15
「あんな風に泣いてる伊東くんを見るの、初めてだった……」
見ているだけで苦しかった。そして側にいる多美は伊東に何もしていなかった。慰めるのでもなく、声をかけるのでもなく、ただ一緒にそこに立っていた。
でもそれだから、伊東は多美の前であんなみっともない姿で泣いたのだ。絶対に蓉子には見せない隙が、そこにはあった。蓉子は二人に気付かれないように、足早にその場を立ち去った。
「梶原さんの前でなら、あんな風に泣くんだって、ちょっとショックでさ。前々から気付いてたの。伊東くんが梶原さんをよく見てること。授業中とか、昼休みとか。なのにまったく声をかけないから尚更思った。伊東くんは、今度は梶原さんが好きになったんだって」
なんであんな人好きになったんだろう。
千葉さんの呟きに多美は胸をつかれた。
「ずっと好きだって言って側にいようと思って、たくさんたくさん頑張ってるのに、全然振り向いてくれないし、こっちの苦労なんて気がついてくれないし。それは私が勝手にやってることだからいいんだけれど……やっぱりめげるっちゃ、めげるよね」
本当にこの人、伊東くんが好きなんだ。
伊東くんは「千葉には期待させないように」と以前言っていて、本当に思いは通じていない。けれど伊東くんがあっちゃんを諦められないように、千葉さんは伊東くんを諦められない。もどかしいけれど、人の心はどうしようもない。
「伊東くんは、私に応援してるって言ってた」
「……応援?」
多美もまた、どう話そうかを迷った。思いつくままに言葉を並べる。
「無理はするな、何かできることがあれば助けてやる。困ったことがあったら相談にのってやる。私が伊東くんに言われていたのはそんなこと。伊東くんはいつも梓のことを考えてた。そして梓の側に私がいてほしいと思ってくれてた。そのためなら、きっとなんだって手伝ってくれる気でいたと思う」
千葉さんはその話を真剣に聞いていた。
「伊東くんが好きなのは、私じゃない」
梓という小さな悲しみを共有できただけの、ただの知り合い。
「樫井先輩と梶原さんって、どういう関係なの?」
妹の恋人。
遺書で頼まれた、妹の最初にして最後の恋人のだけなはずだった。なのに自分の心にその言葉が副わないのはどうしてなのだろう。しばらく考えて、多美は観念した。
「――私の好きだった人」
「そうなんだね」
千葉さんは納得した様子で、多美の一大告白をさらりと受け止めた。彼女にとっては、とても分かりやすい言葉だった。千葉さんの親しみのこもった微笑に、多美はつい思ったことをそのまま口にしていた。
「……私、梓に好きだって、一回も言わなかった。こんなに好きだったなんて、気付いてなかった。っていうか、認めたくなかった。今すぐにでも死んでしまう人を、好きになってたって」
ひとつひとつ梓との思い出をたどる。出会ってきた人が梓のことを語ってくれる。……たくさんのことを思い出す。
「梓もね、最後まで私のこと好きだとは言わなかったな。もう、頑なに」
多美はちょっと笑って、そう付け足した。梓はそんなことはしない。絶対にしない。もう自分が長くないことをちゃんと知っていた。それでもギリギリのところはあって、言われなくても――愛されていることは分かっていた。
真剣な顔になって話を聞いてくれていた千葉さんが、いきなり泣きだした。多美はええ? と思わずびっくりする。制服のポケットからティッシュを取り出すと、千葉さんはそれを受け取って、丁寧に目を押さえて涙をふき取った。
「ごめん、……私、悪いこと聞いたよね」
「そんなことない」
なんだかそういうところは伊東くんに似ているような、とちょっと思った。
「樫井先輩、本当に残念だったね」
「うん。そう思ってくれてありがとう」
「私も悲しい。だって伊東くんの大事な人は、私にとっても大事な人だもん」
「――」
唯の言ったことが思い浮かんだ。誰かから誰かへ引き継がれていく、人が生きていく中での約束。ここにも梓はいたんだ。なんとなくそう思えて嬉しかった。そしてこんな風に、大切な人の大切な人のことも想える心のあり方に、自己主張が強くて怖かった千葉さんの印象が、少し変わった。
「ごめんね、わざわざ話させてもらって。よく分かったから」
千葉さんは勢いよく立ち上がると、多美を笑顔で見下ろした。
「ちょっと思ったんだけど、伊東くん、見る目がないかも」
多美がそう言ったら、千葉さんはそれを聞いて、更に笑った。
「そう思うでしょう? こんないい女が好きだって言ってるのにね!」
苦労しているのに、それでもその恋を大事にしている彼女が、とても羨ましかった。




