失恋話
翌日、お昼すぎに最寄りの駅前で待ち合わせて。
やっちゃんと二人、市役所のあるターミナル駅まで移動する。
電車の中では当たり障りなく、互いの仕事のことなんかを話して。
少し前のタウン誌に広告が出ていた、駅前ホテルのレストランへと向かった。
「で? 何があったって?」
お皿いっぱいにケーキを載せて席に座るなり、やっちゃんが口火を切った。
レアチーズケーキを一口食べてから。
昨日の夜、頭のなかで整理をした、”いきさつ”を話す。
「うーん」
話を聞いている間に、三つほどケーキを食べ終えた やっちゃんが紅茶のカップを手に唸る。
私も食べかけで止まっていたチーズケーキを口に運ぶ。
これくらいの酸味が、一番好きだなぁ。ベリーのソースも、美味しいし。
「きーちゃんらしくないなぁ」
カップをテーブルに戻した やっちゃんが、改めてフォークを手に取る。
「らしくない? なにが?」
「彼女のいる人、略奪しようとするなんて。考えられない」
「……略奪、って言うな」
「中学生の頃は、バレンタインのチョコを渡すことすらできなかった事を考えれば、成長かもしれないけどねぇ。『一緒に行こう』って、誘っても、『無理ー』って、言ってた子が”略奪”」
だから、略奪、って言うな。
それに、
「あれは、相手が悪かったっていうか……」
「悪かった? そう?」
「だって、風紀委員の丹羽くんだよ? 『中学生の本分は、勉強じゃないの?』とか言われそう」
「言わないって。私が家に行ったら、ちゃんと丹羽先輩に取り次いでくれたよ?」
うわ。やっちゃんってば、一学年上の”丹羽くんのお兄さん”にチョコを渡すために、本当に家まで行ったんだ。
すごいなぁ。って、改めて目の前の幼馴染みの行動力に感心する。
「あの後も、卒業までグズグズ言って。そのくせ、一緒の高校を受けるわけでもなし」
「……」
「市内トップの蔵塚南に受かる力があるんだから、丹羽くんが行った柳原西は、楽勝じゃないの」
「だって……蔵塚南、受けるだろうな、って思ってたし」
「聞きなさいよ。本人に」
「聞けるわけ、ないじゃない!」
あ、しまった。
興奮して、テーブル叩いちゃった。
ジロジロと見てくる周囲のテーブルの人に、頭を下げて。
気を取り直すように、紅茶を飲む。
当時、丹羽くんに聞くなんて勇気、とてもなかった。
それでも、いつか『川本さんは、どこ受けるの?』とか、『一緒の高校、行けるといいね』とか。言ってくれないかな、なんて考えていた。
それは、高校に入ってからも、大学生になっても一緒で。
いいな、と思う相手がいても密かに眺めているだけで、彼の方から『好きだ』と言ってくれる事を待っていた。
自分から『好きです』なんて言う勇気を、持つことができないまま、成人して。社会人になってしまった。
「ま、得てない恋は、失うこともないからね。”失恋”じゃないわよ」
「やっちゃん、それ変」
「まぁまぁ。それぐらいの意気込みで、次に行けば? せっかく告白する勇気は持てたんだから」
『で、なんて言って、告白したわけ?』という やっちゃんの言葉に、返事に困る。
プチシューをフォークの先で転がしている私を覗き込む、やっちゃんの眼が面白そうに踊っている。
「……言ってない」
「はぁ?」
「飲み会の席で、『この後、呑みに行きませんか?』って誘っただけで」
「それも途中で寝落ちして、上司に送ってもらったって?」
「うん」
はぁ、とため息をついた やっちゃんに釣られるように私もひとつ、息を吐いて。プチシューを口に運ぶ。
「それで”彼女”から、奪えるわけないじゃない」
「……」
呆れたような やっちゃんから目をそらすようにして、モンブランの上の栗を口に運ぶ。クリームにフォークを入れる。
「きーちゃん」
「うん?」
「その人のこと、泣くほど好きだったわけ?」
フォークを口に入れたまま頷く。思い出すだけで目がじわっとしてくる気がする、桐生先生の笑顔。
「私から言わせると、正面切って告白したわけでもない きーちゃんに、心変わりがどうのってお説教するなんて、何様、って感じだけど」
「それは、本間さんの手前、もあるだろうし……」
「それでもよ。その男、結構手馴れている気がするんだけど。それこそ、今までに心変わりの一つや二つ、やってるんじゃないかな」
「桐生先生は、そんな人じゃないって!」
「ああ、もう。叫ぶなっていうの」
二人で、また、周囲のテーブルに頭を下げる。
小さくなっている私を尻目に、『お代わり取ってくる』って、やっちゃんが席を立つ。
手馴れて、いるのかもしれないけど。
それでも、桐生先生が本間さんを見つめるあの”目”が、私も欲しかった。
やっちゃんに話を聞いてもらって少しスッキリした私は、気持ちを入れ替えて翌週からの仕事に勤しむ。
本間さんと桐生先生が仲良く話をしている姿を廊下で見かけては、キューッと胸が苦しくなることもあるけど。
院内では変わらず『本間先生』と、彼女のことを呼ぶ桐生先生の姿勢とか、頼りになる”指導担当の先輩”としての姿勢を貫いて私と接してくれる本間さんの姿を見ていると、自分がまだまだ子どもな気がして、背筋が伸びる気がする。
もう少し、”大人”になれたら。
いつの日にか、『俺の気持ちは紀美子のモノ』って言ってくれる人が、私にも現れるかもしれない。
あの日の、桐生先生のように。
そうして、毎日の仕事をこなすうちに、年末が来ようとしていた。
その日、忘年会のお知らせが総務から配られた。
「ああ、そろそろ忘年会、ですか?」
「早いわよね。もう、一年が終わっちゃう」
と言って、スケジュール帳を開いた薬局長や本間さんの真似をして、私も予定を書き込む。
「忘年会、って、なんだか”社会人”な気分がします」
私の言葉に、薬局長が吹き出した。
そんなに笑わなくってもいいじゃないですか。学生が”忘年会”なんて、しませんよ。
「良かったわね。うちは毎年、二回やるわよ」
指を二本立てた薬局長が、コーヒを口に運ぶ。
「二回、ですか?」
「そう。この……院内全体と、副診療部と」
副診療部、ってことは。歓迎会と同じく、薬局・リハビリ室・検査室・レントゲン室、の総勢十三人。
「副診療部の方は、各部署が持ち回りで幹事をしてね。去年は、検査室だったっけ?」
「そうですね。今年はリハビリが幹事で、ふぐ料理、って」
「あら、決まったの?」
「みたいですよ」
とか言いながら、ペン先を収めた三色ボールペンを胸ポケットに刺した本間さんが、一度閉じたスケジュール帳を開く。
「日取りが、ココらしくって」
と、カレンダーを指さす。
うわぁ。病院の翌週。ってことは、二週連続の飲み会、だ。
これで、また潰れたら……怒られるだろうなぁ。
「川本さん、ふぐって、食べたことある?」
コーヒーに手を伸ばした本間さんの言葉に、首をふる。
「いえ……ない、です」
「私もないのよね。美味しいのかなぁ」
「てっさとか、てっちりとかですよね」
カチカチと、ボールペンの芯を出し入れしながら返事をする。
高級魚、のイメージが強いし、家族で食べに行った経験もないや。
「男所帯のリハビリにしては、珍しい選択よね」
さっきから胃のあたりを撫でていた薬局長が、首を傾げる。
「そうですか?」
「あそこが幹事をしたら、結構”肉肉しい”のよね。いつも。ほら、本間さんの歓迎会も、リハビリが幹事だったし」
翌日の胃もたれがひどくって、と、薬局長がため息をつくのを、眼を細めるように本間さんが笑う。
「今回は、一番下っ端の桐生先生が、メインで幹事を任されたらしいですからねぇ。それで、お魚になったんじゃないですか?」
「あら。桐生先生って、意外と魚好き?」
「ですよ」
平然と答えた本間先生。
うーん。さすがに”彼女”だなぁ。
なんて、心の何処かで納得しながら、隣でコーヒーを飲んでいる先輩の姿を見る。
「なに?」
と、小首を傾げる本間さんに、首を振って見せて。ついでに壁の時計を見上げる。
そろそろ昼休みも終わりそうだ、と私も紅茶を飲み干す。
さて。今日は、昼からも忙しい日だ。
そうして迎えた、副診療部での忘年会。
潰れないように、と配慮をしてくれた薬局長の隣で、大人しくふぐ料理を堪能した。
その合間に、皆で桐生先生と本間さんを冷やかす。
二人は、時折目を見かわしながら、穏やかに微笑んでいて。
そんな二人を”お似合いだ”と思えた時。
自分が少し、大人になれた気がした。
お開きのあと。店の前で皆とは別れて、仲良く二人並んで帰っていく桐生先生たち。
「いいなぁ」
思わず零れた呟きを、隣にいた検査室長に拾われる。
「いつまでも、他人のモノにヨダレ垂らしてないで。自分も、男見つけなさい」
「ヨダレなんて、垂らしてませんっ」
言い返した私に、カラカラと豪快に笑った室長は、さすがに”お母さん”の貫禄で。
駅までの道を並んで歩きながら、
「男はね、胃袋で捕まえるんだよ」
なんて、アドバイスらしきものをくれた。
「さっき、桐生くんも言ってたでしょ? 本間さんの手料理が好きだって」
「あぁ、言ってましたね。コロッケがどうとか」
勝手な想像だったけど。
あの”大人”な二人だったら、ドラマみたいな素敵なデートをしているものだと思っていた。
なのに、お饅頭を食べつつお茶のんでる、とか、お手製のコロッケを二人で食べているとか。
そんなの、うちの両親だってやってる、って。
「浮ついたところのない子、たちだから。このまま、結婚まで行くだろうね」
「はぁ」
半年前の私にとっては、救いの欠片もない室長の言葉だったけど。
今の私には、すんなり頷ける気がする。
「だから、川本さんは、さっさと次の男、探しなさい」
「その前に、胃袋つかむ練習をしないと」
そう言った私の肩を軽く叩いた室長は、もう一つ笑い声を残して、前を歩く薬局長たちに合流するように歩調を速めた。
同じ方向に帰る人達と一緒の電車に揺られて。
電車が駅に止まる度、一人、またひとりと、電車を降りていく。
最後の一人、になった私も、乗り換え駅で降りる。
次の電車まで、十分ほど、と、腕時計を確認して。
寒いホームの上で、風よけになりそうなところを探す。
あ、自販機の影だったら、少しマシかな?
そんなことを考えて、忘年会帰りらしいサラリーマンの間を通り抜けた。そして、ひょいと回りこんだ自販機の向こう。
ベンチに寄り添うように座った男女の姿が目に入った。
寒さなんて、関係ないんだろうな、とやっかみ半分、眺めたら。
虎太郎だ。
へぇ。彼女か。
あのチビスケにも春は来るんだなぁ。
幸せいっぱい、って顔の虎太郎を見ていたら、なんだか、余計に寒さが身に沁みる、気がする。
あっちも、こっちも。
私以外、春なんだから。
私にもいつか。
嵐から守ってくれて、寒さを忘れさせてくれるような人が表れたら……いいのになぁ。
そのために、本気でお料理教室、行こうかなぁ。
年が明けたら。