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百七話

 机の上に置いてもなお、その色は殿下の瞳の色と変わりがない。いや、別に構いはしない、たとえ理不尽だろうとも私は王太子殿下の騎士。命じられるがままに動くだけ。

 ただ、青天の霹靂だった。

 横になったがやはり寝付けない。目が冴えてばかりだ。

魘されるようにむくりと起き上がり、だらしなく頭を掻く。寝酒をすることにした。客室に用意された日本酒。これもしばらく呑むことはできんだろうと思うと寂しくなるというものだ、アーディ王国では葡萄酒が基本だ。立ちっぱなしのまま、とつとつと注がれた手酌でもってゆっくりと口をつけ、ふう、と嘆息する。手の中にある杯はなみなみと透明、さも鏡のように、私の不安げな翠の瞳が映り込んでいた。

 (殿下……)

 まさか、あんなことをお考えだとは。確かに男の王配であれば、子孫は残せない。そこまで決め込むほどに、連綿と続く高貴なるアーディの血筋を厭っておられたとは。

 私の教えは、彼にとって負担だったのかもしれない。無駄とは言わない。だが――――あまりにも、王子という立場を強く願いすぎたのかもしれない。

 (思いもよらなかった……)

 私は、ひどく憂鬱な気持ちに支配されたまま、寝ぎたなく布団をめくり上げたままのベッドに、どっかりと腰掛ける。そして、空になった杯に気付き。ぐいっと。また酒を煽る。明日は早い、ほどほどにしなければと思えば思うほどに、酒に手が伸びる。


 「はあ……」


 赤子の頃から、ずっと、面倒を見てきたお方だ。

誰もが皆、見て見ぬふりをしていようともどうしてもそれができず、その小さな手を掴み、泣いていたなら砦の外に連れて行って月見をして……、そうだった、このような夜に。窓辺から差し込む光が優しくて。日本語の歌でも聞かせていたのかもしれん。家族を恋しがり、愚図る幼き日の殿下に私は額を合わせ、悪いことをしたときなんかは……人の嫌がることはしないようにと。何度も言い聞かせた。ぎゅっと掴んでくる小さな体を何度も抱きしめてやった。成長してからは、遠く見守るよう周囲に言われたのでなるほど一理あるとその通りにしたが、かえって悪いほうへと進んでしまったような――――老後は、殿下の見事な采配を振るったアーディ王国の、民の幸せを見届けるつもりだった。それなのに。

 (……まったく)

 どうして、こうなってしまったのか。両目を閉じる。

 




 「赤子の頃から面倒をみてきた男ですからなあ。

  見捨てようとした周囲の目を掻い潜り手助けをしてきた。

  ……だからこそ、かのリヒター王太子は、

  サトゥーン騎士団長を手放さないのでしょう」

 「ムゥ」

 「……そんなに欲しいのですか?」


 王の執務室にて。

二人の密談は、毎夜行われた。


 「……ソウだナ。

  アレほど、面倒見ノいい男モいないしナ」


 ロウソクの灯が揺れ惑う。

玉座に座る次期少年王が、指先を何度か机の上を叩き、苛立ちを隠しもせずに響かせた。羽ペンの先がコロリと回る。宰相候補はそれに気にもとめず、ふむ、と一言頷きながら。


 「確かに彼は良い男です。

  次期王陛下の相談といえば、無理にでも顔を出そうとするかもしれません。

  ただ、引き抜きは相当、辛抱強く策を弄せねば……。

  まあ今の段階では無理です。何もかも足りません」

 「クソ王子がいるしナ」


 かつて暗殺者だった隊長の手元には、王になるための教材が並んでいた。

いずれも、あの騎士団長が推薦してきた教師らが用意したもの。ゆえに、アーディ王国の息がかかっているのかと覚悟していたら、見事にリヒター王太子とは縁を成さぬ者ばかりを選抜していた。

 これにはさすがの宰相候補も目を丸くしたものだ、何故自ら有利になる手駒を入れ込まなかったのかと。あり得ない、と呟きたくもなる、紹介された官僚にもなれるほどの優秀な手垢のついていない人材ではあったのだ、それをあっさりと手放してしまうとは。

 実にお人好し、

それに尽きた。あの騎士は自らの首を絞めてまで、この時期国王陛下のために力を貸してくれたのである。この番犬の将来のために。

 しかして、それは下手したら主君を裏切るような行為である。背信行為として、処罰されてもおかしくはなかった。

 (まあ、それならそれでこちら側の人間に与しやすいのですがね)

 宰相候補は、あの騎士に触れられた頬をなぞる。

 (どうも、あれは別の意味で人を浚う)

 己の顔は、太くぶよぶよと肉のついたもので、到底他人が触れたくなるようなものではない。だが、あの男はそんなこと気にもせずに。自然な仕草で、相手を慮る行動をとるのであった。

 思えば、この暗殺ばかりで自らを省みない地獄の犬さえも、彼は掬い上げてしまった。運、があった、ともいえるが。

 (滅びるつもりだった僕さえも、生きながらえてしまったし) 

 妙な縁が出来てしまった、ともいえよう。

人を惹きつける王太子の影に隠れているが、騎士団長たる彼もまた、珍妙なる存在である。見目はまあまあで普通と遜色なし、だが中身はそう悪くはない、少なくともこの国の次期王位継承者と宰相候補たる僕に惜しまれているのだ。

 

 「……主君たる狂王子は魔術師でもありますから、

  リヒター王太子の力を封じるためにも、

  ある意味、サトゥーン騎士団長は良い人質ではありましたがね」  

 「イズれハ……無理、カ?」

 「絶対、とは言い切れません。

  サトゥーン騎士団長はアーディ王国の人間の割に、

  優しいところがありますからな、

  付け入る隙はあります」

 「たとえバ?」


 やろうと思えばできる。相手の心の柔らかい部分を、リヒター王太子のように男女関係なく魅了して手足のように動かす手管のように、目の前の次期少年王がサトゥーン騎士団長にとってかけがえのない存在になれば、あるいは。


 「彼には、美貌王子の男妾疑惑、ありましたね」

 

 教えてやれば、次期少年王は大層戸惑った。

その大きな茶の瞳を右往左往させて。


 「な、ナナ、いや、あ、あいつは……、

  冗談でも口にするト、すごい嫌がっテたから……、

  違ウと思うゾ」

 「なら本気にしてやればよろしい。色仕掛けでも」

 「ななな、何ヲ言うカ、そもそも誰がするんダ、

  そんナ卑猥ナ」


 ぽっと頬を染め、いやらしい想像を巡らせているらしい次期国王陛下に、宰相候補は悪戯心を忘れない。わざとらしくじろじろと金環王子の顔を見やりながら、


 「いらっしゃいますよ、ちょうど顔も悪くないし」

 「ちょうドっテ! どういう意味ダ!」

 「おやおや、僕はまだ何も言ってませんが」

  

 真実はどうあれ、そのような姑息な策を仕掛ける前にあのアーディの王太子が……、手を回してしまうだろう。お人好しなくせして身を守る術を持ち合わせる騎士団長である、黄金世代でもあるわけだから、王太子の出番はさほどはなかったであろう。だが、今回のように彼の命が脅かされる可能性が出てきたら……、サトゥーン団長自らが必要だと呼びかけてしまえば、あっという間に片してしまう。権力と、身に着けた武力でもって。

 いずれにせよ、アーディの騎士らに防衛を任せている金環国家の現状、下手な動きは散々なものにしかならない。


 「まったく……リディに余計ナこと、するなよ!」

 「ふ、まあ、そんなこと仕出かす前に、

  まずは自国の安定ですね。

  あのアーディが珍しく優しいので、

  その隙にあれこれとやってしまわないと。

  自己中王国に手の平を返されかねない」

 「……自己中?」


 なんだそれは、と初めて耳にした話に疑問を問いかける。

小太りの男はにやりと片頬を上げ。人差し指で、自分の頭を差し示した。


 「僕は長い間、外交官をしてたので存じておりましたが、

  他国の連中からも共通認識として……、ひとつ、

  この頭に叩き込んでいたことがあります。

  それは……アーディ王国の性格」

 「ム? 性格……?」

 「あの国の人間は、自分の仲間内以外を毛嫌いする傾向にあります」

 「……そうなのカ?」


 少年は傾げる。

まったくもって、城内にいるアーディの連中からはそのような兆しを感じ取れなかったからだ。特に、あの金髪碧眼の騎士からは。

 やれやれ、とため息をつく宰相候補に、むっとした顔をみせる時期国王。

聞きやすい言葉遣いで、太めの男は鷹揚に話続ける。


 「四方を他国に囲まれた土地柄の国ですからな、

  アーディ王国は基本、虐げられる宿命にあります」

 「言われてみれば……あんな、周りを他国に囲まれている状況ではナ……。

  今までよく保ってキタようナ立地ダ」


 実際、国境を四つも他国と接しているからこそ、無理難題を押し付けられてきた国である。歴史を学び始めた金環の次期王には、そのありさまがまざまざと思い描けた。人々の慟哭も。


 「アーディでは実際、ありましたよ。国体を保てぬほどの戦乱も。

  ……だからこそ、あの騎士は珍しい性格をしているのですよ、

  彼の懐の深さはかつての敵国にも温情をかけるほどです」

 「うちの金環国のことカ」

 「ええ。アーディの人間ならば、

  我々のことなぞ気にもかけません。

  道端に死にかけていても、無視します。

  むしろ、まだ生きているのかと蹴り上げますよ。

  それが今までの通説だったのですが……」

 「ガ?」


 小首を今度は左に傾げる。

そんな時期少年王に、化け物宰相候補は苦笑する。


 「黄金世代がやってきてから、一気に変わりましたな。潮目が。

  誰かが、彼らの無関心さを否定したのでしょう。いや、

  変えたのです。それは、あの誰にでも美貌を振り撒く、

  蝶々のように飛び回る王太子かと思いましたが、

  あの男、リディール・レイ・サトゥーンの存在こそが、

  王太子を始めとして意識改革を促したのだと、僕は認識を改めました」

 「リディ、ガ……か」

 「ええ。恐らくですがね。

  赤子の王太子を育てた彼の思想が、影響しているのは間違いありません。

  だからこそ、あの男はある意味、かなめ、なのです。

  あの恐ろしい狂王子の。

  ……それでも、諦めきれませんか?」


 唇を噛み締める時期王。15歳の、未だ幼い少年。


 「…………嫌ダ」


 短い邂逅ではあったが自らを救ってくれた隣国の騎士を慕う心に、かつての愛しき人の面影を見やる宰相候補、なんとも複雑そうな表情ではあった。


 「王族としての責務。

  サトゥーン殿から教えられたでしょう?」

 「……ああ。言わレた。

  部下も、国民も、すべからく。見ろ、ト」


 あまりにも正しい考え、立派なものだとは思うが。

だからこそ、あの王太子は手放せないのだ。

 人生の模範を示した騎士を、失うことなんてできやしないだろう。騎士団を二つ動かしてまで取り戻そうとしたのだ、騎士団も賛同したという現れである。

 そして、宰相候補の主である次期少年王は、あの騎士を欲しがった。それを、あの王太子の目がどういう風にとらえるか。己の宝物を奪おうとする略奪者ではないか?

 自己中王国の自己中王子である、その傲慢さは代々折り紙つきである。今回の式典だってあれこれともったいぶった言い方はしていたが、彼はさっさと帰りたいから口出ししてきたのだ。我々としては、もう少し丁寧にしてやりたかった、おかげで護衛を突破した輩に一匹、侵入を許してしまった。抗議したくもなるが、あくまでも金環国主体の式典であるという建前が崩れてしまう。おかげで、敵の侵入そのものが、うちの金環国の不備扱いされてしまっている。美しい顔でこちらの失態を許すと鷹揚に告げる王太子は実に策謀に長けすぎる。侵入者も、思えば挙動がおかしかった。まるで経路を把握しているかのような動きであったし――――始祖王の石碑が破壊されたのは、もう二度と金環国に来ない、というあの王太子の意志の表れではないか? 

 (……あまり良い想像はできない)

 かといって、暗殺される訳にもいかない。慎重かもしれないが、それぐらい警戒したほうがいいだろう。やっと安定しはじめた仕事でもある、たとえどうであれ、幼きその顔にかつての婚約者が残っている限り、彼女の形見に手助けしてやりたいのは、親心、とやらかもしれない。

 義理の息子になる可能性だってあった、子供なのだから。

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