十話
人が集まるであろう酒場で情報収集、といきたいところだが、お天道様は中天もど真ん中。金環国家バージルもまた、大多数の人間が日の出ている間に仕事をするお国柄なので、昼間っからお酒を嗜むにしては悪目立ちが過ぎる。
私が三日前に宿泊した、サービス業満載な破廉恥有りの乱痴気騒ぎで問題ない、な宿場町であれば、真っ昼間からでも別にへべれけになったところで特に文句を言われる云われはないが、さすがにTPOを重んじずに目立つ行動はとりたくない。
(それに何より、昼の酒場じゃ人が少なすぎて情報の集まりも悪いだろう)
人口多い首都なだけあって呑兵衛らしき人物もいるようだが、眉を顰められる行為であるのは、かつての敵国であっても同等のようだ。どこぞのおばちゃんに酒臭い爺さんががっつり叱られているを目撃してしまった。昼間っから酒。呑んで疲れを癒したい、などと私と似通った思考回路をしていた爺さんに、ご愁傷様とだけ呟く。
軽くため息をついてから踵を返し、足を向けたのは、現在、日本人が集められているという噂の宮殿である。ちらちらと遠目でも目に付く、尖った黄金の屋根。
碁盤の目の中央を向かえばよいだけだから、あっという間であった。
そこそこの人の流れのままに身を任せ、すいすいと歩んでいく。さすがは首 都。人通りは多い……が。私のような異国の人間ともちらほらと目が合う。
まぁ、私もまた異国の、さらに内側は異世界の人間だが。
正面出入り口をいったん通り過ぎてから、物陰にあった木箱の一角に腰を落とし、物陰から注視する。
我がアーディ王国に比べ格は落ちるが、ある程度の荘厳さはあった。
群れる尖塔の、見事な黄金が散りばめられた屋根は光を浴びて燦然と輝いている。純白の壁は何度も塗り替えられているためか汚れが目立たない。国境沿いの掘っ立て小屋が泣いて叫ぶレベルで金をかけているのは分かる。なんともはや、と嘆息する。
それは、金環国家の名前負けしない風貌の、煌びやかな宮殿であった。
あの高層にある白亜な出窓から、まさにどこぞのプリンセスが手を振って出てきそうな雰囲気が醸し出されているあたり、正直、灰被り姫的な雰囲気さえ感じさせる。ただ、一般庶民が住まう、周りのアジアちっくなものばかりが所狭しと並び立つ建築物と比べ、あまりにも飛びぬけて異質な宮殿、いや、お城でもあった。
「……何故に、洋風なのか」
まるでアトラクションに迷い込んだかのような既視感がある。見回したが、周囲にスタッフらしき人はいない。居るのは警ら中の兵士らのみ。もし私の手元に写真を撮る機械があれば、たちまちに記念撮影を開始するだろう。それほどまでに見事な建築物だが、ここは千葉県じゃない。齟齬なく異世界だ。この世界に40年近く私は地に足をつけて生きてきたのだ、間違いない。九十九里浜もない。あるのは萎びた、色合いも姿形も変化してしまった子供の頃、寝ても覚めても決して元に戻らなかったという無駄な努力をしてた金髪碧眼のおっさんと、敵の侵入を阻むほどの水辺としかいいようのないお堀に守られて佇むドデカいお城のみ。
そう、この洋式のお城、日本の城跡によく見受けられるお堀に囲まれていたのだ。水の入った、堀に。堀の向こう岸に城壁がある。その先から、にょきっと生えた美麗な城の外観を眺めることができるものの、さすがに内部だけは分からない。突出したお城をのんびりと仰ぎ見ることができる程度だ。
その、堀のど真ん中に位置するお城から、まっすぐに一本だけ伸びた橋がある。そこのみが、この金環国家中枢へ向かうことが可能な一本道なんだろう、遠方にいる門兵は微動だにせず。ただ、黙って閉じられた城壁の扉の前で佇んでいる。その手前あたりを、観光客らしき人物がちょろちょろとうろついていたり、あるいは、一般市民のご老人が日課の出歩きをしているような、そんな風情で。静かだった。しかし、この建築様式は。
(金環国家は、どれほどの知識を蓄えたものか……)
私は腰に刷いた剣の柄に手を添え、鼻を鳴らす。
1時間程度粘ってみたが、大きな門が開かれる気配はない。城の周囲は侵入者を警戒してか、堀がぐるりと一巡するべく張り巡らされていて、容易ではなさそうである。一般市民が居るので、ぞろ歩くと良い散歩コースにはなるが、突入するには心もとない穴場(堀)だ。幅もあり、ちゃんと深みある底にまで水も引かれているし、和風であればもしかすると何らかの細工……、たとえば、尖った竹でも埋め込まれてたっておかしくはない。あの堀の中に落ちたらと思うと、ぞっとする。つまりはこっそり侵入するにしては、一般人含めた人の目があって物理的に難しい、ちゃんと日本のお城のような仕組みまであるということだ。
肝心の建ってるものはヨーロピアンだが。
(日本人を見つけました、なんて嘘ついて門から堂々と入ることもあるいはできるかもしれないが、面倒だな……)
得策ではない。
いくら国交を結んだ国とはいえ、ウソついて入るのは良くない。
殿下に願い出れば無理強いで権力を笠に着て入る、なんて行為も可能性としては有りだ。ただそのためには、我がアーディ王国にとって有益でなければならないが……首を横に振る。
無い。金環国家バージルにとって日本人は別格なのだ。
(……無理になんらかの手段で出入りの商人などに扮したりして、こっそり忍びこむにしても、さすがに兵らは鍛えられているようだな)
ざっと視認してみたところ、私の腕ほどではないが、そこそこの技量を持っているようだった。
体重もあるようだし私を取り押さえる人数と道具ぐらい、あっという間にそろえることが可能であろう。でないと、さすがに王の住まう宮殿なのだから、色んな意味で我が国の隣国としてもいささかの不安要素にはなるか……。
それに何より私はこの城の中がどうなっているのか知らない。発見される確率のほうが高い。方向音痴さながら、行き止まりでまごついていたりでもしたら、さすがに国際問題になるだろう。こう見えても、私は騎士団長兼王太子護衛筆頭かつ伯爵家貴族嫡男。せっかくの平和条約という名の不平等条約が揺らいでもしたら困る。
(……他国の牢屋で殿下とお会いしたくはないしな……)
殿下は私を見捨てようとはなさらないだろう。身に染みている。今までの出来事が走馬灯のようにまためぐる。嗚呼、殿下よ、絶対私の寿命は縮まっている。同期の桜が颯爽と城門を出ていき、幸せそうに夫婦ともどもはやばやと定年後を楽しんでいるというのに。
どうして、私はアーディ王国の城に住んでまで仕事をこなさねばならぬのか。
仕事馬鹿といわれてしまうのも、案件をさばける人材が不足しているからだ。今更ながら殿下の人事配分に物申したくもなった。いくら私が仕事大好き人間だとしても、やれる量に限りがある。
重畳にも休みをひと月もいただけたが、これはある種、奇跡なのだ。国王陛下の意向が強く後押ししてくださったのは間違いないが……。
(あの殿下、絶対に今頃、余計なことをなさっているに違いない……)
すんごい歯ぎしりしてたもんな。
どうしよう。だんだんと国に帰るのが不安になってきた……。
眉間に深く刻み込まれた皺を指先でほぐしつつ、ゆっくりと物陰から立ち上がる。
(王城、の位置は把握した)
閉ざされっぱなしの大きな入り口が一つある。
働いている者たち専用の入り口、すなわち従業員入り口もあるのだろうが、舐めるようにして探すにしては、私の図体はいささか大きすぎた。これが村娘の風貌であれば、別ではあるが……生まれ変わったこの手足がいかつい男性なのだからしょうがない。裏口はあとで調べるとする。
他にやるべきは夜を待って酒場で情報収集、ぐらいか。
といっても、私に情報収集なんてたかが知れている。騎士として動き回ることは得意だが、国家中枢がこんなにも絡んだ、おぞましき奴隷制にまで発展してしまった以上、慎重な動きが求められるだろう。
微動だにしない、城門入り口を警備する警備兵を横目に踵を返す。
(さて、次は……)
昼だし。昼食でもとりながら、人を待つか。