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卒業式

 水族館に出かけた二週間後

 小山くんは、卒業式の日を迎えた。


 数日前に、いつものように電話があって。『卒業式の日は、お祝いに晩御飯を食べに行こう』って話になって。

 金曜日のその日、仕事の帰り道に病院の最寄り駅で待ち合わせをした。



「ねぇ、ヤマショウ。来週さぁ」

「だから、行かない、って言ってるだろ?」

 そんな声と一緒に、小山くんが地下のホームから階段を上がってくるのが見える。

 身長の差、だろう。少し遅れて、その隣に見えた顔は、いつだったか見かけた女の子、だと思う。


 卒業式が午前中にあって。昼に行われる謝恩会のあとは、虎太郎たちとカラオケに行って、時間を潰すと言っていたけど。

 この子も一緒だったのか。


 なんとはなしに、お弁当箱を入れたミニトートの持ち手をギューッと握る。


 そんな私の前に、

「お待たせ」

 なんて言いながら、少しだけ早足で近付いてきた小山くんが立つ。

 置いてけぼりを食らった形の女の子が、私に気付いたらしい。

 値踏みをするような目で見られて、視線が泳ぐ。


「ヤマショウの考えてることって、わっかんない」

 そう言った女の子の声にこもる、人を馬鹿にしたような響きに、カチンと来て、目を上げる。


 どこか勝ち誇るような笑みを浮かべた彼女。

 その溢れるような”自信”に、若さ、を感じる。


 三歳年上、だもんなぁ。私。

 小山くん同様、この春、卒業するこの子からしたら、十分、”おばさん”だ。


 自分が入職したころ。

 二歳年上の堀田さんや、一歳年上の桐生さんが凄く大人に感じた事を思い出す。


「判らないかなぁ? 俺、前にも言ったけど?」

「ああ、旅行の時? 『俺の気持ちは、キミのモノ』だっけ?」

 ほんのりと顔を赤らめて頷いた小山くんを、女の子は、

「ばっかじやないの」

 と、バッサリ、切り捨てて。クルリと背を向けると、階段を駆け下りるようにして、あっというまに見えなくなった。



「小山くん」

「何?」

「彼女……」

「あぁ。トラの彼女の友達」

 そう言った小山くんは、ちょっとだけ眉をひそめて。

「彼氏との約束までの時間つぶしに、ちょっとおもちゃにされてて」

 小さく吐息を零した。

 

 そうかぁ。彼氏との待ち合わせまでの時間つぶしに付き合っちゃうほど、その心は”カノジョのモノ”、かぁ。

 そう思って……喉に、何かが詰まったような息苦しさを感じる。


 小山くん。自分で言ったよね?

 『妻子持ち、好きになっても不幸なだけ』って。

 彼氏持ち、思い続けるのも、不幸だよ? 

 それとも、彼女の心変わりを待つの?



 『心変わりってね。した者もされた者も傷つくけど。させた者も、一生、傷を負うんだよ』

 昔、言われた言葉が、頭をよぎる。

 よぎった言葉に、思わぬ欲、を自覚する。


 一生の傷を、負ってもいいから。

 小山くん。こっちを

 私を、見て。




 その夜のご飯は、駅を三つ分移動したところにあるビストロへ行った。

 住宅街の片隅の、知る人ぞ知るってお店を教えてくれたのは、薬局長の酒井さん。検査室の三沢さんと一緒に行って゛アタリ゛だった、とか。

 ちょっとだけ奮発したコース料理にしたのは、一足先に社会人になった”おねえさん”の見栄だろうか。

 それとも……さっきの彼女に対する、牽制、のようなものだろうか。


 自分でも判らないまま

「小山くん。メインは、肉と魚、どっちにする?」

「うーん」

 なんて、一見、和やかにメニューを選んだりして。

「鶏のコンフィって?」

「さぁ?」

「スズキの……ポアレ?」

「ポアレって言うのは、焼いてあって。あれ? 蒸し焼きだったっけ?」

「料理教室で習ったり……」

「し・ま・せ・ん。家庭料理、のコースだから」

 それも、初心者コースがやっと終わるレベルなのに。


 結局、好奇心のようなものに押された小山くんは、肉を選んで。

 私も、彼の選択に合わせた。  


 一つのお皿に盛られたオードブルを、つつき合う。

 サーモンのテリーヌに一番に手を付けた小山くんが、口に入れた途端に、笑み崩れる。

 そうか。おいしいか。って。

 見ているこっちも嬉しくなるような、いい笑顔。


 こんな顔を、いつか

 私の手料理で見せてくれたら……


 そう思うのは、何重もの意味で

 高望み、だろうか。



「入職日は、四月一日?」

 ハーフボトルの赤ワインをデキャンタから注ぎながら、尋ねてみる。

「にゅうしょく?」

 何、それ? と訊かれて。

「ああ。違うか。入社、だ」

「そんな言い方もあるんだ」

「私達は、会社に入る訳じゃないから」 

「ああ。なるほど。職に入る、のか」

 感心したような声で言いながら、濃緑色のテーブルクロスの上で、彼の指先が練習するように何度も”入職”と書いているのを眺める。

 こんなふうに彼の指を見たのは、初めてかもしれない。


 がっしりした指にふさわしい、厚みのあるしっかりした爪が、意外なほど繊細に整えられている。

 その手、に、男の色気、を感じて。

 一気にワインの酔いが回る気がする。



 冒険のように注文したコンフィは。

「ハム、に似てる?」

「うん。でも、美味しい」

 柔らかいし、あっさりとおいしくって。

 ついつい。無言になって、フォークを動かす。


「美味しいものって、うわーってはしゃぎたくなるのと、黙っちゃうのとあるよね」

 八割方食べた所で、一息ついて。

 ワインを飲んだ私は、溜息と共に小山くんに話しかけた。

「カニなんて、黙る典型だよね」

 彼の口から出てきた、”カニ”と言う言葉に、こめかみがピクッとした気がした。


 彼女、と行ったらしき卒業旅行。

 駅で、だらしなく崩れていた彼の表情。

 そして。

 『俺の気持ちは 君のモノ』と女の子の声が、脳裏で回る。    

 

 そんな私に気づかぬ小山くんは。

「合コンしたメンバーのさ、金子、って覚えてる?」

 なんて、呑気に会話を続けている。

 合コン、かぁ。遠い昔だなぁ。

 あの時には、まさかこんな風に小山くんを意識するようになるなんて、思わなかったのに。

「一気飲みの子?」

「いや、アレは確か……高橋? いや、西岡だったかな?」

 覚えてないや、と言いながら、付け合わせの小かぶにフォークを刺している。

「で、その金子くんが?」

「アイツの実家の民宿に泊めてもらったんだけど。さすがに、カニ剥くのがめっちゃ上手いわけ」

「へぇ」

「なんでも、売り物にならないカニ食って育ったとか」

「いや、それは……大げさ過ぎない?」

 売り物にならないのは、リリースしてそうな気がする。


「金子の家だったから、いろいろと無理を聞いてもらって……」

「無理?」

 首を傾げた私のグラスに、最後のワインを注ごうとするのを手でフタをすることで、遠慮する。

 ココらへんが、私に取ってアルコールの限度、とさすがの私もわかってきている。

 あっさりと引き下がった小山くんは、自分のグラスに注ぎきって。

「かなり、安い値段で泊めてもらったし」

「へぇ」

「急に人数が変更になったのも、対応してくれて」

「……」

 なんとなく。”彼女”が、参加をねじ込んだと思った。

 今時の女子大生が、”カニを食べに”男友達の実家の”民宿”に、卒業旅行って。

 普通に考えて、”なし”じゃない?


 去年、大学を卒業した妹が、バイト代と親からの借金でグアムに行ったことを思うと、どうしても、ありえないと、思えて仕方がない。 

 

 お皿に残った人参と一緒に。

 内心の苛立ちを飲み込む。

 


 デザートと、食後のコーヒーも終えて。

 駅までの道を、並んで歩く。


 途中で、中学校らしき校門前を通り過ぎる。


「紀美さん、゛降るほどの星空゛って、見たことある?」

 そう尋ねる彼と同じように、空を見上げる。

 灯りの消えた学校の周囲は、住宅地ということもあるのか街中に比べて街灯も控え目で。

 意外と星がきれいに見えた。

「小学生の頃、自然学校で見たかなぁ」

「ああ、なるほど」

「小山くんは?」

「俺は、育ったのが片田舎だから。いつか紀美さんにも、見せたいなぁ」

 そう言った彼が小さな声で歌い始めたのは、”満天の星”のイメージに呼ばれたような曲だった。



 愚かな夢物語と、いわれても。

 決して、諦めたくはない。


 そんな意味のサビは、これから社会へと出ていく彼の、一つの決意、のように思えた。

 私も、一緒に口ずさむ。


 夢物語でもいい。

 貴方を、諦めたくない。

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