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多美が気を取り直して、明るく言った。
「お母さんが、梓にありがとうって言ってたよ」
「ありがとう?」
「実加の彼氏になってくれてありがとうって。人として一番大切なことを経験させてくれて、感謝してるって」
「人として一番大切なこと?」
「自分以外の人を特別に好きになること、だって」
ふぅん……、梓はちいさく何度も頷いた。
窓の外でどんどん、と何度も音が鳴る。音とずれたタイミングで、夜空にいろんな色の大きな光の輪が放たれては、一瞬で消えていく。
「……多美」
梓は、……とても静かに多美を呼んだ。沈黙。何か言いたいことがあって言えない。そんな重い空気が下りた。その沈黙に耐えられなくなって、多美はあせってそれを打ち消そうとする。
「何? 何か言いたいことがあるんだったら、早く言いなよ」
梓はそんな多美を見て微笑んだ。
けれど何も言わない。
「なによそんなにもったいぶっちゃって。愛の告白するんじゃあるまいし」
言ってから、しまった、と思った。変な間が開いてしまう。慌てて笑って冗談と誤魔化そうとしたら、梓はこらえ切れなくなったらしく、声を出して笑い出した。
「するわけないっしょ」
そう言われてほっとしたと同時に、なぜか胸がちくりと痛んだ。
「しないよ」
「ふぅん…………」
梓はやせ細った腕をのろのろとあげて、多美の頭を撫でた。ゆっくりと、優しく。
「死ぬまで一緒にいてくれるんなら、もう手に入れたも同然だから」
「……え?」
何を言われているのかとっさに分からなくなった。多美はびっくりしたまま、まっすぐに梓を見た。梓も多美を見つめていた。こんな風に、まっすぐ、熱を持って見つめられていたなんて知らなかった。
「せっかくいつ死んでもいいやって思ってたのに」
「梓?」
その言葉の意味が、胸に響いてくるまでに、少しの時間がかかった。
「それって……」
ふと気付いたら、多美は大粒の涙をこぼしていた。止められなかった。頬にいくつも涙の筋が通った。歯をくいしばったからひどい顔になっていたと思う。けれど梓は笑わなかった。
こんな風に苦しげに歪む梓の顔は、今までに見たことがなかった。いつも微笑んで、聞き分けがよくて何でもどうでもよくてのっぺらぼうの梓。生きているのにもう死んでいる梓。
けれど、今ここにいる人は、気持ちをむき出しで生きている、一人の人間だった。
死にたくない、
愛している、
苦しい、
そばにいたい、
言葉にしないのに、撫でられていた手のひらから、流れ込むように、梓の気持ちを感じた。
梓の手に引き寄せられるように、多美は梓の胸の中へ飛び込んだ。筋肉も落ちて、びっくりするほど薄くなった背中に手を回す。梓の両腕がそんな多美を、ぎゅっと強く抱きしめ返した。
「ごめん」
何について謝ったのか、全部についてのことだったのか、分からない謝罪が、あまりに心地の良い響きで囁かれた。そう言った梓の唇が耳に触れて、頬が真っ赤になるのがわかった。
「ごめんな、多美」
「やだ」
謝らないで。お願い。謝らないで。それくらいなら明日も生きていて。ずっとだなんていわないから、せめて明日の約束だけはして。ぐるぐるしたその言葉は泣くのを堪えていた口から溢れることができなかった。
「やだ……」
花火なんて見えなかった。多美は梓の中で泣いた。ダメだと思いながらも泣いた。止められなかった。
遠くで、どんっ、どんっ、と何度も何度も鼓動に似た重低音が夜空に響いていた。




