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百六話

 白亜城の喧騒も遠のいた夜中、着替えを従卒に手伝ってもらっているリヒター王太子殿下のうしろ姿が夜闇に浮かび上がる。

 石膏のように真っ白な肌。それに、鮮烈なる赤毛がたらされていた。

しゅる、と衣擦れの音がした。寝間着を肩にかけられ、殿下はそれを纏った。紐を縛り、ゆるやかな動きで椅子に腰かける。

 

 「リディ、で、話とは?」

 

 流れ作業のように、美貌王子は片足を手前にある足置き台に載せる。

そうして、その素足を従卒が揉みほぐす作業に入った。アーディ王国でもやってきた、リヒター殿下の習慣である。それを金環国でもやってるあたり、なるたけリラックスした環境を作りたいのであろう。ちらり、と寝間着の割れた内から覗く素足が非情なほどに生々しく、代々の従卒は心してやらねばならぬという。

 

 「こんな夜、眠る前のひと時にやって来たのだ、

  何だ。申してみよ」

 「は」


 ふわ、と欠伸をしていなさる殿下に、私は手短に話をした。

跪き、殿下の前で熱心に指圧をしている従卒の隣にて。


 「では、申し上げます。

  リヒター殿下。すべては……手の平の上での出来事、

  なのですか」

 「手の平……?」

 「は」


 不可解そうに、彼は私を見下ろす。


 「私が金環国家バージルに行きたがっていたのは、

  殿下はご存じのはず。

  そして、日本人、に拘っているのも」

 「ああ。把握している」

 

 だからこそ、殿下は金環国家の不平等条約にねじ込んだのだ。

日本人、というものの情報を開示するように、と。

 (あるいは、私だけに知らされぬ秘匿情報があったのかもしれん)

 とかく、アーディ王国は情報戦が得意である。

世界中の情報をかき集める術を昔っから持ち合わせている、いわば世界中にスパイ機関を抱える由緒ある国家でもあった。


 「……それがどうかした、か。

  ん……リディ?」

 

 艶っぽい声を時折吐きつけながら、従卒の指が殿下の足を舐めまわすように指圧を続けている。


 「……リヒター殿下、この賜ったサファイアのみぎりの本当の力を、

  お教えいただけますか」

 

 言うや、殿下は目を細め、


 「お前が考えている通りだ」


 認めた。


 「殿下……」

 「リディ。

  お前は俺のものだ。

  俺のものは、総じて大事にしているつもりだ。

  あんな駄犬に渡すつもりもなし、

  ましてや化け物じみた奴にも出し抜かれるつもりもない。

  手の平の上で転がされている?

  ……ふふ、それはそうだ、すべての話は俺の耳に届くのだから。

  そのサファイアのみぎりには、

  勇者の血筋だけが使える能力がある。

  身に着けた相手の情報を事細かに、遠方へ伝える力が。

  おかげで、お前の危機にも駆けつけることができたんだぞ?」


 確かに、特務隊隊長にいったん没収されたことはあったが、相手の話は聞こえなかった。それこそ、勇者でなければ……日本人の血を引かねば、難しいことなんだろう。

 (血……か)

 私はかつては日本人だったのに。

なんとも言いようのない寂しさが胸の中に広がる。


 「ただ……、それでもなお、リディ。

  お前は……」


 すっと立ち上がる殿下に、従卒は身を引く。


 「本当に、お前は現場を引っ掻き回すのは得意な奴だ、リディ」


 楽しげに、私の頬に手を伸ばす。

細く長い指の腹が、私の唇の先をかすめ、苦手な髭そりの跡をつぶし。下方、喉仏をなぞった。


 「日本語という未知なる言語は、俺でも未だに解読できていない。

  ここまで手こずるものは久しぶりだ。

  頑として、お前は俺に教えようともせん」

 「……それは、」

 「いや、俺がそう命じなかったから、か。

  まあ、これ以上、日本とやらにリディが……捕らわれたら困るからな」


 喉から張り出した骨だ、それを丁寧になぞられてしまい――――人間の急所を押えられ、私はごくりとだ液を呑むのも一苦労だった。


 「……リディ、お前は自覚がないようだが。

  俺が考えた予想図を簡単にひっくり返す手腕は、見事だぞ?

  こんなにも、あらゆる場所に俺の手の者が見張っている、

  長年続けてきた国崩しのところにポンと出てきて、

  敵も味方もとりなしてしまうなんて、な」

 「私を、見張っていたのですね」

 「当たり前だ。

  リディは、いずれは俺の王配……、

  になるやもしれん男だからな」

 

 (まだそれ、こだわってるのか)

 思わず眉根を寄せる。と、殿下は狙いを定めたものか、眉と眉の間に口づけを施した。驚くほど柔らかな感触が眉間に広がる。瞬く私は、間近にある美しきかんばせをまじまじと見詰めた。そんな私を面白そうに、殿下は、おでことおでこをくっつけた。

 (これ、は……)

 昔、子供の頃。殿下が幼い時分――――言い聞かせるときにした、私の行為を、彼もまた真似してやっている。


 「……リディ。

  俺は、子孫を残すつもりはない。

  ……うすうす、気付いてはいるようだが」

 「殿下……」

 「……ふ、まあ、そう悲しげにするな。

  俺はな、もうくたびれたのよ。

  こんな世界にも。俺自身にも。こんな人生にも。

  何もかもが上手くいく力を天から与えられ、

  誰もが俺の顔や体を求める。

  声も、だったか。極楽の、妙楽たえらくの調べのような……、

  ……俺が一際鳴くときが一番良いらしいぞ?」

 

 青く、美しい宝玉がはめ込まれた美しきかんばせは貼り付くほど近く、冗談の一切はなかった。蠢く、赤い舌。囁きが、振動して伝わる。


 「リディ。

  俺は、お前の言う日本とやらに行ってみたい。

  そうすれば俺はやっと、お前と対等になれる気がする……」

 

 息が、詰まった。

 (まさか……そこまで、殿下が…………)

 それはまさしく、追い詰められているかのような独白だった。


 「殿下……申し訳、ございません。

  私は……気付きませんで……」

 「リディ?」

 「殿下……あなたが、そこまで気を負われていたなんて。

  思いもしませんでした」

 「……どうしたいきなり」


 心が……軋む。


 「……私は、あなたが立派になられることだけを夢見て……、

  王太子として、国を背負う次期アーディの栄えある国王として……、

  あらゆることを、知恵を、私が学んできた剣技を、

  そして、この世界を生きるために必要な常識社会性、苦労したすべてを、

  あなたに教えたつもりでしたが……、

  逆に重荷に……、なっていたのやも、しれません」


 私は、ぐいぐいと額を押し付けてしまった。

震える、赤いまつ毛が、伏せる私のまつ毛と混じり合う。


 「二十歳なのに。

  私からしてみたら、リヒター殿下、

  あなたはまだまだ社会に一歩踏み出したばかりの……、

  子どもです」

 

 不敬だとは思う。

だが、それでも、私は言葉にしなければならない思いに捉われていた。

 ――――私は、悔いていた。

私のやり方は、間違っていたのではないか、と。

 前々から、感じてはいたのだ、私は……この幼かった子を、誤った道に進めてしまったのではないか、と――――

 鼻の奥が、つん、とする。


 「……リディ?

  泣いて、いる……?」


 そんな私の頬を濡らす、温かなものが、殿下の頬にもかかった。

ぴたりと、貼り付くような落涙を、殿下は信じられないものを見るかのような目で、見詰めていた。掠れた声で、


 「リディが……」


 ぱくぱくと口を開き、顔を離す。そして、私の苦しげな表情をじっくりと観察するようにして見てとった彼は。私の眦からこみ上げてくる感情と共に流れ出る涙を、指でかすめ取り。第二関節あたりまで濡らしたそれを、じっと確かめ。指腹を合わせ、それが本当に涙という液体なのか、さも確かめているようだった。擦り付けてやると、さらさらと消えていくそれに、意表をつかれたようで。

 次第に。逡巡していた青き瞳がひたと、止まり。す、と鋭くなり。

 その美貌王子たる象徴のかんばせを。赤く、染めた。

空気が。突然に、ぴりぴりとしたものに変化した。従卒も、いつの間にか姿を消している。

 私はといえば、殿下の急速な変化についていけず、びっくりしてしまって声が詰まる。


 「リディ、リディを泣かせた……、

  この国は、リディを泣かせたのか?」

 「……で、殿下?」


 いや、違うこれは。

たちまちに、私は殿下の感情が、悪いほうへと転がって入っているのを目の当たりにしてしまった。


 「――――滅ぼさずにおいてやったのに」


 恐ろしいほどの、声が。

腹の底を冷やすようなものが狂王子の口から出て、冷や汗と鳥肌がぶわりと全身を覆う。


 「殿下!」

 

 私は慌てて、立ち上がる殿下に縋りつく。


 「ど、どうか!

  その怒りは、沈めていただきたい」

 「何を言っている?」


 と、殿下はにっこりと仰ぎ見る私にほほ笑みながら。

その双眸に、本音を宿したままでいる。

 ぞっとした。私の指先が、殿下の寝間着を掴んだまま震えている。リヒター殿下の、するりと、寝間着から覗いた双肩はあまりにも滑らか過ぎたから。

 芸術家の傑作としか言いようのない上半身、裸体が暗闇に浮かび上がる。綺麗な肌は、玉のようで。健康的な色の胸や、骨の陰影が酷く艶っぽい。

 私は、アーディ王国の貴重なる血筋を引かれる勇者の末裔、稀代の魔術師ともいうべきリヒター王太子殿下を抑えきれなかった。


 「で、殿下……」


 ごくりと、喉仏を動かす。


 「大丈夫だ、今は。やらぬ。

  だが……あの駄犬が、この国が。

  我がアーディにとって不具合を起こすようならば。

  ……名も無き土地になるように、瞬滅す。

  徹底的に。絶対にだ」


 私は、殿下の手が私の頭を撫で、梳いていくのをただ受け取るばかりだ。

指間に光る指輪の、その宝石の数々がキラキラと輝いている。


 「リディ。

  もう、決めたことに反旗はできんぞ。

  良いな、これでこの国は我がアーディにとって、

  価値が下がった。

  明日は早い。

  ……眠れ、リディ」

 「……は」


 だらりと垂れさがりたくなるのを耐え、私は殿下のための膝を折る。

私の、主のために。

 

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