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励ます会

 忘年会の帰り道、検査室長が『結婚まで行くんじゃない?』と言ってた桐生先生と本間さんは、本当に結婚した。

 それも、春を待たず。

 新しくなった元号にそろそろ世間も慣れた、二月の終わりに。



「で? 今度はなに?」

 やっちゃんが、生ビール片手に、尋ねる。

 彼女とは、失恋話を聴いてもらった去年の夏から時々、予定を合わせてご飯に行ったりしていた。

 この日は仕事の後、駅前のお好み焼き屋さんで落ち合って、豚玉焼きが焼けるのを待っていた。


「桐生先生が、結婚したって」

「まだ、あんたは……いい加減、諦めたんじゃなかったの?」

「できちゃった婚、だって」

「それは、それは」

 ため息のようなものをついて、グラスを煽る やっちゃん。


「あの二人、エッチしてるんだ……」

 ポロリと落ちるまま、本音をこぼして。チューハイのグラスに口をつける。

 ブッと音がして、やっちゃんが咽た。

「……あたりまえでしょうが。いい年した、男女が」

 当たり前、は、私だって。頭では判っている。 

「判っているけどさぁ。なんか、こう……生々しすぎて、聞きたくなかった、っていうか」

「生々しい、ねぇ」

 しばらくはこのまま『桐生さん』として働き続ける本間さんが、秋の出産の前に退職する、と聞いた時には、驚きよりもむしろ。

 自分が”ナニ”の結果生まれたと、知ってしまった時のようなショックが、あって。

 本間さんに対して、ちょっと……引いてしまった。


 焼き上がりを確認に来たお店の人がソースを塗っている間、会話が止まる。

 ついでに、とビールのおかわりを頼んでいる やっちゃんに割り箸を渡す。


 しばらく黙って、熱々のお好み焼きと格闘する。

 半分ほど食べた所で、一度箸を置いた やっちゃんが口を開いた。


「ねぇ、きーちゃん。本気で、他の人を探しなよ。その年で”生々しい”とか、オボコいことを言ってないでさ」

 いや、実際に未通娘か、とかひどい事を言って、やっちゃんがグラスに手を伸ばす。

「私で良かったら、合コンとか、セッティングしようか?」

「……う、ん」

「気乗り薄?」

「うーん」

 合コンとか、お見合いとか。 

 そんな作られた”出会い”じゃなくって。

 もっと、こう……運命的な出会い、がしたい。

「そんな事を言っているから、年齢と”彼氏いない歴”が、イコールなんでしょうが」

 本当すぎて、イタイ事を指摘する やっちゃんを睨んだけど。どこ吹く風、でお箸を手に取る幼馴染みに、鼻からため息をついて。

 通りがかった店員さんに烏龍茶を頼んだ私は、薄くなったチューハイのグラスを空けた。



 そんなやり取りを やっちゃんとしたのは、いつだったっけ、と、思い出したのは、夏の終わり頃。

 

 本間さん改め、桐生さんの送別会と、彼女の抜けた穴を補う”新人”の辰巳さんの歓迎会を兼ねた副診療部合同の飲み会の幹事を任された私は、堀田さんに相談に乗ってもらいながらなんとか、務めをはたした。

 お開きになった店の前で、お礼と労いの言葉を残して、桐生先生と帰っていく先輩の後ろ姿を見送って。『そういえば、最近やっちゃんとご飯に行っていないな』と考えた。

 来週あたりにでも一度、電話してみるか。


 と、思っていたのが伝わったように。家に帰ると、食卓の上に、『やっちゃんから電話があった』と、妹の字でメモが置いてあった。

 うーん。今から、電話するのは……おじさんに叱られそうだな。

 腕時計は、そろそろ十時を指そうとしている。

 明日、帰ったら必ず、と、学習机の上に、さっきのメモを貼っておく。

 『忘れそうなことは、メモを貼っておきなさい。ロッカーのドアでもいいから』って、教えてくれたのも”桐生さん”だった。

 私は、彼女みたいな”先輩”に成れるだろうか、と、辰巳さんの数ヶ月前に新卒で入った小南さんの顔を思い浮かべて。

 明日の仕事に備えて、お風呂に入る支度をする。



「きーちゃん、こっち」

 駅で待ち合わせた やっちゃんの声に、手を振り返す。

 結局、九月に入った最初の土曜日に、やっちゃんとご飯に行くことになった。

 『ちょっと可愛いい感じで。ね?』なんて言っていたから、ドレスコードのあるような店かと思っていたら、連れて行かれたのは、なんてことない居酒屋で。


「やっちゃん?」

「ほら、入って入って」

 後ろから押されるようにして、店に入る。

 店員さんに、『予約が……』とか言っている やっちゃんの言葉に首を傾げているうちに、半個室へと案内される。 


 室内には、虎太郎ともう一人。眼鏡を掛けて、どこか萎れた雰囲気の男性がタバコを吹かしていた。


「紀美ちゃん、久しぶり」

「ああ、うん」

 彼女といる虎太郎を、私は半年ほど前に見かけたけど。虎太郎からすれば、多分、去年の台風以来だろう、と思うと……どんな顔をすればいいのか、困ってしまう。

 私が困っている間に、やっちゃんが虎太郎と向い合う席にさっさと座ってしまったので、その右隣の席に座って。

 私たちの後ろについてきていた店員さんに、ビールが注文される。

 その間も、プカプカと煙を吐き出す男が一人。


「コイツ、大学の友人で、小山 祥二」

 ビールで乾杯のようなものを交わして。虎太郎が他の三人を繋ぐように、それぞれ紹介してくれたけど。

 小山くんは私たちと目も合わさず、ちょいっと頭を下げただけで、ビールを飲んでいる。

 その肩を、呆れたような顔で虎太郎が小突く。

「ヤマショウ、おまえさぁ」

 『ヤマショウ』って、どんな略し方だ。

 あまりにもぞんざいな愛称に吹き出すと、眉間に皺を寄せた小山くんが音を立ててグラスを置いた。

「子トラ、うるさい」

 心底煩そうな顔で、新しい煙草に火をつける小山くん。三白眼、っていうのだろうか。最近流行りだというシベリアンハスキーみたいな眼が、ジロリと横目で虎太郎を睨んだけど。

 『子トラ』と呼ばれた虎太郎は、意に介さずガウっと唸って。突き出しのもずく酢を口に流し込んで、お酢にむせた。


「あんた、いくつよ。幼稚園児じゃあるまいに」

 ため息をついた やっちゃんが渡したオシボリで、胸元にこぼれたもずくを拭いている虎太郎に

「幼稚園児じゃないよねぇ? 彼女と駅にいるところ、私見たし」

 って、言ったら。

 真っ赤になって、今度は私に向かって、唸って見せる。

 子供のころから変わらない八重歯が、確かに子トラの風情で。

「本当に、子トラだねぇ」

「子トラじゃなくって。『トラ』!」

「『トラ』だったら、いいんだ」

「うん。高校生の頃からずっと、周りにそう呼ばれてる」

 そう言ってオシボリを返した虎太郎が、やっちゃんと小山くんのグラスにビールを注ぐ。

「紀美ちゃんは?」

「まだ、いい」

 潰れないように、とゆっくり飲んでいるビールはまだ半分以上残っている。



 そんなやり取りに、”われ関せず”って雰囲気でひたすら黙々とビールを飲んで、モクモクと煙草を吹かす小山くん。

「で、今日はどういう集まり?」

 そう尋ねると、やっちゃんと虎太郎が顔を見合わせる。



 姉弟で、譲り合った二人が言うには。

 夏の初めに失恋した小山くんが塞ぎこんでいるから、気分転換を図って……ってことらしいけど。

「なんで、私も?」

 新たに届いた揚げ出し豆腐を取り皿に取ってから尋ねると、

「紀美ちゃんだって。いつぞや嵐の中で泣いてたじゃん」

 って、イタイ事を虎太郎にほじくり出される。

「うるさい。ちびトラ」

「ひどっ。子トラよりも、もっと酷いっ」

 じゃぁ、『ダメトラ』とでも言ってやろうかしら。


「嵐の中で、ねぇ」

 それまで黙っていた小山くんの声が、私と小太郎の言い合いを遮る。

 彼の存在を思い出して、正面に座った人の顔を眺める。

 新しいタバコをパッケージから取り出した彼は、唇を歪めるように笑った。

「そんなシチュエーションで泣いて、何を狙っていたわけ?」

「何って……」

 偶然、その日だっただけで。別に、何も狙っちゃいない。

 黙り込んだ私をフン、と鼻で笑って、タバコに火をつける。

 煙が私の方に流れてきて。軽く、咳払いをする。


 ずっと吸っているなぁ、この人。 

 チェーンスモーカーってのは、こういう人か。


 ”ビールのつまみ”にタバコを吸っているような人なんて、初めて見た。


 私が子供の頃には、父も吸っていたけど。ここまでひっきりなしではなかった。

 病院の職員にも、ここまで吸う人はいない。 



「虎太郎は、タバコ吸ったりするの?」

「俺? 吸わないなぁ」

 小山くんの分の揚げ出し豆腐まで遠慮なく取った虎太郎が、不器用な箸使いで豆腐を割る。

 割りながら、何かを思い出すような顔をして。

「高校時代の先輩がさ、”体が基本”ってしつこいくらい言ってたからかなぁ。バレー強くなりたかったら、飯喰え、ちゃんと寝ろって」

「へぇ」

 体が基本、って確かに。

 寝不足の日や、二日酔いの日は仕事にならない。



「あ、ご飯って言えば。きーちゃん?」

「何?」

「春から行くって言ってた料理教室、どう?」

「どうって」

「上手くなった?」

 うーん。

「イマイチ、なんだろ?」

「なによ、子トラ。見てきたみたいに」

「いやぁ。調理実習の手際から考えたらねぇ」

「やっちゃんまで」

 やっちゃん姉弟に、好き放題言われながら、春巻きを取ろうと手を伸ばして。

 小山くんと、箸が当たりそうになる。無言で、譲り合いをして。

 箸を一度置いた小山くんが、グラスに手を伸ばしたのを見て、先に取らせてもらう。


「料理なんて、家で練習しないとダメじゃない?」

 改めて箸を手にした小山くんの手を眺めながら言った私に、

「練習ぐらいすればいいじゃない。おばさんだって、手伝えば喜ぶでしょ?」

 なんでもないことのように、やっちゃんが言う。

 春巻きに辛子を塗っていた虎太郎までが

「紀美ちゃん。この姉者(あねじゃ)でも、母者(ははじゃ)の手伝いは、してるよ?」

 って、尻馬に乗るようにして、やっちゃんとおばさんを例に出した。

 小さい頃は、『ママ』『お姉ちゃん』って、可愛く呼んでいた虎太郎が、思春期を迎えた頃。声変わりした声で『母者』『姉者』なんて呼んでいるのを聞いて、お腹を抱えて大笑いしたっけ。


 それは、そうとして。

「手伝いくらいしてるけどぉ……」

「けど?」

「いや、それがさ」

 相槌をうった やっちゃんに視線を移して、ビールで口を湿らす。

「今まで、習った料理を一度は練習に作ってみたんだけどね。『一体、食費にいくらかける気!?』って、うるさくって」

「何、作ったわけ?」

 心底、不思議そうな顔で尋ねるやっちゃんに、

「肉じゃがとー、グラタンとー、中華丼とー、コロッケとー」

 左手でなんとなく数えながら、今までに作った料理を答える。

 あ、最後のコロッケは、料理教室じゃなくって、結婚前の本間さんから教えてもらったヤツ、だけど。


「その内容で、金額が問題になるって……」

「良い材料、使いすぎって」

 料理教室でもらったレシピ通りなんだけどなぁ。

 『肉じゃがの肉に、牛ロースなんて買うな』とか、『グラタンに、生のホタテ貝!?』だとか。うるさい、うるさい。

 唯一、文句が出なかったのが、合い挽きとミックスベジタブルを使った、コロッケだけだったあたり、一段と本間さんとの差を思い知らされて、半月ほど、やる気が失せた。 

「まぁねぇ。敵は、その道(やりくり)三十年のベテランだし」

「でもさ。手に入らなくって、妥協している材料だってあるんだよ? これでも」

 私だって、工夫している、と言いながら、小山くんの空いたグラスにビールを注いでみる。

 泡のほうが多いようなグラスに、ちょっとだけ嫌そうな顔をして。

 小山くんは新しいタバコに火をつけた。


 あ、そうだ。ちょうどいいや。

 やっちゃんだったら、もしかして、知っているかもしれない。


「ね、やっちゃん。”ネギ油”って、どこに売ってるか知らない?」

「ネギ油?」

「うん」

 先月習った麻婆豆腐。『あればネギ油』とレシピには書いてあったけど、先生も詳しく触れないままだったから、どんなものか想像もつかないし。

「近所のスーパーには、置いてなくって」

 市役所のあるターミナル駅の百貨店にでも行かないと無いのかなぁと思いながら、『また今度買いに行こう』と、後回しになっている。

「そもそも、ネギ油って、なに?」

「さぁ?」

 二人で首を傾げていると

「そんなモンくらい、作れば?」

 って、小山くんの声がした。

「作る?」

「サラダ油にネギとか生姜とかを入れて……」

 ざっくりとした説明だったけど。

 慌てて、手帳を出してメモを取る。


「小山くんって、料理が得意?」

 ささみチーズを私の皿に入れてくれた やっちゃんが意外そうな声を出す。

 確かに。なんだかダルそうに箸を動かしている彼が、包丁でネギをチマチマと刻んでいる姿は、はっきり言って、想像できない。

 ついでに、咥え煙草でって……どうなんだろう。

「得意、ではないけど」

 言い訳がましく、彼が言うには。

 バイト先のラーメン屋で、門前の小僧が覚えたらしい。


「ラーメン屋のバイトって、煙草OKなわけ?」

 そう尋ねた私に、

「いや、さすがにそれは……」

 居心地悪そうに答えた彼が、また新たな煙草に火をつける。

「二十歳でそんなに吸ってたら。早死にするよ?」

「別に、そんな事」

「依存性あるしねぇ。ニコチンは」

 お金燃やして、依存症になってって、馬鹿じゃないの。


 そう言った私の言葉に、小山くんが顔をしかめて。

 火をつけたばかりの煙草を、灰皿に押し付けた。


 うんうん。それで、よし。


 煙から開放された私は、どこか勝ったような気分で海老シュウマイに箸を伸ばした。

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