黄金世代の武器だ。
奴は細い体だから体力がない。持ちこたえられないのだ、私の力に。
彼はにやりと笑い、すまんすまんと、その場に座った。
「ふたつ、床に武器を置きっぱなしにしない!
鬼教官殿に叱られてきたのを忘れたか!」
投擲をしてきた輩に、投擲し返す。
と、彼は、それをしっかと両手でキャッチ、私の言い分にちっとも気にしない風で、悪い悪い、と片手でそのナイフを宙に回して新兵の足元に突き刺した。
多分、こっそりと悪口を言っていたのを耳にしたんだろう、私にも聞こえていた。
「みっつ、ちゃんと綺麗に文字を書け!
ほかの人が読めんだろう!」
メモは残されていたが、嵐にでもあったかのような文字だった。
読めない。大柄な男は、いやあ、苦手でなあ、と苦笑しながら大剣を背負いなおした。もう戦う気はないらしい。
そうして、彼ら三者三様の黄金世代、私のほうへにじり寄ってきて、あっはっは、と笑いながら、ばんばんと肩やら背中をたたいて、私の無事を祝った。
私は、愉快な気持ちを味わいつつも、これでもかといわんばかりに口角を上げて、
「で、誰だ?
公文書で紙飛行機作った奴は」
騎士団長が笑いながら怒るという器用なことをしたので、さすがの彼らも少しまずいと思ったものらしい、速やかに犯人を教えてくれた。
ついで腹が減ったと喚くので、さっそくながら、
「蕎麦屋がな、こっちへ引っ越してきたのだ、
屋台を今日から出すらしいが、食べるか?」
教えると、金輪国家へ行けなかった鬱憤を口にしつつも、私のおごりということで彼らは大喜びで赴くことになった。
無論、新兵もだ。こういう時、大盤振る舞いをしておくと、彼らとも話がしやすくなる。
(まあ、少しだけ顔を出して、消えるのが良い)
私の団長としての立場だとあまりその場にいない方が、彼らとしても楽しく酒が飲めるだろうという計算も頭に入れつつ……、和食を堪能したいという邪な気持ちはすでに固まっていた。
「いらっしゃい!」
さすがに出したばかりの屋台のため、人がまったくもっていなかった。
ただ、物珍しい匂いにつられた客人はいたらしく、いくつかの器が洗っていない状態で放置されていた。
「爺さん、久しぶりだな」
「んむ……おめぇさん、……、」
顔を見せると、爺さん、まじまじと私を見続け……しばしして、ぽんと手を叩き、喜びの声を上げた。
「おお、勝手に牢破りをしたきた人ではないか!
ずいぶんと殴られてたようだが、達者のようだなぁ」
「そんなに殴られていないが、まあ、無事だ」
爺さんはあの後、老いたる諜報員の導きによって、無事、王太子殿下の率いる騎士団に保護された。その後、爺さんは肉親である妹と涙を流して感動の再開を果たし、騎士団の末端に随行、アーディ王国に住み着くことになった。
曰く、
「もう、あんな目に遭うのはこりごり」
だそうで、アーディの人間に親切にされたことがえらく胸の内に響いたものらしい、守ってきた蕎麦屋は燃えてしまったし、顔も見たくない金輪王子の治める国に居たくないらしく謝罪は受けるだけ受け取ったが、それでも言い足りない憤懣があったようで、
「終の棲家をこっちにする」
と、定めたものらしい。
私の名前を出して、騎士の宿舎の前に屋台を出したいとの申請を部下から貰ったのには苦笑したが、まあ、審査が通れば良いと了解の旨を出した。それが今日のことで、年寄りは気が早い。
審査が終わった途端真っ先に商売を始めたものだから、老い先短い老後をゆっくり暮らすという気概はないものらしい。せっかくだからと部下や同僚たちを連れてきて金輪国の味、というものを教えてやろうと思った次第だ。
暖簾には、夜鳴き蕎麦、と。
日本語で書かれた文字が垂れ下がっている。