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新京迷宮特區(中篇)

    〔西暦一九六三年五月十七日 午前九時(東亜標準時)〕


       〔内地球世界(インナーワールド)表層:新京迷宮特區 日本橋通〕


 かつて新京の中心的な繁華街であった大通りは、特區(とっく)となった今でも健在であった。如何なる事象によるものか、内地球世界へと落下した建物や道路などに、目立った損傷はなかったのだ。

 二十年が経過した現在でも、元あった建物の多くがそのまま利用されている。しかしながら、増え続ける居住者の数に合わせて、住居は増築され、特區は拡張を繰り返し、その様相は大きく変化していた。


 そんな街並みの中、特に人通りの多い一帯を、(チーグル)が運転する小型の貨物車(トラック)がゆっくりと走っていた。大通りの左右には様々な店が軒を連ねていて、黒い天蓋の下で色とりどりの霓虹灯(ネオンサイン)を輝かせている。

 そこかしこに居を構えている屋台のせいで狭くなっている車道で、正面からやってきた巡回警備と思しき軍用車(ジープ)とすれ違う。


 混沌とした喧騒の中、どこからともなく聴こえてきた鐘の音につられて、赤眼(アカメ)は窓の外へと目を向ける。その様子に気付いたチーグルが、「あれ、ですな」と十字路の一角に立つ三階建ての建物を指し示した。

 建物の壁面には装飾された大時計が埋め込まれており、いくつもの小さな鐘が時を告げる旋律(メロディ)を奏でていた。元は百貨店であった建物の入り口には、「探索士組合本部」と大きく書かれた看板がかかっており、左右から照明(ライト)で照らされている。

 入り口に並んでいた数人の男が中へと入っていくのを横目にしつつ、車は交差点を横切って進んでいく。


「探索士にも組合があるとは聞いていましたけど、結構しっかりした組織のようですね」

「いつも危険と隣り合わせの仕事ですから。出来る限り協力していかないと、長生きできんのですよ」


 組合に集められている情報は、中小の探索公司(カンパニー)に所属している探索士にとって、自らの命を守るために必要不可欠なものとなっている。それに加えて、探索士が持ち帰った発掘品の鑑定や、装備の新調に関しても、組合に加入していなければ面倒な手続きを要求されることになるのだった。


「特區の外まで出られるようなら、アカメさんも入っておいた方がよろしいかと。認識票(タグ)を持っていないといろいろ大変ですんで」

「そうですね……現場は見ておきたいですし」


 後で行ってみます、と答えつつも、アカメは顎に指を当てる仕草のまま思案を続ける。


「あの組合は、国の組織なんですよね」

「ええ、正確には迷宮庁の管轄ですな。こちら側だけとはいえ、武力を持った集団を野放しにする訳にはいかんでしょう?」


 内地球世界で遭遇する魔物に対抗するため、探索士たちには都市区画外での武器の使用が認められている。それらを秘密裏に経路(パス)の向こう側、更には国外へと運び出そうと企む不穏分子が紛れ込んでいないかどうか、常に目を光らせておく必要があるのだった。


「戦争が終わってからかなり経ちますがね。天素(エーテル)絡みの技術は、どの国も喉から手が出るほど欲しがってるんで」

「なるほど」


 高騰する原油に替わる資源を必要としている欧米諸国にとって、経路の先にある内地球世界は、土地を奪い混乱をもたらした忌むべき存在であると同時に、希望の眠る禍神(パンドラ)(はこ)でもある。それ故に、一歩先んじて探索を進めている滿洲國には、わずかでも情報を得ようとする諸外国の手が、手段を問わずに伸びているのが現状だった。


 アカメもまた、内地球世界に関する情報の入手を目的のひとつとして考えている。彼女が日本人でなければ、特區に入ること自体が許可されなかったか、あるいは行動を大きく制限されていただろう。

 さておき、まずは探索士組合について詳しく調べておかなければ、とアカメが結論付けたところで、貨物車はさらに速度を落として横道へと左折した。


 道幅は大通りの半分ほど。煌びやかな看板や出店はなく、まばらな街灯によってのみ照らされている。人影も少なく、その路地は静かな雰囲気を漂わせていた。

 道路脇の標識に「北三条通」と記されているのを読み取って、アカメは隣の運転手に確認する。


「この先ですか?」

「ええ、すぐそこですよ。先に送られた荷物は全部、事務所の方に置いてありますんで」


 アカメの手には、チーグルから渡された鍵がある。「芦屋(あしや)重工」がこの内地球世界へと進出するにあたって、事前に手配していたもののひとつだった。

 車は小さな三階建ての建物の前に停まり、ふたりは歩道へと降り立った。「北三条通」は特區の端まで続いているらしく、道の先に高い外壁が見て取れる。

 周囲にあるのは集合住宅(アパルトマン)であったり、小さな事務所であったりで、眼前の建物は平均的な部類に入るようだった。


「一応、二階が倉庫、三階が住居ってことで。電気と水道は使えるようにしてあります」

「ありがとうございます。お手数おかけしました」


 建物を見上げていたアカメはチーグルへと向き直り、軽く頭を下げた。いささか年期の入った物件だが、治安の悪くない区画、大通りに面していない静かな立地と、提示した条件通りであることは確かだった。その他の不便さについては、なんとか慣れていくしかないだろう。

 細々とした注意点をいくつか告げた後、チーグルは冗談めかして敬礼してみせる。


「では、また昼過ぎに。こちらまでお迎えに上がります」


    ○


 車を見送り、建物の中へと入ったアカメは、部屋の片隅に置かれた大きな木箱を開封していた。

 事前に日本から郵送していた箱から、調査資料や日用品などを次々に取り出していく。綺麗に折り畳まれた衣類を取り出して、ようやく箱の底が見えたところで、アカメは再び鉄梃(バール)を手に取った。


 底板の間に鉄梃を差し込み、慎重に傾けていく。一枚だけ空洞が設けられていた板が音を立てて割れ、隙間から革袋が姿を見せた。

 無事に検査の目を潜り抜けた袋を手に取り、目当ての品物の重さを認識して、アカメは安堵の息を漏らした。


 事務所正面の窓へと目を向け、目隠しの布が下りているのを確かめてから、袋の中身を机の上に並べていく。心許ない蛍光灯の光の下で、弾薬を収めた箱と、拳銃本体に破損が無いかどうかを調べ上げる。

 丸みのある小さな銃把(グリップ)引金(トリガー)の前に配された銃倉、短い銃身という独特の形状を持つ拳銃に弾を込め、慣れた手つきで上着の内側へと隠し入れる。事務所の中をぐるりと巡り、銃の重さによる所作の変化を修正する。


 これで問題無し、とアカメは満足そうに頷いた。実際のところ、こちら側で拳銃が役に立つかどうかは微妙である。しかし、扱い慣れた得物が手元にあるのと無いのとでは、気の持ち様が違うのであった。

 床の上に積み重なっている荷物をちらとだけ見て、彼女はすぐに目を逸らした。ひとまず、あれらは後回しでいいだろう。


 アカメの足は事務所の奥へと向かう。奥の間と手洗所、裏口を順番に見て回りつつ、小声で疑問を口にする。


「電気は結晶炉から供給しているとして。水道はどうやって実現しているのか、要調査と」


 下水をどこかに垂れ流しということはさすがに無いだろうし、経路を通じて水を供給している様子もなかった。恐らくは、天素結晶を用いた循環機構があるのだろうと推測する。

 こちら側に足を踏み入れてまだ数時間と経っていないというのに、確かめなければならないことが次々に増えていく。


「楽な任務じゃないな。覚悟はしてたけど」


 さすがに先が思いやられる、とアカメは眉をひそめざるを得なかった。


    ○


 薄暗い階段を上り、三階まで辿り着いたアカメは、最低限の家具だけが置かれた部屋を横切っていく。

 部屋の反対側、道路に面した側の窓を押し開き、彼女は顔を出して息を吐いた。


「照明の取り替え。掃除もしないと、不味いなこれは……」


 背後に漂う大量の埃を吸い込まないように呼吸を整えつつ、今後の予定を更新する。何はともあれ、一つひとつ片付けていくしか仕方ない。そう結論付けて、窓の外へと目を向ける。


 反対側の建物のさらに先、街明かりに照らされて、経路へと繋がる鉄塔が三本、等間隔で並んでいるのが見て取れた。鉄塔の高さはおよそ二百(メートル)。ただし、その上部は経路の向こう側に存在している。

 不自然に途切れている鉄塔の先を眺めていると、下の方から呼びかける、男の大声が彼女の耳に届いた。


「どうも初めまして、マドモアゼル。芦屋重工の方、ですかね」


 満州語に仏蘭西(フランス)語が入り混じった呼びかけに思わず見下ろせば、アカメの方を見上げる鳥打(ハンチング)帽の男と視線が交差した。痩せぎすで無精髭、緩んだ襟飾(ネクタイ)、左手には吸いかけの煙草を持ち、もう一方の手には黒革の手帖。

 アカメが曖昧に会釈をして見せると、男は右手を上げて手帖を揺らした。


「私、(ヤン)と申します。お時間よろしければ、少しお話を伺えればと思いまして」

「お話、ねえ」

「あいや、怪しい者では御座いません。勿論、取材のお礼はさせて頂きますよ」


 小声の呟きは相手に届かなかったものの、不審に思う様子は十分に伝わって、ヤンは慌てたように首を振った。


「そうですね、食事など如何ですか。ラケルタ料理の美味い店が、すぐ近くに来てましてねえ」


 遠目から見ても胡散臭さを感じられる雰囲気に、生憎だが間に合っていると答えるべきか。アカメは逡巡した。

 しかし、あんな風体の輩だからこそ知っていることもあるかもしれない。「ラケルタ料理」が何なのか想像できないが、そろそろ何かを腹に入れておきたい。

 結局、天秤は空腹を収める方へと傾いて、彼女は了解の意を示した。


    ○


 特區を活動拠点とする「迷宮新報」の新聞記者を自称する男は、大通りに並ぶ屋台のひとつにアカメを案内した。

 古びた木の椅子に腰をかけ、無愛想な店主に注文した料理が出てくるまでの間、アカメはヤンからの質問に当たり障りのない答えを返していた。


「既存の探索坑(シュート)を利用した採取作業に、本格的に参加される予定はない、と」

「ええ、そうですね。国に納めなければならない分の結晶を手に入れる必要はありますけど、あくまで目的は実地調査ですから」


 内地球世界に存在する様々な資源に対する需要が高まり、一部の民間企業に対して採掘の認可が与えられてから十年。特區の周辺には、下層での活動を効率化するための縦穴がいくつか掘られており、迷宮軍や大手の探索公司(カンパニー)によって管理されている。

 手早く利益を得るのであれば、いずれかの探索坑を利用するのが常道である。しかし、アカメは首を横に振った。「芦屋重工」が本命としているのは、近いうちに民間へと開放されるであろう帝都東京の経路だった。


「日本からの新規参入ってことで、同業他社さんは色々と警戒してるみたいですが?」

「後からやってきて、大きな顔をするつもりはありません。その辺りは十分に配慮させて頂きます」

「実地調査とおっしゃいましたけど、具体的には何か決まって……っと、取材はここまでにしますかね」


 質問を続けようとしたヤンの前に大きな皿が置かれ、彼は手帖を閉じて懐へと仕舞い込む。さらに店主から差し出された器を受け取って、大皿をアカメの方へと押し進めた。


 表面を香ばしく焼かれ、削ぎ切りにされた白い肉が、目の前の皿に載っている。その周りには野菜の千切りと中華味噌、薄く焼かれた小麦粉の皮が並んでいて、アカメは人差し指を顎に当てた。


「食べたことは無いですけど、北京料理にありますよね、確か」

「まあ、似たようなものですよ。ワンとかニャアとか鳴く奴じゃあないんで、ひとまず食べてみてくださいな」


 ヤンはそれだけ言って、手にしていた白湯(パイタン)の器を口へと運んだ。黙々と調理を続けている店主の方をちらと見て、アカメは覚悟を決める。どうやら一口食べないことには、肉の正体を知る事はできないらしい。

 皮を一枚手に取り、具材と味噌を乗せて包み込む。中身がこぼれないように気をつけながら、思い切って半分ほどを口にする。


 固い皮と柔かい肉、細切りの野菜の間に、肉汁と甘辛い味噌の味が染み渡り、口の中に広がった。見た目から推測した通り、脂身の少ない肉は筋張っておらず、アカメの第一印象通りの食感を示している。

 なるほど、味は悪くない。むしろ上等な方ではないだろうか。細かい事は分からないが、鶏肉だか鴨肉だか、その辺りだろう。そう予想しつつ、残りの半分も胃の中に納めていく。


「お気に召されたようで、いやあ、良かった」

「ええ。それで……」


 アカメの視線を受けて、ヤンは満足げな表情で店主に声をかけた。調理の手を止めた店主は、屋台の裏側から灰白色の塊を取り出して、屋台の端から吊り下げた。わずかに傾いた屋台から数(センチ)ほど椅子を遠ざけつつ、アカメは揺れる塊を観察する。


「随分と大きいですけれど、頭の骨でしょうか」

「や、惜しい。こいつは頭の外側を覆ってる殻ですよ。正式名称は甲殻蜥蜴(アルマラケルタ)。日本語だと『ヨロイオオトカゲ』になるんだったかな」

「はあ。蜥蜴(トカゲ)、ですか」


 内地球世界の表層によく現れるというその魔物は、味が良いために特區では定番の食材だった。最近では、なんとか人の手で繁殖できないかと研究が進められているらしい。

 ヤンの言葉に相槌を返しつつも、アカメの心中は複雑であった。大陸の人々には余り抵抗が無いのだろうけれど、事前に知っていたら、果たして食べていたかどうか。

 こういった食べ物にも慣れていかなければならない、となると、彼女にとっては前途多難だった。

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