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ダンジョンの底で死んだ

作者: 幌雨

ダンジョンに出会い以外の何を求めるっていうんだ!!

 背後に気配を感じて振り返るとそこには、少年が今まで見たことのない魔物が屹立していた。その異様に驚く暇もなく振り下ろされた巨大な拳は彼の肉体を破壊し、魔力を帯びた鉱石がうっすらと光る洞窟の壁に叩きつけた。魔物は少年がどうなったかはまるで気にもとめずに洞窟の奥へと消えて行き、あとに残ったのはギリギリ原形をとどめている少年の死体だけだ。


 やがて少年の死体が淡い光を放ち始めた。その光は徐々に集まって死体の上を漂い始める。死んでしまったから、魂が肉体から分離してしまったのだ。


 光が集まるに連れて意識がはっきりしてくる。最初に少年の魂に浮かんだ考えは「なんだ、今の巨大な化け物は」だった。


 少年が死んでしまったのはこれで五回目だった。一回目は駆け出しの時に崖から落ちて。二回目は魔物に爪でやられて毒で。三回目は別の誰かが魔物用に仕掛けた罠にハマって。四回目はうっかり魔物の巣に飛び込んで仲間ごと全滅。


 そして、今回が五回目。黒いウサギのような外見の小さな魔物を見つけて襲いかかったらウサギが消えて、代わりに後ろに巨大な化け物がいた。正直なところ、何が起きたのかは全く理解できていなかった。

ただ、周りの石の感じが今まで居たところと全然違うから、ウサギに気絶させられてどこか別の場所に運ばれたのかもしれない。単体で攻撃力のない(さっきのウサギみたいな)化け物は、気絶させたり眠らせたりして動けなくした相手を別の魔物に「処理」させることがままあるらしい、とは噂に聞いたことがあった。


 何にせよ。

 死んでしまったのであれば仕方ない。魂だけの状態でできることは殆どない。周りの観察と、考えることぐらいだ。死体から離れることもできない。あとは洞窟に入る前に依頼しておいた「回収屋」が来てくれるのを待っていればいい。


 その時はそう楽観的に考えていた。


◇ 


 回収屋が来ないまま十日ほどが経過していた。朝も夜もない洞窟の中、生理的な欲求が生まれない魂だけの状態では耐え難く長い時間だった。

 暇つぶしと言えばただ地面の砂粒を数える不毛な作業か、たまに目の前を通り過ぎていく魔物の観察だけ。この洞窟の魔物は人間の死体に興味がない。生きているときは容赦なく襲いかかってくるのに。しかしおかげで死んでいる今ならゆっくりと魔物を見ることができた。


 洞窟を闊歩する魔物たちは、少年の常識からは考えられないほどに巨大で、町の噂でも聞いたことのないような姿形をしていた。


 「まさか、最前線を越えてる、ってことはないよなあ?」

 少年の不安がこぼれる。

 あのウサギにどこまで連れてこられたのか判らないが、この洞窟の魔物は深く潜るほど大きくなることが知られているのでかなり「深い」所に連れてこられたのは確かだ。


 当然、深い階層ほどたどり着ける人間は少なく助けも期待できない。ましてや最前線を越えた人類未到の地であれば。その日から少年は自分がどこにいるのかを考えるのは止めにした。


 そして、さらに十日がたった。


 もはや完全に思考力を失った少年の心は、目の前の光景を夢か幻だと思った。

 黒いソックスに包まれた足があった。「視線」を上げると、ソックスと同じ色のスカート。フリルのついた真っ白なブラウス。

 自分の死体の前に、場違いなドレスを纏った少女が立っている。そして自分を見下ろしていた。


 お迎えの天使がきたのかな。

 そんなことを考えていた。彼女が口を開くまでは。


「何をこんなところで死んでいるのです?」


 急速に意識が収束する。しかし、咄嗟のことで上手く「言葉」が出てこない。

「もしもし?」

 少女は少年の顔…といっても、魂だけの状態なのでは本人的には顔だと思っているが客観的にはただの光の球をのぞき込む。深紅の瞳に覗き込まれ、ドキリと胸が高鳴る。

「あ、ああ、助けてください!なんかウサギみたいな奴と戦っていたのに、気づいたらここで死んでいたんです!」


 突然「大声」を上げた少年(の魂)に驚きながらも、少女はその言葉をしっかり理解した。

「ウサギ、ですか。それはこう、人間の頭くらいの大きさで宙に浮いている黒い毛玉の事ですかね?」

 少女の言った特徴は少年が見たものと完全に一致している。

「そうです、それです」

「なるほど。それは、プーカプーカですね。絶対数が極端に少ないので出会うだけで奇跡的な魔物ですね。私も最後に見たのは十年ぐらい前でしょうか」

「十年前って、君、何歳なの?そんなに昔からクローラーを?」

 どう見ても自分と同じくらいにしか見えないのに。

「女性に気安く年齢を聞くものではありませんよ」

「あ、、ごめんなさい」

 少女の深紅の瞳が炎の色に変わる。すぐに話題を逸らさなければ。ここで彼女の機嫌を損ねて立ち去られると、次にいつ人が通るのかわからない。


「ごめんなさい。できれば助けていただけるとうれしいのですが。もちろんお礼は差し上げます」

 できるだけ彼女を刺激しないように丁寧に頼む。

「それは難しいですね」

 即答だった。


「な、なぜですか!?」

 クローラーの間ではこのようなことは日常茶飯事なのだ。お互い様なので戦闘中でもない限りこう言うときは助け合うものだ。

「いえ、別にめんどくさいとかあなたが嫌いだとかめんどくさいとか言うのではないのです。単純に、私はあなたを生き返らせるような手段がない、という意味です」

 両手を広げて見せる。確かに危険な洞窟の中とは思えない軽装だった。まるでカフェにでも出掛けるときのような装備だ。腰に下げている鞭のようなもの以外は何も持っていない。杖や魔導書も持っていないから魔法使いというわけでもなさそうだ。

「そんなこと、僕の死体を上まで運んでいただけるだけでいいんです」

 もちろん彼女がただ単にめんどくさがっている事など百も承知で、そこはあえて無視した。

「あなた、こっぴどくやられてまるでぼろ雑巾じゃないですか。体中が血液でベタベタですし、そんなあなたを抱えて上まで運ぶなんてちょっと無理ですね」

「ひ、ひどい!困ったときはお互い様じゃないですか!」

「生憎、私は強い上に分をわきまえているのでこんなところで無様に死んだりしませんよ」


 なんと言うことだ。ようやく出会えたこの娘は、他人のことなんか微塵も気にしない人でなしだった。自分の運の悪さを嘆くしかない。

「な、ならせめて、誰かに会ったら僕がここで死んでいるのを伝えてください」

「はあ、それぐらいなら構いませんが、誰かに告げてどうするんです?」

「もちろん、助けに来てもらうんですよ。他に何があるって言うんですか!」

「いやあ、それはちょっと難しいと思いますけどね?」

「なぜですか!?」

「だってここ、二百二十層ぐらいですよ?こんな所から『回収』されたら財布がいくつあっても足りませんって。それにこんなところまで潜れるクローラーなんか私は私以外知りませんし、もちろんこの辺で誰かに会ったこともありません」

「え、ちょっと待って?」

 二百二十層だって!?公式な到達記録より六十層も先じゃないか!


「プーカプーカはかなり特別な魔物でしてね。物をどこか別の場所に送る『転移』の能力を持っているんですよ。基本的に臆病なんで、人が来るような浅い所には滅多に出ないんですが、不運でしたね。いや、石の中に飛ばされなかったんだから幸運か。ま、気が向いたら伝えておきます。それでは、お達者で」


 ぺこり、と小さくお辞儀して、散歩に戻るように彼女は少年のそばから離れていった。その姿が見えなくなってけらもしばらく彼女が言ったことの確からしさについて考えてみたが結局答えは出ず、諦めて日課である足元の砂粒を数える作業に戻った。





「あ、まだ居たんですね」

「そりゃ居ますよ」

 八万ほどの砂粒を数えたところで、不意に声をかけられて振り向くとそこには昨日の少女が立っていた。


「あの後ちょっと用事があったんで上まで登ったんですがね?」

 そんなことを言い出す。

「ちょっと二百二十層あたりで人が死んでるんですけど、って何組かに声をかけてみたんですが、私がちょっと嫌な気分になっただけでしたよ」

「それは、なんというか申し訳ありません」

「いえ。それでなんだか癪なので、私があなたを助けることにしました」

「マジっすか!!」

「マジっすけどもうちょっと言葉遣いに気をつけた方がいいですよ?」

 確かに、折角やる気になってくれたのにこの機を逃すわけには行かない。

「申し訳ありません。とてもうれしいです。あ、でも実はあんまりお金がなくて…」

「別にお金には困ってませんから良いですよ。これは私がやりたくてやることなんですから」

「天使か!」


「で、その方法なのですが」

 言いながら少女は昨日は持っていなかった背嚢からロープを取り出す。

「これであなたを引きずって行くことにします。それなら汚れないので」

「あ…わーい、嬉しいな」

 少年の返事を待つことなく、彼女はロープをかける場所を探し始めた。

「ここがいいでしょうか」

「首ですね」

「何か問題でも?」

「…いえ、特にありません」

 本当はあるが口にはしない。


「さて、行きましょう」

 首にかけたロープを引っ張って少女は歩き始める。

「上で人に会ったのなら、その人を連れてくることはできなかったんでしょうか?」

「それはちょっと難しいです」

 少女が答えると同時に、洞窟内に雄叫びが響いた。その残響が消えないうちに、洞窟を揺らすほどの足音が聞こえてくる。

 足音の主は額に立派な角がある化け物だった。

 化け物は少女が視界に入ると猛烈なスピードで突っ込んでくる。巨体に似合わない猛烈な速さだ。

「二百層より下はそれまでとは比べものにならないくらい祇の眷属の力が強大です」


 祇の眷属、というのはこの洞窟に住む魔物のことだ。神の眷属である人間とは全く違う理でいきるもの。今では単に魔物と呼ぶのが主流になっているが、一部の意識の高い人達はそう呼ぶ。

 少女は死体を引きずっていたロープを手放して、腰の辺りに留めてあった自らの武器に手をかける。それは、深い深い藍色の鞭だった。

「あなたも殺されたならわかるでしょう?こんなの、多少デキる程度でどうにかなるわけがない」

 世間話をしながら振り抜かれた鞭は、あっさりと音速を超えて爆音を轟かせる。その音に合わせて角の化け物は爆散した。

「いや、何の問題もなくここまで連れて来れるのでは…」

「もしもという事がありますからね。それに…」

 腰のホルスターに戻した鞭の代わりにロープを拾いながら、少女がちらりと少年を見て顔を逸らす。

「こう見えても私、人見知りなんです。見つめ合うと素直におしゃべりできないのです」

「僕とは平気なんですね」

「死人とは目が合いませんからね」

 なんとなく少女の対人スキルが(戦闘能力に比べて)著しくては低いことを察していた少年は、このまま引きずられていく覚悟を決めた。



 少女が鞭をふるう度に洞窟に爆音が鳴り響き、魔物の肉が弾け飛ぶ。もしも自分が生きていて彼女とパーティーを組んでいたら、その恩恵は彼のレベルを最初の何倍にも引き上げていただろうことは容易に推測できる。

 神の眷属たる人間は、祇の眷属である魔物を殺すと神の恩恵を得る。その恩恵はわずかなものだが肉体や魔法の力を強化していく。彼女ほどの強さを得るためには一体どれほどの恩恵を積まなければいけないのか、全く想像もつかない。さっき彼女にレベル(これは受けている恩恵の量を比べるための目安として教会で教えてもらえる)を聞いたら、女性に気安くレベルを訪ねるものではありませんよ、と窘められた。


「あの魔物はなんて言うんです?」

「はあ、蜘蛛男、ですかね」

「じゃあ、さっきのデカいのは?」

「牛男、と私は呼んでいます」

「あ、今出てきたこいつは何です?」

「こいつも、牛男ですね」

 牛男を爆散させながら少女は答える。最初こそ出くわす魔物の異形ぶりにいちいち怯えていた少年も、今では少女の無敵ぶりにすっかり慣れてしまっていた。階層があがって少し魔物のサイズが小さくなったこともある。

「適当すぎやしませんか?」

「一種類ずつに名前を付けていたらキリがありませんよ」

「そんなもんですかね」

「そんなもんですよ」


 少女は飛び散ったら牛男の肉が服についていないか確認してから歩き始める。

「ずっと不思議だったのですが、もしかしてこの洞窟の道をすべて覚えているのでしょうか」

「何故です?」

「いえ、順調に階層を登って来ているみたいですけど、一度も地図を確認していないので」

 少年の問いに、キョトンとした少女の顔。 

「あれ?僕何かおかしな事を言いましたか?」

「…いえ、適当です。適当に進んでいるだけです。ラッキーですね」

 少女が何かを隠していることには気づいたけれど。

「そうですか。ラッキーですね」 

 気づかない振りをした。



 唐突に洞窟の天井が高くなった。

「さて、ここが山場ですよ」

「どこなんです?ここは」

「だいたい二百層ぐらいのところですね」

 引きずられはじめてからおよそ半日ぐらいは経っているだろうか。もう二十層ほど上ってきたらしい。出くわす敵をすべて一撃で屠り、休憩らしい休憩はとっていなかったとはいえ、これは驚異的なスピードだった。普通は階層を一つ移動するだけで半日仕事になる。出くわす魔物の大きさを考えると(彼女がすべて一撃で倒してしまうので強さはよくわからない)、半日では利かないはずだ。


「この階層は他と違って上下につながっている縦穴が一カ所ずつしかないのです」

「そんなバカな」

「洞窟自体は自然のものですが、魔物が住んでいますからね。所々そいつ等が住みやすいように改造されて『巣』になっているところがあるのですよ。ここはその一つで、餌をとりやすいように他の縦穴全部が塞がれたみたいなんですよね」

「一階層丸々ですか…!」

 巣の存在自体は承知している。巣につっこんで死んだこともあるくらいだ。それでも、階層丸ごととなるとちょっと想像がつかない。

「上から人を連れてくることができないと言った理由がここにあります。この巣を作った連中は、正直私でも少し手を焼きます。誰かのお守りをしながらではとても抜けられませんよ」

「そんなになのですか」

 少女の強さは完全に規格外だ。ここまで息一つ乱すことなくやってきた。その少女がそう言うのだから、そうなのだろう。


「まあ、ここでボサッとしていても仕方がないので、先に進みましょうか」

 さらに進むと、ぽっかりと道が開けた。天井まで一体どれくらいの距離があるのか、薄暗い鉱石の光ではわからなかった。左右も同じだ。所々、出てきたところと同じような横穴が開いているのが見える。

「あの横穴のどれか一つが上につながる道で、それ以外はこの巣の主達の寝床だと思ってください」

「マジですか」

 開口部が三メートル以上はある横穴が、少なくとも二十は下らない数見えている。この空間の広さを考えると五十以上の巣穴があると思った方が良さそうだ。

「なに、奴らも全部が全部活動しているわけではないですからね。運が良ければ数匹しか出て来ないことも…」

 ピクリと彼女の視線が暗闇を見据えて止まる。その先を見ると、うっすらと揺らめく炎がいくつも見えた。

「運が悪ければ十匹以上に囲まれることもあります」

 言いながら、死体を引きずっていたロープを振る。少年の遺体が飛んで、そのすぐ後を赤い炎が地を這うように嘗めていった。

「な、何が出てくるんです?」

「まあ、トカゲのデカい奴ですね」

「トカゲは火を吐きませんよね!?」

「吐くやつも居るんじゃないですかね、祇の眷属には」

 口の端から煙を吐き出しながら、トカゲが巣穴から這いだしてきた。体高で一メートルくらい、体長は尻尾の先まで入れれば三メートルは優に超える。トカゲと言うにはあまりにも巨大だ。


「僕、ああいう奴昔絵本で見たこと有りますよ。ドラゴンっていうんですよね」

「そうですね。私はリトルファイアドラゴンと呼んでいます」

「リトル!?」

「あのぐらいならドラゴンの中では可愛いもんです」

 会話している間に、巣穴から起き出してきたドラゴンたちにすっかり囲まれてしまった。その数は、二十。

「ちと多いな」


 ドラゴンの一体が、突如威嚇するように吠えた。一番大きな奴だ。群のリーダーかもしれない。

「やあトカゲさんたち。ちょっとここを通りたいだけなんだが、ダメかな?」

 少女は威嚇をものともせずにそんなことを言う。


 ドラゴンは再び吠えた。

「交渉決裂ですかね」

「交渉できるんですか?」

「成功したことはありませんが、伝説だと高い知能を持ってるって話ですからね。でも所詮はトカゲですよ」

 その言葉に反応したのか、再びドラゴンが吠えた。その度に洞窟全体が震えているような気さえする。


 ドラゴンが一斉に首を煽る。その口からチロチロと炎が漏れていた。さっきの火炎放射だ。周りをぐるっと囲まれていて逃げ場がない。

 瞬間、真っ暗だった洞窟がドラゴンの吐いた炎で煌々と照らされた。

 気が付けば、少年はドラゴンの群れを見下ろしていた。少女が彼を思いっきり放り投げたのだ。

 投げた本人と目が合った。笑っていた。

 そしてすぐに視線を切るとドラゴンの群を一瞥。手にしている愛用の鞭を振りかぶり、ドラゴンの頭めがけて振り下ろした。


 ズガン!と空気をふるわせる音がしてドラゴンが大きく仰け反った。これまで遭遇してきた魔物たちは全て一撃で爆散していたからその硬さが際立つ。

 仰け反りながらも少女を睨みつけるドラゴンに対して二度三度と鞭を振る。その度に洞窟がビリビリと震えた。


「クオオン…」


 遂に最初の一匹が倒れた。

 ドラゴンたちは動揺しているのか、少女から距離をとって遠巻きに眺めている。

 少女が一歩前に出ると一緒にドラゴンの群も動く。

 そのあたりで少年の死体が地面に落ちてきた。物音にドラゴンが気を取られた刹那、少女が動く。

 肉食動物のようなしなやかな身のこなしで群の中を縦横無尽に駆け巡り、踊るようにくるくると鞭を振り回す。少女のダンスに合わせて洞窟はビリビリと震え、竜の悲鳴がこだました。

「圧倒的じゃないか…何が私でも苦労する、だよ」


 気がつけば、三十近くいたドラゴンがすべて地べたに這い蹲っている。

「十分苦労したでしょう?ムダに硬いんで一匹片づけるのに四回は叩かないといけませんし、その間に他の奴が出てこないように牽制もしなくちゃいけない」

「それはそうなのかもしれませんが」

 レベルが高すぎてその技術の高さを測る尺度を少年は持ち合わせていなかった。

「では、次がくる前に先に進みましょうか」

 少女は無数にある横穴の一つに迷わず入る。そしてそれは、やはり上の階層につながっていた。



「流石に少し疲れました」

 そう言って少女は唐突に立ち止まる。


「疲れるのですか」

「当たり前です。あなたは私を何だと思っているのです?」


 その質問に少し考えて。


「化け物…」

 睨まれた。

「みたいに強くてかわいい女の子」

「かわいいは余計です」

 そう言いながらも、機嫌は悪くない。


「そろそろ百六十層あたりになるはずです。ここいらなら誰か別のクローラーに拾われる可能性があると思いますが」

 思えば、さっきの「疲れた」は前振りなのだ。ここらに死体を放り出してあとは最前線のクローラーにお任せ。めんどくさがりな彼女がいかにも考えそうな事である。

「できればもう少し先までお願いします。できれば、誰かと遭遇するまでは一緒に居て欲しいです」

「図々しい男ですね」

 はあ、と小さくため息。


「もういっそのこと私の仲間になりませんか?」

「仲間、ですか」

 少年は今までのことを思い返す。高々二十層でネズミの群に追いかけ回されただけで死にそうな自分と、二百層のドラゴンの群を傍目には簡単に退けてしまった少女。どう考えても釣り合わない。足手まといなんてものじゃない。

「あ、足手まといになりそうだとかは気にしなくて良いですよ。このまま、私が死体のあなたを引きずって歩くだけですから」

「それって仲間って言うんですかね?」

「話し相手は立派な仲間ですよ」

 しかし少年にもプライドはあった。

「大変嬉しいですが、やっぱり僕は生き返って自分の足で歩きたいです」

「そうですか」

 その声色は少し残念そうで。しかしそれは少年のただの願望だったのかもしれない。


「生き返ってもし僕があなたの所までたどり着けたら、その時に仲間にしてください」

「無理だと思いますけどね」

「僕が弱いからですか?」

 確かに、今のままならあの竜の群を越えて二百二十層にたどり着くのは絶対に不可能だ。しかし彼女ほどの恩恵を積めれば、それは不可能ではないはず。

「あ、いえ」

 少女は少し言いにくそうに躊躇うと、

「私、生きている人とはうまくお話しできないので…」

 そう言って、再びロープを引いて歩き始めた。



 百五十層より上は格段に進むペースが早くなった。何しろ、遭遇する魔物がこちらを見ると血相を変えて逃げ出してしまうのだ。何も考えずにただ歩いていけばいい。

「僕リザードマン見るの初めてです。好戦的な奴だって聞いてたんですけど」

「ああ、あのトカゲ男ですか。確かに好戦的ですが、明らかな目上に突っかかるほどバカではないのですよ」


 さすがに百五十層を越えてくると、話に聞いた事がある魔物が沢山居る。

「スカーレットスパイダー」

「赤いクモ」

「あれはフライフイッシュですかね?」

「魚です」

「パープルマタンゴ?」

「キノコですね」

 そして彼女の呼び名は相変わらずシンプルだ。クローラーたちが「発見」して頭をひねってつけた名前には一切関心がない。

「あいつは絶対に火で炙ったらダメなんですよ。幻覚を引き起こす物質が気化して大変なことになりますからね」

 少女は気まぐれに魔物たちについての知識を語ることがあった。適当なのは名前だけで、魔物たちの生態や対処法については驚くほどに博識だ。クローラーとして非常に優秀なのは間違いない。


 その時、少年はふと町で噂に聞いたある魔物のことを思い出した。

「そういえば、レイス、って見たことあるますか?」

「レイス?」

 だからクローラーの呼び名で聞いても意味はないのだが。

「うーん、あなた流で呼ぶと、お化け少女、でしょうか」

「お化け。さて、心当たりはありませんね」

「そうですか。いやね、クローラーの間で語り継がれている噂というか、伝説みたいなものなんですけど、ドラゴンみたいに本当は居るのかな、と」


「ちなみにどんな奴なのです?」

「噂では、ただ見てくるらしいです。そして追いかけると逃げるとか」

「それはただの人間なのでは?」

「それだと逃げる理由がないでしょう」

「罪を犯して追われているとか」

「そうかもしれませんね」

 会話が途切れる。


「実は、僕そのレイスってあなたのことなんじゃないかと思ったんですよ」

「私?」

 ぎろり、と睨まれた。

「だってあなたはずっとひとりでこの洞窟に籠もっているんでしょう?それをたまたま最前線で見た人が居て、こんなところに女の子が一人で居るはずがない!化け物だ!って」

「誰が化け物ですか」

「あ、なんかごめんなさい」

 しばらくの間話しかけても返事をしてくれなくなった。



 誰とも会うことなくどんどん階層を上って行く。常識はずれのスピードだ。複雑に入り組んだ通路を右へ左へと曲がって行くと、数分のうちに上へと通じる縦穴が見つかる。

 いつしか見かける魔物たちが少年にも見慣れたものになっていた。もう三十層あたりだろう。


「さて、そろそろ限界ですかね」

 そう言って、少女は立ち止まった。

「何故です?ここまで来たんだったら外まで持って行ってくださいよ」

「ここなら、すぐに誰かが通りかかって助けてくれるはずです」

「そ、それはそうですが…」


「随分ボロボロになってしまいましたね」

 ちらり、と少年の死体を見やる。ここまで二百回層分引きずられていたせいでもともとボロボロだった死体がかなり痛んでいる。どんなにボロボロでも魔法できれいに治るから問題ないとわかっていても複雑な気分だ。

「こんな状態の死体を引きずって歩いていたら、誰かに会ったときに私の印象が悪そうですね」

「そこに気づいていただきましてありがとうございます!あなたが外の教会まで運んで生き返らせてくれれば何の問題もありませんよ!」

「図々しい男ですね」

「はいすいません。本当に帰れそうなのでテンションが上がってしまって。ああ、あなたが外に連れて行ってくれると嬉しいのは本当です。お金はあんまりありませんが、お礼させてください。一緒に食事でもどうです?」

「ナンパですか?あなたと食事するとグチョグチョの死体を思い出して食が進まない可能性があるので遠慮します」

 それはもう全くとりつく島のない拒絶だった。いっそ清々しい。


「それは、やっぱりあなたがレイスだから、でしょうか?」


 少年の言葉にぴたりと少女の足が止まる。

「私が化け物だと?」

「…ええ。少し前にその話をした時、あなたは怒ったけれど否定はしなかった」

 少女は黙ったまま聞いていた。それはやはり肯定のように思う。


 沈黙が続く。


 遠くで物音がした。この近くでクローラーが戦っているのだ。その音は当然彼女にも聞こえているはずで。いや、彼女ほどの恩恵を持ってすれば、自分より遥かに前から気づいていたはずだ。だからこそ、彼女はここらが限界だと言ったに違いない。


「もう何年前になりますかね」


 やがて観念したかのようにぽつりと少女は言った。


「私も昔、プーカプーカに洞窟のかなり深いところに飛ばされました。三百五十層のあたりでした。飛ばされた私の目の前には、ドラゴンがいたんですよ」

 少年は二百層で見たドラゴンのことを思い出す。それより百五十層も深いところのドラゴン。

「あれは『リトル』だと言ったでしょう?私の目の前にいたのは、サイズで言えばあれの十倍ぐらいでしょうか。そいつは私を見た瞬間に火を噴きました。その炎で私は死んだのです。死体すら残らなかった」

 少女は淡々と自分の死に様を語って見せた。その表情には一切の苦しみや悲しみはなく、ただ何となく、哀しげだった。しかし彼女の話はクローラーの常識からは看過できない矛盾を孕んでいる。


「死体が残らなかったのに、どうやって生き返ったのですか?」

 どんなに偉大な僧侶でも、肉体を失ってしまった人間を生き返らせることはできない。

「別に、生き返ってなどいませんよ。私もその事に気がついたのはこんな事になってから結構経ってからでしたけどね」

「魂だけで、動きわまっている、と?」

 少女は首を振った。


「この洞窟の生き物、祇の眷属を洞窟から出すとどうなるか知っていますか?」

 少女のその問いに答えるのはクローラーであれば容易い。

「すぐに塵になって消えてしまいますよね。あらかじめ死体から切り取っておいた『部品』は何ともないのに」

 少女が何を言おうとしているのか。少年はこの時点で正しく理解していた。

「飛ばされた後、何とか洞窟の入り口まで戻ってきたのですが、そこで私は自分がどうなったのか、なぜそうなってしまったのかを唐突に理解しました。正確に言えば、崩れていく体を目の当たりにしたことで、そんなはずはないと否定し続けていた事を信じざるを得なくなった。気がついたときから頭の奥で鳴っていた声のことも、どちらへ進めば次の階層にたどり着くのか直観的に分かるようになっていたことも、それまでとは比べものにならないくらい強くなっていたことも、全部」


 ロープから手を離し、少年の死体から少し離れる。誰かが戦っている音が聞こえてくる方とは、逆へ。

「私は、洞窟の奥深くで肉体を失ったせいで、その階層にふさわしい祇の眷属として生まれ変わっていたのです」


 少女の告白を、少年は黙って聞いていた。ある程度は予想していたことだ。予想していたからこそ、少女の声でそれを聞いてもまだ落ち着いていられたのかもしれない。


「もう一度問いましょう。私の仲間になりませんか?」

 それは前回同じ問いだったが、明らかに前回とは意味が変わっている。


「それは、レイスに、つまり祇の眷属になろう、という意味ですよね」

「その通りです」

「可能なのでしょうか」

「わかりません。しかし、できるという確証はあります」

「どのような?」

「言葉で説明するのは難しいです。私が祇の眷属になったことをその瞬間から本当はすべて理解していたのと同じように、そういうものだと理解してしまっている」

 彼女が言うには、この洞窟の深いところ、恐らく二百より下の階層で肉体が滅べば、人間はレイスになってしまうらしい。自分がそうであるように、人間が死してなお魂だけの状態で存在していられるのはその前段階にすぎないと。階層が浅いところではレイス化の力がうまく働かず、肉体を失えばそのまま消えてしまうのだ、と。

「仮にうまくいったとして、どうするのですか」

「もちろん、この洞窟の最深部を目指します」

「なぜ?」

「理由が必要ですか?すでにクローラーとしてこの洞窟に足を踏み入れているあなたに?」

「そうですね」

 人それぞれ洞窟に潜る理由をあれこれ語ったとして、その根っこにあるものは同じだ。稼ぎたければ他にもっといい仕事はいくらでもある。有名になるにしてもそう。命を懸けて洞窟に踏み込む理由など、どう繕っても一つだけだ。


「それに、この洞窟の先には、間違いなく何かがいます。我々が『祇』と呼んでいるそれが、必ず。祇の眷属はみんなその声に呼ばれている。私はそいつを見てみたい」

「まさか!」

「います。あなたも眷属になれば嫌でも理解できますよ」


 神話の話だが。

この世界には人間を作った『神』と魔物を生み出した『祇』という二つの超存在が居る。それぞれは全く別の成り立ちをしているので、それぞれの眷属は共に生きることができない。


「ならば神の眷属である人間にも『神』の存在が確信できるのでは?」

「そんなこと、私が知るわけないでしょう。神官にでも聞いてくださいよ」

 本当に興味がないように吐き捨てた。それもそうだと納得する。

「最後に一つだけ確認させてください。人間と協力しあうことはできないのでしょうか」

「不可能です」

「なぜですか。あなたも元は人間で、こうして話もできるのに」

 はあ、と少女はため息をついて。

「私とあなたがこうして会話できているのは、あなたが二百層越えの深いところで死んで私みたいになりかかっているからですよ。洞窟の中で祇の眷属を見つけたときの事を思い返せばわかるでしょう?外の生き物にどんなに似ていたって、見ただけで祇の眷属と解るじゃないですか。どうやら私ぐらいのレベルになると人間にはとんでもない化け物に見えるらしくてですね、此処まで誰とも出会わなかったのはそのせいでもあります。勘のいいクローラーは私の気配を感じると別のルートに入りますから」

 思えば、少年がパーティーを組んだ事のあるメンバーの中に危機察知能力の高い奴がいた。

「だから私は、生きている人とはうまくお話しできないのです」

 ああ。なんて寂しい笑顔で言うのだろう。


「僕がいますよ」


 なけなしの勇気でそう言ったのだが。少女は無言だったが、その顔は怒りにも似た表情で。

「僕が戻れば、貴方のことを伝えることができます。そうすれば、他の人だってきっと」

「こんな低層階で死んでいるような人の話をどれだけの人が信じるでしょうか」

「それでも、いつかは必ず。他のクローラーが二百階層を越える日も来るでしょう。そうすればきっと」


「なるほど、いつ来るかも判らないその日まで私は一人この洞窟の奥底で待っていれば良いんですね?」

 ひたり、と少女の言葉がナイフのように喉元にふれた気がした。

「それはいつですか?私はもう十分に待ちましたよ?偶然あなたを見つけた私がどれだけの奇跡を感じたか、あなたは理解しているのでしょうか?」


 それは泣き顔にも似ていて。

 思えば少女はこれまでも、どれだけの間この洞窟にいたのかということについてだけは悟らせないようにしていた節がある。

 きっと彼女はそれを伝えることで自分の判断が変わってしまうことを確信していて、そして恐れている。

 それを伝えられた自分は果たして本心から彼女に応えることができるだろうか?

 それはたぶん、否だ。


 そもそも自分は死んだ身で。彼女がその気になれば有無を言わせず自分をもっと深いところに引きずりこんで死体を焼くこともできるのだ。


 それなのに。


 それなのに彼女はここまで引きずってきて少年に選ばせる。

 遠く聞こえていた戦いの音がいつの間にか随分小さくなっている。あまり時間はない。


 少女を見る。


 最初に感じた不遜な態度はすべて演技だったと今の自分ならわかる。理屈を越えたところで解ってしまう。


 選ばなければならない。


 自分がどうしたいのかを。

 気を使われた答を彼女は求めていない。自分の心の中にある答を、そのままに。

「僕は──」

 自分が選んだ答えの正しさは誰にも判らない。

 それでも少年は自分が選んだ答えを信じなければならない。

 それが彼女に対する精一杯の誠意であり、唯一の正しい答えなのだから。


「できるだけ早く殺す」というコンセプトだけで書きました。

最後は好きなように想像してください(逃走


あえてルビを振りませんでしたが、

神:あまつかみ, 祇:くにつかみ と読む想定です。

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