ふるい分け
「お姉ちゃん、カレシから電話」
ノックの音とともに、自室のドアが開いて。子機を持った妹の手が、にゅっと伸びてくる。
おざなりに返事をしながら受け取って、保留ボタンを押す。
[もしもし、紀美さん?]
[どーも]
ニヤニヤと覗いている妹を手で追い払っておいて、ベッドの上に座りなおす。
[どうしたの? 今夜は?]
[声が聞きたいな、って]
受話器からの呟くような声に、天井を仰いで。
子供時代から変わらぬ、天井の木目模様を視線で辿る。
互いの音楽の好みが重なったと、虎太郎をそっちのけで盛り上がったあの日以来。小山くんは、一週間から十日に一回くらいの割合で、電話をかけてくるようになった。
でも。カレシ、ではない。
妹の期待は、思いっきり”ハズレ”、だ。
ただ……あの日、肩を抱かれた後遺症か、声を聞くたびに軽く動悸がする。
『今夜は、なんとなく人恋しくって』なんて、言っている小山くん。
実家が東隣の県にあるから、一人暮らしをしている、っていうのを聞いたのは、”合コン”の準備で電話のやり取りをしている時だったっけ。
取り留めない話をしばらく続けて。
[紀美さん。何か、歌って]
いきなりの"お願い"に、面食らった。
[何かって、何?]
[なんでもいいよ。子守唄の代わりになりそうなヤツ]
なんだか今日は、眠れそうにない、なんて甘えた事を言っているけど。
[夜の九時。眠くなくっても、当たり前でしょ?]
眠れないなら、勉強でもすれば?
子守唄なんて思いつかないし、取り立てて歌が上手なわけでもない。
だから、代わりに
[羊が一匹、羊が二匹]
って、数えると、左耳に当てている受話器の向こうで、クスクス笑っている気配がする。
人の好意に失礼な……って、ちょっと腹が立ったから。
[十ぅ三びぃきぃ、十ぅ四ひぃきぃ]
魔女のような声を作って。
ついでに、笑い声もオプションで付けてみたら、明らかに笑い声を立ててる。
[紀美さん。似合いすぎ。大鍋をかき混ぜて、薬を作ってそう]
[薬剤師よりも、本当は薬師になりたかったのよね]
現代日本で、そんな職業、ないけど。
[だったら、製薬メーカーで開発とか……]
[女子の求人、少なかったしね。向いてないかな、ってのもあったし]
[そう?]
[処方箋通りに調剤することはできても、一から計画を立てて研究とかは無理]
[ああ、そうか]
一人で納得している小山くん。
[レシピ通りにしか、料理できないんだったっけ]
[……その納得の仕方は、こっちが納得いかない]
最近は、ちょっとずつ材料を変更することだって、覚えたもん。
[それに、メーカーに就職したら、営業に回される可能性もあるじゃない?]
[へぇ。そういうものなんだ]
[らしい、だけどね。どっちかって言うと、私、人見知りだから]
[そう?]
しばらく考えていた小山くんが、今度は『納得いかない』と言い出す。
[俺、初対面で説教された気がするんだけど?]
[そう?]
[タバコ吸うなんて、馬鹿じゃないのって]
そう言えば、そんなことも言ったっけ。
[一期一会、だと思ってたからね]
[一期一会?]
[そう]
無言の受話器の向こうで、小山くんが首を傾げている姿が、目に浮かぶ。
[医療現場に出ることを前提に、学生時代、接客の練習のつもりでバイトをしててね]
[そんなことを考えて、バイトしてたんだ]
[ま、おこずかい稼ぎ、もあったけど。でね、会うのは一度きりになるかもしれない相手とだったら、どうにでも会話できるの。でも、子供のころのクラス替えみたいに、ずっと持続することが判っている相手との関係を、新しく作るのは苦手だなって、その時に気付いて]
[ふぅん。それで、合コンの話が出るまで、電話してこなかったんだ]
[……]
実は、電話も苦手。かかってくるのはいいけど、かけるのは嫌だったりする。
[一期一会にするつもりだったんだ]
[小山くんだって、電話番号捨てたじゃない]
咎めるように言われたので、反撃したら。
[だから。大事にしようとしていて]
慌てたような小山くんの声の途中で、ドアがノックされた。
「紀美子。長電話をしてないで、お風呂入っちゃいなさい」
そう言って部屋を覗きこんだ母に、了解! と敬礼を返して。
[ほんとに、長電話だ]
その言葉に枕元の目覚まし時計を見ると、確かに。結構な時間が経っていた。
[ごめん、聞こえた?]
[うん。これから、紀美さんがお風呂に入るって]
妙な笑い声を立てる小山くんに、『馬鹿じゃないの』と、一言毒づいて。
恥ずかしさを取り繕って、電話を切った。
そういえば、彼は今、就職活動の真っ最中だったなと。
湯船の中で、思い出した。
そんな感じで、彼から電話がかかってくる。
そのついで、と遊びに誘われることがあったり、就職内定のお祝いに、一緒にご飯に行ったりなんかもして。
一期一会、のはずの小山くんが、家族や同僚の次によく顔を合わせる相手になった。
そして、そろそろ朝晩は上着が必要になってきた頃。
[紀美さん、来週末、って休みでしょ?]
その日の電話で、いきなりそんなことを言う小山くん。
[残念でしたー。出勤ですー]
[えー? なんで? 先々週が半日だったはずなのに……]
親でも理解不能、と、諦めている私の土曜出勤のパターンをいつの間にか、学習したらしい。
そう思って、少しだけ頬が緩む。
[本当だったら、休みなんだけどね]
[ほら、やっぱり]
[その次の週に、従姉の結婚式で、岡山まで行かないといけないから。代わってもらったの]
[岡山で結婚式、かぁ]
[金曜日が祝日でしょ? それにあわせてって。帰ってくるのは、日曜の夕方、かな?]
[じゃぁ、仕方ない]
[ごめんね]
と、つい謝ってから。
何が、ごめん? と、自分の心が呟く。
別に、私の休日は、小山くんのモノじゃない。
その、従姉の結婚式は。
金曜日の夜には、”前夜祭”のような宴会があって。
土曜日は式と披露宴で。
さらに、当日の夜には”後夜祭”まであって、また宴会。
って。宴会だらけ。
おじさんたちも従兄姉たちも、当然両親も。アルコールの抜ける暇はあるのか、と不思議なくらい、ビールとお銚子の姿を見続ける。
「紀美ちゃんもぉ、オトナだなぁ」
そんな事を言いながら、最年長の従兄がビールを注ぐ。
「私、そんなに飲めないから、ちょっとにしてー」
「だいじょーぶ。叔父さんたちも、酔ってて見てない、見てない」
「ぎゃー」
悲鳴を上げても、確かに。誰も気にも留めてない。
あ、なんか、分家のおじさんがドジョウ掬いを踊りだした。
「紀美ちゃん、看護婦さんになったんだっけ?」
「ううん。薬剤師」
「ヤクザ医師?」
「だ・れ・が?」
「じょーだん。じょーだん。わかってるって、あれだろ? 薬つくる看護婦さん」
だ・か・ら
ナースじゃない、っていうの!
病院で勤めてたら、患者さんの中には、”白衣を着た女性 = 看護婦”って思い込みのある人が結構いることを知る。
ま。中には。
『ちょっと、ネエチャン』のかわりに『おい、看護婦さん』って呼んでるのが、まる判りのような人もいるけど。
従兄も、”そういう人”だったんだな、と思いながら、ビールに口をつける。
「でさ、紀美ちゃん」
「はーい?」
「薬作ってたら、やっぱりヤバい薬って、手に入り放題?」
「……なんで、そんな事?」
「いや、べつに」
どうして、こう。
薬剤師、と聞くと、『ヤバい薬が手に入るか』って尋ねるんだろ。
夏にあった高校の同窓会でも、同じクラスだった男子からニヤニヤ笑いとともに訊かれたっけ。
そのあとも、『次の結婚式は、紀美ちゃんの番』だとか好き放題言っている伯母さんたちを、やり過ごしながらの宴会が続く。
「どうしてなんでしょうねぇ」
三連休あけの月曜日。
日本茶を淹れたマグカップを、事務室 兼 ロッカーでもある休憩室の机に置きながら、堀田さんに尋ねてみた。
仕事をしながら、お茶を飲む、なんてことのできない仕事柄、うちの薬局には午後診が終わる頃に、十五分のお茶休憩がもうけられている。
岡山のお土産に買ってきたお饅頭を、お茶請けに配った小南さんと、さっそく個包装を解いている堀田さん。そして私の三人が、この日は一緒の休憩だった。
「なにが?」
「薬剤師、って言うとと、必ず『ヤバい薬、手に入る?』って訊かれるんですけど……」
こぼれやすいお饅頭を包み紙の上で器用に割った先輩が、キレイな眉をヒョイっと上げてみせる。
「ソレ、男の人?」
「ええ、まぁ」
割ったお饅頭を口に放り込んだ堀田さんが、しばらく考えている間に、私もお饅頭を口に運ぶ。
「あれはねぇ。私から言わせると、”オトコの篩”ね」
「ふるい、ですか」
小南さんが、苦労しながらお饅頭を割っている。
ああ。粉がこぼれた。このお饅頭、おいしいんだけど、ちょっと失敗だったか。
「そう。ほら、国試で勉強したでしょ?」
と、先輩が粉薬の粒度をそろえる道具の話をする。少しずつ目の細かい篩になるように、重ねて使うんだったっけ。
「一番目の粗い篩が、『ヤバい薬手に入る?』ね」
「はぁ」
「もう、そういうことを言った時点で、完全に”恋愛対象外”」
そう言って微笑んだ堀田さん。
凄いなぁ。恋愛対象になる男性かどうか、篩にかけるんだ。
薬局一の美女であり、酒豪でもある先輩の、”男らしさ”みたいなものに、単純に感動する。
でも、なんでだろう。
食堂のおばちゃんが麺を茹でるときに使うような笊を振っている、堀田さんのイメージが浮かんでしまった。
ほかにも『男を見分ける篩の基準』なんてのを小南さんと並んで聞きながら、ふと思い出す。
小山くんは……今まで一度も、そんな事、言わなかった。