15
「……昔、実加が荒れてた時期あったでしょう? 覚えてる?」
父は多美をじっと見てから、目をそらした。そしてどこか遠くを見つめた。
「あの時のことか。覚えているよ」
実加が小学五年の頃だ。大がかりな手術を受けることになり、失敗に終わったあの頃のことだ。これがうまくいけば回復の方向にいけるかもしれないという望みが、完全に絶たれてしまった時、実加は何度も手首を切った。彼女が見ていたものが死だったことは分かる。カッターを取り上げた母にむかって、実加は叫んでいた。どうせ死ぬんだから今だっていいじゃない! その言葉を思い出して、母は毎晩のように家で泣いていた。手首を切らなくなった実加は、言葉を発しなくなった。それは実加がそうしたくてそうしたからではなくて、本当に精神的に追い詰められてのことだった。多美は実加の絶望に何の言葉もかけられなかった。見舞いにいっても、実加を責めることも慰めることもできなかった。苦しかったし、そんなもの見たくもなかったけれど、毎週病院に通った。逃げないことだけが、私に出来ることなのだと、幼いなりに決意していたことはよく覚えている。その時に私が毎週見ていた実加の表情が、まさしく今の母の顔だった。
死のうと決めた人はね、のっぺらぼうになっちゃうんだよ。
ぽっかりと自分が抜け落ちてしまった顔。
「ママは実加が死んだことはちゃんと理解してるよね」
多美は頷いた。
「もちろん、パパも多美もそうだ。でも頭が理解しても、身体が理解していないんだよ。特にママは、一日の大半が実加のためにあったからね。お金を稼ぐ担当だったパパや、家関係の担当だった多美よりずっと、実加に近いところで、実加のためにやってきたからね。私たちよりも、ずっと理解できないんだろう」
父のゆっくりした声に、多美はやっとでさっきのショックから、だんだん落ち着いてきていた。そうだ、私たちはいつもチームだった。チーム実加。いつの間にか、実加がいなければ、機能しないようになってしまった家族。
「テレビは確かによくないと聞いたことがあるから、多美の部屋にいれていいかな」
母は多美の部屋に入り浸ってまで、テレビは見ないだろう。二つ返事で承知した。
「明日、会社休むよ。ママとちゃんと話をして、病院にいくことにする」
父はそして情けない顔をして、お腹をさすった。
「おなかすいたよ。もう我慢できないから、近くのラーメンでも食いに行くか」
「行く」
多美は父の優しいレモネードを全部飲み干して、立ち上がった。
腹が減っては戦はできないのだ。実加が手首を切ろうが、母がどれだけ必死になろうが、父がどれだけ疲れようが、どんな時も食べてきた。現実はそういうものなのだと、私たちはよく知っている。




