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新京迷宮特區(後篇)

 唸るような警報(サイレン)の音が特區(とっく)の大通りに響き渡ったのは、赤眼(アカメ)が二品目の料理──蜥蜴(ラケルタ)肉の揚げ物を恐る恐る口にする直前だった。

 揚げ物を皿に戻し、いったい何事かと(ヤン)の方に視線を向ける。彼は器の中身を飲み干して、座ったまま耳を澄ましている。無口な店主は、鍋の火を消して蓋をした。落ち着き手慣れた様子に、即断を要する危険は無いのだろうと、アカメは力を抜いた。


「警報ですか」

「ええ。大型の魔物を見つけたんで、軍が対処しますよって合図なんですがね。ま、月に何度かある恒例行事ですよ」


 鉄柱の上の拡声器(スピーカー)に注意を向けたまま、ヤンは小声で返答する。その手では、いつの間にか手帖が開かれていた。

 じっと待つこと数十秒。警報が途切れ、拡声器から聞こえてきたのは、若い女性の声だった。


『方位三、距離一万六千、反応一、強度五。周辺に認識票(タグ)反応なし。坤炮(クンホウ)にて迎撃す。繰り返す。方位三──』


 ヤンは素早く情報を書き留め、腕時計を確かめて現在時刻を書き足した。内容に間違いが無いか確かめる彼の背後を、数人の男たちが走っていく。


「大物だ、先を越されるんじゃねえぞ!」


 おう、と応える声は既に遠く、男たちの意気込みが窺えた。慌ただしく動き始めたのは彼らだけではなく、支払いもそこそこに近くの屋台から抜け出す者も見受けられた。

 漏れ聞こえてくる会話から、狙いが魔物であることは間違いなく、アカメは推測を言葉にする。


「魔物の死骸は早い者勝ち、ということでしょうか」

「御明察。天素(エーテル)結晶だけは軍に接収されちまいますがね、それも謝礼金が出るってんで、手透きの連中はああして走っていく、と──」


 (ごう)、という重い響きと共に、大通り全体が震えた。甲殻蜥蜴(アルマラケルタ)の頭殻が回転しながら揺れるのを、店主が手を伸ばして止める。数秒後、再び地面が軽く揺れ、遠くからの響きが小さく聞こえてきた。

 都市区画防衛の要、「坤炮」と称される弩級砲台の存在は、アカメも知っていた。元は関東軍が所有していた対魔物用の移動砲台「七式金剛加農(カノン)」を改造し、特區外壁に据え付けたものである、と彼女は伝え聞いている。


 続けて放たれた二度目の砲撃の後、拡声器が魔物の撃破を伝えると、大通りはすぐに常日頃の喧騒を取り戻していった。思いの外早かった事態の終息に、アカメは眼鏡の位置を直しながら、わずかに首を傾げる。

 煙草に火を点け、一服していたヤンが、その様子に気付いて口を開いた。


「何か気になることでも?」

「いえ。かなり精度の高い射撃だったようなので」


 魔物の大きさは分からないが、十(キロ)以上も先の標的を二発で倒せたとなると、威力の方も申し分ないはずだ。同等の兵器が本土にあれば、帝都奪還も捗っただろうに、とアカメは眉根を寄せる。


「あれは砲弾の方にも仕掛けがあるんですよ。弾殻に『必中』、信管に『必殺』の術が掛けられていて、命中率と威力を向上させてるんだとか」

「随分と、詳しいですね」

「そりゃまあ、あちこち嗅ぎ回るのが仕事なんで……ああ、そうだ、貴女が丁度いいか」


 肩をすくめて答えたヤンは、何かを思いついたように煙草を灰皿の端に置き、懐へと片手を差し入れた。しばらくして目当ての品物を探り当て、アカメに視線を向ける。


「似たような術を組み込んだ弾丸なら、小型の銃器でも魔物に対して有効な攻撃ができるって話があるんですが、興味ありますかねえ」


 ヤンが懐から取り出して見せたのは、親指よりもわずかに小さい、銅色の銃弾だった。その表面には墨色の幾何学模様が渦を巻くように描かれているのが、かろうじて見て取れた。

 銃弾を見つめるアカメの瞳が、眼鏡の奥で一瞬だけ細められたのを見て、ヤンは口の端を上げた。


「銃弾そのものは既製品と同じ。特區の工房(アトリエ)で『穿孔(チュアンクウ)』の術を施した試作品でして」

「何故、これを私に? 弾だけあっても仕方ないと思いますけど」


 彼女は人差し指を顎に当て、視線をヤンに向けて問いかける。「確かに」と頷くと、彼は笑みを深くした。


「弾の種類が違いましたかね。こいつで大丈夫だと思ったんですが」


 一体、目の前の男は、自分の素性をどこまで把握しているのか。こちら側にやってきて半日と経っていないこの状況で、彼女が持ち込んだ拳銃に合致する種類の弾丸を用意してみせたのは、単なる偶然だろうか。

 アカメの緊張を察してか、ヤンは表情を改め、言い訳するように言葉を続けた。


「別に、これで貸しを作ろうなんて心算(つもり)じゃあないですよ。組合に申告さえしてしまえば、銃の所持、携行は迷宮法で認められてますし」

「……では、どういった意図で?」


 探るように聞いてみれば、ヤンは銃弾を持った手をさらに差し出し、アカメの目の前に立てて置いた。


「なあに、大した話じゃありません。さっきも言った通り、こいつは試作品でしてね。性能を確かめてやらにゃならんのです」


    ○


 二皿目の蜥蜴料理は結局のところ、大半がヤンの腹の中に収まることになった。

 屋台の端で揺れる灰色の塊を視界に入れないように、胡散臭い男と他愛ない雑談を交わしつつ、鶏肉だと自身に言い聞かせて、幾つか食べはしたものの。


「……先が、思いやられる」


 アカメの口から漏れた言葉に、窓口の反対側で書類を確認していた女性職員が顔を上げる。何でも無いと小さく手を振って、アカメは高い天井へと視線を逸らした。


 探索士組合本部。その一階に設けられた相談窓口で、彼女は探索士の登録手続きを行っている最中である。職員は申請書類に視線を戻し、受領の判を押した。

 書類は奥にいた別の職員に手渡され、入れ替わりに茶色の封筒がアカメに向かって差し出される。


「組合についての案内と手引書、仮の認識票が入っています。ご確認を」


 促されるままに、アカメは封筒の中身を机の上に広げていく。茶色い藁半紙を綴じただけの薄い冊子と数枚の書類。それらの見出しを確かめ、最後に出てきた小さな金属板(プレート)を左手で摘み上げる。

 角の丸い長方形の金属板には、「仮」の一文字と通し番号らしき数字が刻印されていて、端の穴には細い鎖が通されている。


「先程も説明しましたが、特區外では必ず認識票を身につけておいてください。紛失した場合、坤炮などの攻撃に巻き込まれる可能性があります」


 すべての認識票には、位置確認のための術が掛けられている。天素の影響によるものなのか、常に電波状況が悪く、無線が利用できない内地球世界(インナーワールド)において、探索士の所在や安否を確かめるのに不可欠なものである、と職員は改めて念を押した。


「ええ、分かりました。それで、正式な認識票ですけど」


 交付はいつになるのだろうか、という問いかけに対し、職員は壁に貼られた暦表(カレンダー)を見た。


「こちら側での滞在日数が十日以上でないと発行できませんので……早くて再来週の月曜日以降ですね」


 追加で必要な書類についての説明を聞き、了解の意を伝えると、アカメは一礼して席を立った。


    ○


 広間(ロビー)へと戻ったアカメは、壁面の時計を確かめる。出張所前での待ち合わせの時間まで、まだ二時間ほど余裕があった。

 彼女は構内案内図の前で足を止め、人差し指を顎に当てた。上の階にあるという図書資料室が気になるものの、出張所の方も放置してはおけないだろう。あの状態ではゆっくり休むこともできそうにない。

 どうしたものかと時計と案内図を交互に眺めていると、アカメの後方、建物の入口の方がにわかに騒がしくなった。


 何事かとそちらに振り返れば、探索士らしき数人の男が集まっているのが見える。その中に見知った姿を認めて、彼女はそちらへと近付いて行くと、彼らの会話が漏れ聞こえてきた。


「どうした、(チーグル)。お前さんなら外で車を飛ばしてるもんだと思ってたぜ」

「配達があったんだよ。他の連中も出払ってたし、今回の争奪戦は見送りだ」


 迷彩服の露西亜(ロシア)人のぼやきを聞いて、彼に話しかけた赤毛の小男は笑い声をあげた。周囲の男たちも表情を和らげて、口々に慰めの声をかけていく。

 渋い顔になったチーグルの背中を叩き、小男は笑顔で親指を立てた。


「今回はうちが一番乗りだった。結晶も無傷だとよ」

「そいつは良かったな。飯ならいつでも御馳走になるぜ」

「お前さんが酒飲まねえなら考えてやるよ」


 肩をすくめて首を振り、小男はチーグルの前に回り込んだ。身長が釣り合わない分は胸を張って、視線を合わせて口を開く。


「で、配達は終わったんだろう。運び屋の仕事は頼めるよな」

「……受けたいのは山々なんだが、昼から先約があってな。そっち次第になるが」

「私なら後でも構いませんよ」


 答えを渋るチーグルの横から、アカメは声をかける。会話を聞いた限りでは、自分の用事よりも優先すべき事柄のようだ、と彼女は判断した。

 小男は値踏みするような視線でアカメを眺め、小さく口笛を鳴らした。


「なかなかの綺麗所じゃねえの。何処の店の()だよ」

「馬鹿言うな。うちの新しい依頼主様だ」


 呆れ顔で小男に突っ込みを入れてから、チーグルはアカメの方へと近付いた。

 アカメの行動の早さに、彼女に対する評価を修正しつつ、彼は顔を寄せて小声で話し始める。


「おそらく何往復かするんで、今日中に済むかもわからんのですが」

「ええ、大丈夫です」


 どうせ一日、二日遅れたところで、彼女自身に不利益が生じるような状況ではない。むしろ、この突発的な出来事を見過ごす方が問題だろう。


「可能であれば、私も現場を見てみたいのですけど。同乗して構いませんか」

「しかし、外に出るには認識票が……ああ、なるほど」


 アカメが小脇に抱えていた封筒を見て、チーグルは言葉を切って頷いた。腕を組み、目を閉じて数瞬、思案する。

 死体狙いの探索士が集まっている状況であるし、さほど危険は無いだろう。本番前の予行演習と考えれば、悪くない話だと思える。


「それで埋め合わせになるってことなら、お乗せしますかね」


    ○


 赤毛の小男が運転する自動二輪(オートバイ)の先導で、チーグルの貨物車(トラック)は暗い荒野を走っている。

 車の正面、進行方向には比較的明るい極光オーロラの輝きがあった。遠くには、横倒しになった塔と思しき巨大な建造物の姿が照らし出されている。


 後写鏡(ミラー)の中で徐々に小さくなっていく特區の外壁には、数時間前に使用された弩級砲台の姿もあった。その委細は改めて調べなければ、と決意しつつ、アカメは視線を前に向ける。


 倒れた塔の手前には、小高い丘のような影像(シルエット)が見えている。薄暗い中、先行していた探索士たちが設置した照明によって、それが一体の魔物であったことが彼女にも理解できた。


 黒光りする外殻と鱗に覆われた、全長が百(メートル)ほどの巨大な魔物。片側の翼と背中には砲撃による大きな傷跡があり、黒煙が細く上がっている。

 眼鏡に手を当てて目を凝らすアカメの横で、チーグルもまた、魔物の外見を観察する。


「黒曜鋼の外殻を持つ四足の竜。聞いてた通り、鋼殻玄竜(カリプスドラコ)で間違いないな」

「あれが……」


 近付くにつれて、その巨体がはっきりと見えてくる。動かないと分かっていても焦りを覚える威圧的な様相に、アカメは両手を握り締め、喉を鳴らした。帝都東京の経路(パス)から内地球世界への進出を考えるなら、こういった脅威に対する備えは必須であろう、と心の中に書き留める。


「坤炮が使えない場合は、どう対処しているんでしょうか」

「奴等は経路を目指して真っ直ぐやってくるんで、まずは途中に罠を仕掛けるなりして足止めを。その上で、迷宮軍と探索士の防衛隊で集中攻撃するのが常道ですな」

「集中攻撃と言っても、あの大きさではかなり大変そうですけど」

「防御術支援が特區から届く距離なら、生身でもなんとか戦えますよ。それでも油断は禁物、下手を打てば大怪我か、墓の下ですがね」


 術支援、とアカメは口の中で繰り返す。障壁(シールド)強化(ブースト)に類する術を後方から供給し続けることによって、大型の魔物の襲来にも対抗できる、ということだろうと理解する。それを実現するために必要な結晶炉の規模と、戦闘に関わる人員の練度について考えが至ったところで、またひとつ課題が増えたことに気付いて彼女は眉根を押さえた。


 しばらくして、小男の合図を受けて貨物車は停止した。周囲では十数人の探索士が死体の検分に勤しみ、あるいは武器を構えて魔物の襲来を警戒している。

 車を降りたアカメは、魔物の頭部から取り出されようとしている天素結晶の光を見上げながら、顎に人差し指を当てた。


「利用できそうなのは……あの結晶と硬い外殻くらいでしょうか」

「素材としては、そうですな。しかしまあ、肉や内臓を仕入れたい料理人やら研究者やら、鱗の一枚、牙の一本に金を出す好事家(ディレッタント)やらも居ますから」


 結局の所、損傷していない部分を除いて、ほとんどすべて持ち帰りになるのだ、とチーグルは苦笑する。

 ドラコ肉の屋台料理が目の前に並ぶ可能性を考えて、アカメもまた、引きつった笑みを浮かべた。

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