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「俺のきっかけは、中学二年の夏。レギュラー戦の最中だった」
出てきた屋上で、遠くの方を見ながら梓はそう言った。
車椅子をベンチの横に固定して、多美はそのベンチに座った。
「急に胸が苦しくなって、目の前がまっくらになって、ものすごいパニックになって――目が覚めたら、病院のICUにいたよ」
それから検査に検査。これが最初で、それから発作を繰り返していくことになった。入退院を繰り返すようになり、どんどん退院できなくなり、外出許可も下りないようになっていく中で、梓はかなり荒れたらしい。
「どうして俺だけがって、思ってた」
悪くなる前は、伊東くんと一緒にサッカーをしていた梓。みんながどんどん練習して試合に出て行くのに、梓は生きていくことだけで精一杯になる。走ることさえままならず、外に行くのにも気を使い、いつ「あれ」がくるのがにおびえる毎日。
「家族にも、友達にも、先生にも看護師さんにも励まされたって所詮ヒトゴトだろうってさんざん言ったよ。そんなに言うなら俺と代われよ。代われないなら言うなって、母さんに何回怒鳴りつけたかな……。俺ほど世界で不幸なやつはいない。俺ほどかわいそうなやつはいない、あの頃は本気でそう思ってたし、ずいぶん無茶も言ったな」
梓の微笑みも苦い。ふわりと風で髪がなびいたのを押さえながら、続けた。
「そんな時に、実加ちゃんと出会った。場所はここだよ」
イライラした気持ちをどこにぶつけたらいいのか分からなかった。ずいぶん備品も壊したし、暴れもした。けれど気持ちは晴れないし、現実を飲み込めない。外に行けなくても屋上には空があった。どこまでも遠く続く空だけが、梓には残されていた。
ぼんやりと空を見ていたら、背後から声がかかった。
「あなたも空が好きなの?」
ピンクのカーディガンにパジャマ。まっさきに入院患者だと分かる格好だった。髪はゆるい三つ編みがされている。目が大きくて、射抜かれてしまいそうなくらいに強い視線。きれいだとかかわいいとかではなく、他の人とは明らかに何か雰囲気が違う。おかしい。異様だ――それが梓の持った、彼女の第一印象だった。
彼女は梓に断りもせず、隣に座った。
「邪魔」
梓はそう言って実加を追い払った。けれども実加はどかなかった。二度と声もかけなかったらしい。それが毎日続いて、ようやく梓は、こいつ誰なんだろうと興味をもった。
看護師に特徴を話すと、すぐにそれが誰なのか分かった。
「ああ、それ、実加ちゃんじゃないかしら。梶原実加ちゃんって言ってね。梓くんと同じ病気の女の子よ。うちの長老みたいなもんね」
「長老?」
「ええ、だって生まれる前からうちの患者さんだったからね」
実加が生まれる前から病気で、もう何度も手術していて、その手術も失敗していること。梓と違って別の病気も合わせて持っているということ。ずっと入退院を繰り返していて、ここ以外の生活をほとんど味わったことがないということは、後になって本人から聞くことになった。
「思い上がっていたんだ。俺が一番不幸なんだとしたら、実加ちゃんはなんだろうって思った。俺は少なくとも十四年はまるまる自由に、思うようにやってこれたんだ。だから実加ちゃんにだけは、文句も愚痴も言えなかった。実加ちゃんに同情されるのだけは、許せる気がした」
「実加も、そんな時期あったよ。……手首切ったことあった。何度もなんでこんな風に産むくらいなら殺してくれなかったのって言ったこともあった。今すぐ首をしめてって言われたこともあった。でも越えるのは本人だけよ。手助けも何も、私たちはしてやれなかった」
「そっか、多美はそのあたりのことも知ってるよね。俺は笑って話す実加ちゃんの話でしか、知らない」
梓は空を大きく見上げた。
「好きだなんて、言ってないんだ」
「え……」
「実加ちゃんに、好きとかそういうこと、言ってなかった。ただ理解しあえたんだ。実加ちゃんしかいなかった。実加ちゃんだけが俺のことを分かってくれて、俺だけが実加ちゃんのことを、分かってやれた。好きとか愛してるとか彼氏だとか彼女だとかそんなの関係ないよ。実加ちゃんが全てだった。実加ちゃんしかありえなかった。……本当はそういうのでさえ、さびしいことなのかもしれないけど」




