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「ただいま」
家に帰ると廊下が暗かった。ママは? と思いながらリビングに行くと、誰もいなかった。多美は鞄を居間のソファーに置いて、朝食を食べたままになっている食器を洗い桶につけ、母を捜しに寝室に行ってみた。
母はベッドで眠っていた。
「ママ?」
声をかけると、横になっていただけらしく、返事が返ってきた。
「多美? おかえり」
「今日も頭痛いの?」
「うん、なんかだるくてね」
「晩御飯の買い物、してないよね」
「うん……何か店屋物とっていいわよ……」
「わかった」
私はできるだけ音をたてないよう、静かに部屋を出た。まずやったのが洗濯機を覗き込むことだ。昨日は洗濯したものを干していなかった。中身と近くにある籠を見て、思わずため息をつく。今日は洗濯自体をしていないらしい。それから冷蔵庫をチェックして、出前はやめて洗濯機を回し、その間に近くのスーパーに買い物に行き、ご飯を作ることにした。
手際よくご飯を作っているうちに、父が帰宅してきた。
「あれ、ママは?」
「寝てる」
「……」
一気に心配そうな顔になる。多美は父と二人分の茶碗にごはんをよそった。今日のメニューは鶏肉の照り焼き、その他ごちゃまぜ野菜炒め。
実加が亡くなってから、母は燃え尽きてしまった。あれからめまいがする、身体がだるい、おなかが痛い、いろんな症状を訴えてはよく床につくようになってしまった。家事もろくに出来ない。
先天性の心臓疾患と胎児の時に診断されてしまったわが子を生かすために、この十四年間必死になっていたのだから、仕方のないことなのかもしれない。莫大な医療費を稼ぐために外資系の証券会社に移り、ほぼ休みなく働いてきた父もまた、転職を考えているのだと聞いている。
「多美、新しい学校はどうだ?」
「楽しいよ。友達も出来たし」
「環境が変わるとやっぱりいいもんなのかなあ……」
それは父の希望なのか、母のためなのかは分からない。多分両方の気持ちがそう揺れているのだと思った。多美は否定した。
「それでも実加のことは忘れられないよ。今日、友達から部活に入ろうって誘われて、うちのことしなきゃダメだからできないって答えかけて、もう違うんだって気づいた」
うちの家族は良くも悪くも実加が中心にいた。真ん中が欠けるということを、毎日想像していたのに、いざ実加がいなくなると、想像していたこととはまったく違う現実があった。
「パパが会社辞めたいっていうんだったらそれもいいし、ママ連れてどっか移ろうっていうんだったら反対はしないけど、でも実加のことは何も変わらないよ」
「うん、そうだな。そうだよな」
ごはんを書き込みながら、父は多美の言うことをちゃんと聞いて、言い聞かせるような相槌を打った。
「とりあえずはママだな。ママをどうにかしないといけないな」
「そうだね」
強烈な方向性を持っていた家族が、その目標を失うとどういうことになるのだろう。こんな風にみんなどうしていいのか分からなくなっている。どんなことをしたってもういいのに、実加が死んだことを悔やんでいることもないのに、それでも動けない。
十四年の戦い。梶原家ではまだ実加のことはすべてが終わっていないのだ。
――そして多美にはまだ梓が残されている。




