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重川の花火は病院内では有名な話だった。多美は看護師さんから、毎年動ける人は屋上に出て、みんなで花火を見たりするのよと教えてもらった。お医者さんも看護師さんも参加するし、みんないろんな食べ物飲み物を持ち込んでの、ちょっとしたイベントになるとのことだった。
こんなことを多美が知らなかったのには、理由がある。多美は幼い頃から長期の休みになると、母方の祖父母の家に行かされていたのだ。休み中でも、実加の容態がよくなるわけでもなく、多忙な闘病生活は変わらない。小さな娘に一人一日中留守番させるのは心配だし、休みぐらい子供らしく遊べるようにとの心遣いだったのだろう。祖父母も、同居している伯父夫婦もとても優しくしてくれた。特に伯父夫婦の子供は既に大きくて、小さな子供を預かるのは新鮮だった伯母が、本当の母親のように多美のことを見てくれていた。
今年も伯母から電話をもらっていた。暇だったら遊びにおいでと。変わらず優しい伯母の好意はありがたかったが、多美は断った。母が心配だし、それに何より今年の夏は、梓がいる。
伯母は母のことを少し、父から聞いているようだった。私がそちらに行こうか?とまで言ってもらったが、それもきちんと辞退した。観葉植物を育て始めてから、少しずつ回復してきていたので、言えたことでもある。
「梓は屋上に参加したことあるの?」
花火大会のことを聞くと、梓はああ、と肯定した。また少し痩せた。なんとなくだけどしんどそうだった。少し顔がむくんでいるように見えた。
枕を背に入れて身を起こした梓は、病室の窓の方に視線を移した。
「ここからでも見えるよ。小さいけどね」
今年は屋上は無理、そう言われているようだった。多美がそう思っていることに気付いたのだろう。梓は気を使うように笑った。
「一緒に見ない? 多美が友達と見にいく予定が、ないんだったら」
「大丈夫?」
「大丈夫もなにも、ここからだから。小さいけどね、それでもよければ」
「いいよ。来る」
返事をした多美に、梓はからかうように言った。
「なら、ぜひ、浴衣でよろしく。色っぽくね」
「どうして病院に浴衣なのよ」
「だって、花火デートだから。きっと多美なら、浴衣も似合うよ」
その一言にどきっとした。それを誤魔化すために言葉をつなげようとした多美の行動を止めるかのように、梓はゆっくりと横たわった。
「今日は、ちょっと疲れた。最近、ヤワになったよなぁ……」
「……今日はもう休んだら」
「そうしようかな。多美、浴衣楽しみにしてるからね」
念を押して梓はふっと目を閉じた。今までこんな風に会話を中断させて休むなんてこと、あんまりなかった。きちんと多美を見送るだけの余裕は見せていた。……息はきちんとしていることに妙にほっとした。梓のつめたい左手をそっと握る。きちんと眠るのを見届けてから帰ろう。
あの日号泣して以来、多美は梓のことがまともに見られなくなってしまった。自分の気持ちの中に見つけてしまった気持ちがあった。近くに死ぬという人をただ看取る義務だったはずのことが、こんなにも怖い。 怖くなった。
梓がいなくなるということ。
一日一日と梓の命は削られていく。そして梓はその日を待ち焦がれている。生きることをとうの昔に諦めた彼には、絶対に言えない言葉。
死なないで。
生きていて。
分かっていることなのに。逃れられないことなのに。どうして納得できないの。
今日も生きていた。だから明日も生きている。それは絶対に約束されないことだ。普通の人なら笑って、「さようなら、また明日ね」と言えるその一言が梓には通用しない。
泣くのも反則だ。死ぬのは多美ではなく梓だから、多美には泣く資格もない。
ただ叫びたいほどに思うのは一つだけ。
どうして、私は、この人の明日を望んではいけないの。




