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 その遺書を開くと、かすかに雨の匂いがした。

 傘をささずに走ってきてたどりついたら、もうすべてが終わってしまっていた後だった。着ていたコートから、雨のしずくがぽたぽた零れ落ちた。看取った両親と親戚が一斉に、遅れて来た私を見つめた。母が私を見て、また崩れるようにして泣いた。

 静かに対面をした後、周囲から一歩下がっていた私は、担当だった看護師さんからそっと封筒を渡された。思わず周囲の様子を見渡すと、そんなものをもらったのは私だけのようだった。

 お姉ちゃんへ、という表書きが、髪からも伝わる水滴でじわりと揺れた。

 ――実加。

 私の、たったひとりのいもうと。

 部屋の隅まで離れて、寒さでまだかじかんでいる手で不自由しながらそれを開くと、まず短い感謝の言葉があった。


『今までありがとう。最後の言葉って意外とこんなことしか言えないんだね』


 じわり、ともう実加はいないんだという実感が、胸の奥からこみ上げてくる。


『私の分までパパとママのこと、よろしくね。』


 本当はそれだけのはずだったメッセージには、まだ続きがあった。


『ごめんね。それでお姉ちゃんにもうひとつお願いがあるの。』


 今までありがとうではなく、ごめんねばかり繰り返していた実加の姿を思い出す。


『これが本当の一生のお願いだね。』


 全然笑えない。

 いつものようにベッドに横たわる妹は、微動だにしない。いつも死んだように眠る子だったけれど、本当に死んだ時は、今にも起き出してきそうなほどに、穏やかで優しい顔なんだなと思った。私はその手紙を封筒に無理やりねじ込んで、病室を後にした。


『梓のことをお願いしたいの』


 妹の字が、大切な名前を手紙の中で一生懸命呼んでいる。

 梓。

 私はその人と何度か会ったことがあるけれど、個人的な話をしたことも、二人で何かを話したこともあまりなかった。似たような心臓の病気で入院している、妹の最初にして最後の恋人は、同じ循環器内科の病棟にいるはずだったが、彼の部屋を訪ねてみても彼はいなかった。


『とても淋しがりやな人だから、一人きりにはしたくないの』


 同じフロアを何度もうろうろして、病棟の端でやっと彼を見つけた。

 薄暗い廊下のつきあたりで、彼は目の前の壁を食い入るように見ていた。雨の降る暗い空が見える窓が、梓の横顔をかすかに浮かび上がらせていた。目をこらしてその表情を窺うと、彼は泣いてはいなかった。車椅子の彼は微動だにせず、闇の中で何かに耐えているように、じっと正面をにらみつけている。

 声のかけることができない孤独の中に今彼はいて、私はその圧倒的な何かに押されて、それ以上近づくことができなかった。


『お姉ちゃん。梓を、どうか、お願いします。』


 私の手に強く握られている白い封筒だけが、この暗闇の中で浮かび上がっている。私は彼を見つめることしかできない。妹の一生のお願いを、私は本当に叶えてあげることができるのだろうか。




初めて投稿します! 慣れない作業に戸惑っていますが、最後まで無事掲載できますよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。

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