告白を全力で妨害する神の意思(作者)
……その頃、蝶香は。
「……」
蝶香は一人、部屋に備え付けられたトイレで俯いていた。扉と便座以外が岩で出来たトイレは、思った以上にひんやりしていて、一度高ぶった感情を静めてくれる。
「……私、どうしてあんなことを」
言うまでもないことだが、蝶香には夜朗を殺すつもりなんてなかった。だからこそ、自分がしでかしたことを本気で悔いているし、苦悩しているのだ。……夜朗を殺しかけるのはいつものことだが、今回のは冗談で済まないと自覚しているのだろう。
「……私、どうすればいいの? 夜朗の傍にいないほうがいいの?」
故に、思考は悪いほうへ、陰鬱なほうへと向かっていく。自責の念に駆られ、極端なことを考えてしまう。
「このまま夜朗を傷つけるなんて……そんなの、耐えられない」
それならばいっそ―――そう考えてしまう。そんな自分に自己嫌悪して、自分を責め、の繰り返し。思考の迷路に嵌ったかのようだ。そもそも、夜朗への殺人未遂が日常茶飯事であること自体、彼女にとっては負い目なのだ。
「……夜朗。エディと何を話してるのかしら?」
思考がぐちゃぐちゃになり、一度冷静になろうと、蝶香はトイレの外へと意識を向けた。……トイレの外では、夜朗とエディが話をしている。さすがにその内容までは分からないのが、十中八九、蝶香のことを話しているのだろう。
「……私より、エディのほうがいいいのかしら?」
しかし、それも後ろ向き思考の切欠にしかならない。自分よりも、エディのほうが彼に相応しいのではないか。そんな風に思えてしまう。
「私、どうしたら―――」
「蝶香。開けてもいいですか?」
だが、その続きは考えられなかった。エディが扉をノックし、呼び掛けてきたのだ。
「……っ!? だ、駄目っ……!」
「そうですか。では、出られるようになったら出てきてください」
咄嗟に入室を拒むと、エディはそう返してきた。扉の前から気配が離れたため、出られるようになるまで待っているのだろう。さすがに同性だけあって、その辺の配慮は出来るみたいだな。
「……」
いつまでもそうしてはいられない。気が進まないながらも、蝶香はトイレから出るのだった。
「来ましたね」
蝶香がトイレから出てきて。ようやく、夜朗と蝶香が顔を合わせることとなった。
「蝶香……」
「……」
夜朗が蝶香に目を向けるが、気まずいのか、彼女は目線を逸らした。自分が危うく殺しかけた相手なのだから、そうなるのは当然か。
「ほら、私が見届けてあげますから、さくっとやってください」
「……普通、こういうときは気を利かせて席を外すもんじゃないか?」
「介入した時点で、私だって当事者なんです。ちゃんと最後まで見届けないと安心できません。それに、愛美も起きてますから一緒じゃないですか」
「……おはよう」
「……マジだ」
エディの視線が気になった夜朗だったが、いつの間にか愛美も目を覚ましていた。これでは同じことだな。
「ほら、よく言うじゃないですか。「見られているほうが燃える」って。ですから、さっさと言っちゃってください」
「夜朗お兄さん、頑張って」
「うっ……」
今まで寝ていたはずの愛美にまで事情を把握され、思わず赤面する夜朗。一方、何も知らない蝶香は、そんな彼らを訝しむように見ていた。
「……蝶香」
そして、覚悟が決まったのか、それとも諦めがついたのか、夜朗が蝶香に向き直る。
「蝶香。一つ、お前に伝えたいことがある」
「……何?」
真剣な表情で夜朗にそう言われ、蝶香は無意識に身構えた。……先程までのネガティブ思考が災いし、余計な深読みをしてしまったのだ。つまり、夜朗が自分に別れを告げるのではないか、と。
「俺は、ずっと蝶香と過ごしてきて、幸せだった」
「え……?」
けれども。夜朗が放った言葉は、彼女の予想とは異なるものだった。
「小さい頃からずっと一緒で、実の姉弟みたいに過ごしてきて……途中で色々とあったけど、それも含めて、いい思い出だ。正直、蝶香がいない人生なんて、考えられない」
「夜朗……」
夜朗が話すのは、蝶香と共に生きた日々。彼らにとって、かけがえのないものだった。
「俺が泣いたとき、蝶香は俺を励まして奮い立たせてくれた。俺が寂しいとき、蝶香はずっと俺の隣にいてくれた。ずっと、俺を支えてくれた」
蝶香への想いを語る夜朗に、エディも愛美も、当然の如く蝶香も、口を挟まず耳を傾けていた。
「蝶香は、俺にとって、体の一部なんだ。だから―――蝶香、これからもずっと傍にいてくれ」
「……夜朗。私も、夜朗と―――」
「おーい、お前らー」
「「……っ!?」」
なんかいい感じになっていたところへ、第三者の声が。声の主は、言うまでもなく、エディや愛美ではない。
「そろそろ準備できたか?」
声の主は、師匠だった。いつの間にか部屋にやって来たらしい。……なんと間の悪い。まるで狙ったかのようだな。
「……」
「……」
「ん? どうした?」
「師匠、考えられる限り最悪のタイミングでしたよ……」
話の腰を折られて閉口する夜朗たち。彼らの代わりに、エディが師匠にそう言った。……なんていうか、プロポーズみたいな雰囲気だったのに、水を差されて全部台無しになったな。
「俺はただ、仕事の準備が出来たか聞きに来ただけなんだが……」
「仕事……って何のことだよ?」
「さあ……?」
全く身に覚えがない話をされて、夜朗も蝶香も戸惑っている。……言われたときはお互いにそれどころじゃなかったからな。仕方ないだろう。
「ったく、ちゃんと態々部屋まで来て説明してやっただろうに……これだから最近の若いもんは」
いや、殺され掛けてる弟子を放置してるほうが悪いだろ。そう思う夜朗だったが、蝶香がまた傷つくと面倒なことになるので、黙っておいた。
「なら、もう一度説明してやるから、耳の穴をかっぽじってよく聞けよ」
「何でそんなに偉そうなのかしら……?」
師匠の態度に蝶香はそう呟くが、師匠は構わず説明する。
「お前らに頼んだ仕事は、俺の護衛と雑用係だ。「ガーディアン」の勢力地域に用事があるから、そこまで俺のサポートをしろ」
「んなところに何の用だよ?」
もうそういう空気ではなくなってしまい、完全に諦めムードの夜朗。頭を切り替えたのか、仕事の話をすることに。
「ん? ああ、ちょっと人探しにな」
「人探し?」
「まあ、俺も会ったことはないんだが」
「会ったこともない人を探してるの?」
師匠の話を聞いて、夜朗と蝶香が首を傾げる。会ったことがないということは、夜朗たちが闇天使を探しに日本へ来たように、特定種族の魔族を探す、とかなのだろうか?
「半分くらいは個人的な理由なんだが、一応、俺たちの活動とも無関係じゃないぜ。何せ―――」
師匠は一度言葉を切ってから、こう言うのだった。
「―――相手は、「先史文明の英霊」だからな」




