十一話
商店街の一角、寄り添うかのように並ぶ長屋の、その食事処の群れは圧巻の一言に尽きる。たなびく色とりどりのノボリを過ぎながらも、心持ちお腹をさすりながら出歩く人々は、漂う出汁や匂い立つ独特のお昼の匂いに心なしか喜色を浮かべながら、しかしながら、お財布の中身と勘定しながらも想像をかきたてる美味そうな出来立ての味を期待しつつ、決めた食事処の暖簾をくぐっていく。
いや、まるで吸い込まれていく、といったほうが適切な表現かもしれない。
私もまた似たようなものか。
普段より二割増し、ニヤニヤとした面もちであることは自覚している。
「さて、どこにしようか……」
日本人、が存在してきた国だけあって、料理ジャンルへの熱心さはここに至るも如実に成果を出していた。私の同郷たちもまた、きっと私と同じ苦心な気持ちを抱きつつ和食を再現したのだろう。とてもじゃないが、うろ覚えな私の知識では表現できぬ執念でもある。
「うどん……お蕎麦……きし麺……そうめん、にゅう麺……ううむ」
麺類を食べる、
それだけはこの国へ来る前に事前に決めていたため、ある程度絞れることはできたが、
「まさかのラーメンがないとは……」
仕方のないこととはいえ、がっくりとくる。
が、私の腹は、とある麺処の前にて、ひと際大き目な腹の虫を鳴かせてしまった。そのことに、背後を歩く一般の金環国家の人々がくすくすと笑っている。
何とも気まずい照れを感じつつ、私に恥をかかせた麺処に入店することに決めた。ぽつぽつと食べている人が見受けられる、手狭な個人経営の店のようだった。案内されたテーブルは四人掛けのテーブル。いいのか、ここで。おひとり様だぞ? 今のところ。独身だぞ?
なんて思うものの、手渡されたメニュー表のあまりにもある文字数の羅列に、さらなる期待値が積み上げられた私はこの店への遠慮をしている場合ではないと、睨めっこを開始する。
「うーん……」
悩みどころである。
なんせ、我がアーディ王国では、これほどまでに未曽有な小麦粉そば粉麺類は無かったのだから。
……いや、あるにはあるが。ここまでガラパゴスなメニュー表はない。画一的、とでもいおうか、アーディ王国の貴族たちにとっての食事は、定番もの(メニュー)、それのみしかなかった。
つまりは、新しい料理レシピに則ったものが食卓にのぼることはなかったのである。サトゥーン伯爵家もご多聞に漏れず、伝統的な食事方法が代々受け継がれ、給仕人たちにもそれは粛々と引き継がれている。リディールの両親はサトゥーン伯爵貴族らしい貴族。
創作料理なんて想像は働かず、おめでたい事や年間行事、あるいは伯爵子息のために用意したという特殊な事例以外、いつものルーティーンメニューを黙々とお綺麗な作法で召し上がる。
だからこそ私は、余計に和食、にこだわりをみせていた。
未だ和の味は高級食材として珍味扱いではあるのだ。輸入食材として一際異彩を放つ、こういった貴重な和風食材、滅多に来れない隣国の食べ処であればガッツリ食べ尽くして心ゆくまで満足したいのが正直な本音だ。
本当は、それも目的の一つであった。綺麗に拭かれたテーブルの端っこには洩れなく爪楊枝も完備されているし、この店自体、だいぶ年季が入っているようだが、大事に扱っているのは良くわかる。どこもかしこも、椅子の隙間でさえも丁寧に掃除が行き届いているのだ。どこまでも客を労わる造りに、感動を通り越して泣きたくなる。実に、至れり尽くせりである。さすがは日本人を引っかける国。悪どい。
「やっぱりラーメン、はない、か」
目を皿のようにして文字の羅列から探してはみたが、無かった。
心の底から、意気消沈である。あれほど、人々のソウルフードといってもいい、何度も食べてしまいたくなる味わい深いものはない。スープ、ちぢれ麺。それに乗っかっているお野菜、メンマ、わかめ、ネギ、卵のトッピング。いずれも、なくてはならない、湯立つアツアツの麺をお箸ですくって、ふーふーと息を吹いて冷まし、レンゲに持ち替えて頬張って咀嚼して美味いと叫びたいが……切ない。
想像の翼を広げても、空しいだけである。唾液の渦を口腔にため込んで苦い味を味わうのみである。汚い。
……無いものは仕方ないと気を取り直し、ぺら、と次のページを捲る。と、
「……む」
思わず唸る。
このメニュー表には珍しく、絵心が加えられていたのだ。写真という技術が無い以上、それは当たり前なのだが、どことなくほっこりとする味わいテイストに、心が和む。おそらくこれは、文字が読めない人のためのもの、かもしれない。最初に目にした文字の羅列と同じ料理が、微笑ましい絵柄と共に書き添えられている。
経験からいって、大概は文字だけで、楽しみなんてものはなかった。
私には四方国家をはじめとして様々な国へ遠征という過去があるからか、ここまでサービス精神旺盛な店はお風呂を含め、前世ぶりである。温泉マニアになるのもいいが、食道楽になるにも良い国である。
間違いない。
これでは、ますます私の老後プランが……いけない。さっそく元日本人である私も捕らわれているようだ。
とはいえ、せっかくもぎ取った和食のチャンスである。悔いそびれがないように、出来うる限り、食い尽くしてしんぜよう。
密やかな決意していると、程よいおしょうゆ味噌の匂いに混じり、ちりん、と窓辺に揺れるものを耳にする。
風鈴である。
ひらひらと動くぶら下がった紙には、この店の名前が書かれている。店主の心尽くしが、なんとはなしに微笑ましい。そうして、その雨戸の隙間に小さなタオルがねじ込まれていた。白いが、絵柄がついている。向日葵のようにも見えるし、人の顔のようにも思えるそれは、分かる人には分かるらしい。
そら、目端の利く人が、やってきた。
「……こんにちは」
睨めっこをしていたメニュー表から目を離すと、そこには整った顔の男が……否、今日は女、か?
美しき淑女が、すっと立ち居た。ふわふわの巻き毛、ばっさばっさなまつ毛。頬にまでほんのりとした良く似合う色味が付着していて、自分の姿がどうすれば魅力的に見えるか、自身を研究し尽くしたプロ根性が垣間見える。肩を竦め、麗しい唇をうっすらと開ける、そいつは。
「同席してもよろしいかしら? リディ」
「どうぞ、ハルマン、いや、レベッカ……だったか」
「ふふ、今日はアイリアよ?」
「……そうか」
紅のついた三日月のさかさまな唇を弛ませ、この国独自の扇子を頬に仰ぎ、アイリアは対面して座る。
足を組むと、テーブルから長く伸びた足がすらっと飛び出す。靴までストイックにも女性用とは。服装こそ地元民と一緒だが、ひとつにまとめ上げられた髪飾りのかんざしは高級なサンゴで彩られている。
勿論、このアイリアはただの人間ではない。
「……まさか、お前が来るとはな」
にっこりと蠱惑にほほ笑むアイリア。
世が世なら名俳優として名を馳せるであろう、元劇団員の、諜報員である。