どうやって屋根に登ったのかは聞かないで
……その頃、愛美は。
「……」
学校にて。愛美は普段通りに授業を受けていた。……夜朗たちから誘いを受けたとはいえ、学校を休めば面倒なことになる。それくらいは理解しているので、大人しく出席しているのだ。
「というわけで、問い一の答えはこうなります。では、次に、問い二です。解けた人、いますか?」
今は算数の時間。教師の問い掛けに、何名かの児童が手を挙げる。常識的な内容の歴史よりは、算数のほうがまだ意欲的に取り組めるのだろう。
「……」
しかし、愛美は上の空で、全く授業を聞いていない。……まあ、彼女は優秀みたいなので、然程問題ないのだろうが。
「はい、じゃあ、田中さん」
「はい。えっと―――」
夜朗からの誘いは、愛美にとって、迷うほどのことでもなかった。自分は現状に不満を抱いている。そんなときに、魔族として活動できる機会を与えられたのだ。参加したくなるのは、当然のことだ。
「……」
けれども、愛美は即決できなかった。彼らの言い分が正しいのか、見極めたかったのもあるだろう。しかし、それだけではない気がする。
「……ふぅ」
それは、覚悟。自分が、魔族として生きていく。そんな覚悟が出来ていないからではないか。そんな風に思う愛美だった。
……その頃、夜朗たちは。
「……ふぅ。ここなら大丈夫かしらね」
「ああ、そうだな」
二人がいるのは、近くの薬局、その屋根の上だった。約束の時間まで、ここで待っているつもりらしい。三階建てなので、滅多なことでは地上から発見されないだろう。
「にしても、どうするかな。そのまま夜まで過ごすのは、さすがに暇すぎるぜ」
「そうね。今の内に、仮眠でも取ろうかしら?」
蝶香はそう言って、平たい屋根の上に寝転がる。太陽の光が眩しいが、青空の下でごろごろ出来るなど、彼女にとっては贅沢なことだった。
「そうだな」
夜朗にしてもそれは同じだったので、彼も一緒に寝転がった。直射日光がきついので目を閉じ、鞄やロッドケースで陰を作る。
「……平和ね」
「そうだな。とても、物騒な組織の支配下だとは思えないな」
穏やかな陽気の下で、のんびりとする二人。しかし、今は絶賛危険な状態だ。下の通りには「キラー」がいるし、そうでなくても、屋根の上にいたらただの不審者だろう。発見されれば、通報されるのは必至だ。その心配が限りなく低いとしても。
「……すぅ」
「って、もう寝たのかよ」
しかし、蝶香はそんな状況でも、寝息を立てていた。さすがの夜朗も呆れている。
「……ま、仕方ないか」
今夜の交渉がどうなるのか。その結果によっては、寝ている暇もなくなるかもしれない。ならば、今の内に寝ておくのも手ではある。そう納得して、夜朗も仮眠をとることにした。……しかしながら、結局寝付くことは出来なかったが。
◇
……そして、夜になり。夜朗たちは、昨日の公園へとやって来ていた。
「……そろそろ、約束の時間ね」
「そうだな」
夜朗は蝶香に掴まって、二人は昨日と同じように空へと浮かび上がる。このとき蝶香はやや女性よりの状態だったが、二回目だからなのか特に揉めたりはしなかった。
「……愛美はまだ来てないみたいね」
「具体的な時刻で待ち合わせたわけじゃないし、多少は遅れてもおかしくないだろ」
漆黒の空は相変わらず暗くて、昨日が新月だったせいで月明かりも殆どない。雲は昨日より少ないが、やはり星はあまり見えなかった。ここらは市街地よりも人工的な灯りが少ないので、恐らくは空気が汚れているのだろう。
「……あの子、来るかしら?」
「答えがどうであれ、約束した以上は来るだろ」
「そうだといいけど」
互いに体を密着させながら、二人はそんなことを言い合った。……本音を言えば、闇天使という希少種の魔族には、是非仲間になって欲しい。例え希少種でなくても、仲間が増えるのは大歓迎だ。
「ま、日本で暮らしてたら、ある意味安全だな。ちゃんと種族特性を理解して制御できてるみたいだったし、お前みたいに身ばれすることもないだろ」
「そうね……」
しかしながら、彼女が今の暮らしに満足しているなら―――人間の中で生きていくのが幸せなら、そうして欲しいと思う。それも本心だった。自分がそう出来なかった分、余計に。
「っていうか、その話はもう止めて欲しいんだけど。……思い出しちゃうじゃない。私のせいで、あんたの人生が滅茶苦茶になったこと」
「別に、俺はなるべくしてこうなったんだって、何度も言ってるんだけどな。蝶香に責任はないし、強いて言うなら俺の自己責任だっての」
「あんたはそう言ってくれるし、それも本心なんだろうけど……そうじゃないのよ。これは、私自身の問題なんだから」
だが、それは別にして。不用意な発言が切欠で、蝶香と夜朗の間に気まずい雰囲気が流れる。
「……!? お、おいっ!」
そんなとき、夜朗が何かに気づいて、声を上げた。両手が塞がっているので、体を揺らして蝶香に呼びかける。
「え? あ―――」
それを受けて、蝶香も異変に気がついた。―――彼らの前方から、突然轟音が鳴り響いたのだ。それと同時に、強風が二人に襲い掛かる。
「きゃっ……!」
「ぐっ……!」
風を感じられるはずの蝶香が、察知に遅れた。それはかなり危険なことだった。何故なら、夜朗たちは今、空を飛んでいるのだ。風の乱れは、そのまま彼らを墜落させかねない。
「蝶香っ……!」
「分かってる……!」
二人を襲った突風。その正体に、彼らは気づいていた。……というか、見えていたのだ。今の時代にはそぐわない、文明崩壊以前の遺物のような物体。削った鉛筆のようなフォルムで、尻から火を噴出しながら、空中を爆走する金属の塊。そう、それは―――
「あれ、ミサイルとかいう奴だろ……!」
そう、ミサイルだった。恐らくは、地対空ミサイルと呼ばれる、防空兵器だろう。今の科学技術では製造が困難なのだが……どうやら、「キラー」の軍事技術はそれほどまでに卓越しているらしい。
「あぁっ……!」
「ぐぅ……!」
先行してきた風圧で体勢が崩れていたためか、ミサイルは蝶香たちに直撃しなかった。しかし、乱れた気流が二人の体を吹き飛ばす。
「な、なんなのよ……!?」
「知るか……! こっちが聞きたいっての……!」
驚きのあまり、ついつい喧嘩腰で叫んでしまった夜朗と蝶香。……だが、安心するのはまだ早いと思うぞ。
「このままだと、追撃されないか……!?」
「かもしれないけど……ここを離れたら、愛美が危ないわよ!」
「ちっ……!」
舌打ちする夜朗だったが、それで事態が好転するわけがなく。やがて蝶香は、第二撃の気配を感じた。
「来るわよ……!」
「分かってる……!」
蝶香を抱く手に力を込めて、夜朗はやけくそ気味にそう叫ぶのだった。