地圖師と運び屋(後篇)
緩やかな階段は何度か左に曲がりながら、螺旋状に長く続いていた。所々が緩んでぐらつく石段に足を取られつつ、ふたりは上を目指して進んでいる。
幾度目かの踊り場で木製の扉を見つけ、緑は手短に調査を行った。扉に鍵はかかっておらず、少年は少しだけ扉を開いて電燈で先を照らし出した。
石造りの広い部屋の中には、木箱や樽が所狭しと置かれている。
「ここは、倉庫でしょうか」
「何があるのか気になるところだが、今は上を目指すべきだろうな」
時折、振動と共に天井から小さな破片が降りかかってくるのは、骨の魔物が追ってきているからだろう、と虎は推測している。実際、扉を調べている間にも、振動は少しずつ大きくなってきていた。
扉を閉め、再び階段を上り始めながら、先を歩くチーグルが背後に話しかける。
「で、あの骨な。俺は初めて見る奴だったが、リュくんは知ってるか」
「いえ。でも多分、亡者か人形の系統だとは思いますけど」
「となると、『核』をぶっ壊すまで止まらんかもしれんな」
天素の作用で出現する魔物は、体内に核となる結晶を持つ。結晶は貴重な収入源であると同時に、それを破壊するなり奪い取るなりすれば活動を停止させることができる、魔物の弱点でもあった。
「その『核』らしいモノが見当たらなかったのは問題だが」
「見えない部分に隠れていたか、別の場所にあるか、でしょうか」
「殴り続けていれば、いつか動きも止まるかねえ」
今の状態で挑んだとしても、骨の山に押し潰されてしまいかねない。
そう判断して退避を選んだものの、未だ先行きは不透明。その上、腰の警報器の表示も赤を超えて、紫に差し掛かりつつあった。
進むほどに天素濃度が増している状況に、チーグルは考えを巡らせる。しかし、その思考に結論が出ないまま、ふたりは登り階段の終点に辿り着いた。
階段を登った先は、小さな正方形の部屋になっていた。壁面には木製の扉がひとつ。左右の松明置きには、燃え残りと思しき木片が見える。
部屋の中には何も置かれておらず、そこがただの中継点であることを窺わせた。
忍び足で扉へと歩み寄ったチーグルが、何も起きないことを確かめた上で、階段で待機していたリュに合図を送った。
入れ替わりに少年が前に出て、電燈を片手に扉を調べていく。
「今どの辺りにいるんだか、分かるか」
「ちゃんと測ったわけではないですけど、地表には出られたんじゃないかと」
登ってきた石段の高さと段数から縦方向の移動距離を計算した後、続けて地下部分の地図を思い浮かべて現在位置を推測する。
「もしかすると、例の聖堂の中かもしれません」
「ふむ。どうしたもんか」
予定外の経路ではあったものの、当初の目的地には辿り着いていたらしい。このまま外に出られれば、貨物車まで戻るのは難しくないだろう。
帰還の目処が立って安堵したところで、チーグルは改めて、暗闇から迫りくる脅威へと意識を向ける。
「あの骨を放っておくわけにもいかんし、手掛かりくらいは見つけねえとな」
心中で同意しつつ、リュは扉に鍵がかかっていないことを確かめた。床下から伝わってくる振動の間隔が、心なしか短くなっているように感じて、チーグルへの合図もそこそこに、扉の取っ手を掴んで引いていく。
ゆっくりと開かれた扉の先には、長く続く広い通路が延びていた。
○
通路の左側に続く飾り窓からは、赤い極光の光がわずかに射し込んでいる。
奥に見える扉に向かって歩みを進めながら、ふたりは通路の右側に視線を向けていた。
大理石らしき白い壁面には、いくつもの彫刻が電燈に照らされ、壁画のようにずらりと並んでいる。
「題名をつけるとしたら、巨人と戦う英雄、ってとこかね」
「神話か何かでしょうか」
リュは写真機を構え、立ち並ぶ彫刻を撮影していく。彫刻たちはどうやら伝承の一場面を再現しており、時系列に沿って並べられているようだと推測し、頭の中で話の流れを組み立てる。
「そもそもの発端は謎ですけれど、巨人が悪者なのは間違いなさそうですね」
国中を荒らし暴れ回る巨人に対して、人々は武器を手に戦いを挑む。巨人の返り討ちに遭い倒れ伏す人々。そんな中、ひとりの若者が空を舞い、巨人の首を獲ってのける。
巨人の首は檻に入れられ、英雄と共に都へと運ばれた。失われた胴体を求めて、巨人の首は呻き嘆く。
「この英雄、チーグルさんに少し似てますよね」
「俺に言われてもなあ。それにこいつ、兜被ってるじゃねえか」
「でも『大発生』のとき、こんな感じで戦ってましたし」
五年前の記憶が美化されてるんじゃないかと心の中で突っ込みを入れてから、チーグルは彫刻の列を振り返った。
「結局、運ばれた首が最後にどうなったのかもはっきりせんな」
「解読術が使えれば詳しく分かるんでしょうけど」
彫刻の足元にあった文章は見知らぬ文字、未知の言語で刻まれており、学者の手を借りず、術も使わずに読み解くのは無理だろう、とリュは判断した。
「読めんもんは仕方ない。慎重に行くぞ」
「了解です」
少年を促し先へと進みつつも、チーグルの視線は壁面を注視していた。それは単なる興味によるものではなく、多分に警戒の色を含んでいる。
彫刻の影に何かが潜んでいるかもしれず、彫刻そのものが動き出さないとも限らない。用心するに越したことはなかった。
とはいえ、そう悠長にしてもいられない。背後からの大きな物音──閂を通した扉に衝撃が加わる音を聞いて、ふたりは歩調を速めた。
○
通路の突き当たりの扉を抜け、鐘楼らしき塔へと繋がる階段を無視して進んだ先は、柱の立ち並ぶ大広間になっていた。
天井は高く、一部にはめ込まれた色硝子が淡く光を反射している。
右側には建物の正面入口らしき大きな両開きの扉があった。先に行くようリュを促し、背後の扉を閉めてから、チーグルは反対側に視線を向けた。
大広間の奥は、十数米先で数段高くなっている。その上には祭壇があり、輝きを放つ物体がそこに安置されていた。
「なるほど。こいつが『核』ってわけかよ」
それは、両手で持ち上げるのも困難そうな、巨大な髑髏だった。虚ろな眼窩の内側からは、揺らめく天素結晶の光が漏れ出している。
少年の後に続きながら、ここまでの状況からひとつの可能性を導き出す。
「あのでかい頭蓋骨が、地下墓地の骨を胴体の代用品にして呼び寄せてるのか」
「さっき話してた巨人の首なんでしょうか」
「さて、な」
その辺りは定かではないものの、この区画の天素濃度が高い原因が、背後の髑髏にあることは間違いないだろう。やはり、いったん退却して体勢を立て直すべきかと考えて、チーグルはすぐにそれを却下した。
強力な魔物は颱風のように周辺の天素を乱し、新たに魔物を発生させてしまう。時間が経つほど、状況は悪化していくのだ。
「リュくんよ、そろそろ術を使えたりしないかね」
「あ、はい」
腰に下げた短杖の状態を急ぎ確かめて、少年は難しい表情を見せた。
「一応、行けます。本当ならもう少し休ませた方がいいんですが」
「そうも言ってられん」
その言葉に合わせるように、事態は進行する。
ふたりが数十秒前に通った小さな扉が、音を立てて勢いよく開かれた。そこから、大量の骨の塊が広間に雪崩れ込んでくる。
細かい破片を撒き散らしながらも、首の無い上半身という姿は最初に遭遇したときから変化が無かった。狭い扉を通り抜けた魔物は、祭壇の方へと片腕を伸ばしていく。
「社長宛に伝声術を頼む」
「内容はどうしますか」
短杖の目盛盤を切り替えるリュの横で、チーグルは左腕を固定していた包帯を外し始めた。
「特級と推定される大型の魔物と遭遇。可及的速やかに『斧』の封印解除を求む、ってところか」
「戦うんですか」
這い進む骨の魔物に視線を向けたまま、チーグルは頷いた。左腕をぐるりと回して、耐えられない痛みではないことに安心する。
「社長との会話が終わったら、すぐにここから出て距離をとってくれ」
反論を口にしようとしたリュに向かって、皮袋が放り投げられる。なんとか袋を受け止めたところに、諭すような言葉が続く。
「お前さんを庇ってる余裕は無いし、いざってときに事態を正確に報告できる奴がいないと駄目だ。ここで食い止められなかったら、アレはまず間違いなく街にある経路を目指して移動するはずだからな」
「……わかりました」
両手の拳を握り締め、短杖の操作を始めたリュに背を向ける。
「ひとまず、こいつで殴ってどうにかなるか試してみるが」
早めに頼むぜと言い残し、チーグルは祭壇に向かって走り始めた。
○
(放っといて逃げりゃいいってのに、あの馬鹿トラが)
術を発動させたリュが要請を送ってから十数秒後、呆れた口調の若い声──ふたりの雇用主である女性の声が、彼の耳に聞こえてきた。同じく伝声術によって届けられた言葉は、慌ただしい様子で続けられる。
(ちゃちゃっと解禁するから待ってな。そんで、その馬鹿は今どうしてる?)
大広間の奥では、祭壇に近づこうと試みるチーグルと、その前に立ちはだかる骨の魔物との攻防が繰り広げられていた。
柱の裏から奥に向かおうとした所に、巨大な腕が突き出される。行く手を阻まれたチーグルは、わずかに下がりながら、骨の塊に向かって反撃を行った。
「不味い感じです。攻撃がほとんど効いてません」
籠手の一撃によっていくつもの骨の欠片が飛び散っていったものの、魔物の動きに変化は見られなかった。
すぐに元の形を取り戻した腕が、床を削るように薙ぎ払われて、チーグルの体を跳ね飛ばす。
チーグルは呻き声を堪えつつ床を転がり、全身で勢いを殺しながら起き上がる。
全身を包む迷彩服に目立った傷は見られず、それでもふらつく足元に注意が向いている間に、魔物は次の行動に移っていた。
再び祭壇に伸ばされた魔物の手が髑髏を掴み、自らの体の上へと運んでいく。それを止める間もなく、据え置かれた首がぐるりと廻り、チーグルを睨みつけるように傾いた。
舌打ちして身構えたチーグルに向かって、魔物の口が大きく開かれる。
その奥から漏れ出す天素結晶の光が、紫色へと変化していく。
魔物の動きの変化を察したチーグルは眉をひそめ、魔物の横に回り込むように走り始める。それを追うように、魔物もゆっくりと向きを変えていく。
髑髏の口から暗い光が放たれるのと、チーグルが柱の影に飛び込んだのはほぼ同時だった。紫色の光は収まることなく、魔物の動きに合わせて流れていき、柱の基部にぶつかった。
光が当たった場所が、見る間にぼろぼろと崩れていく。支えを失った柱がゆっくりと倒れていき、辺りに砂埃が舞い上がってようやく、光の放出は収まった。
近くまで飛んできた石つぶてを避けつつ、戦いの行方を注視していたリュの耳に、雑音混じりの声が届く。
(よし、封印は解いたと伝えてくれ。あと、あまり壊すなよと──いや、いい。言っても無駄だな)
少年は腰を上げ、見通せない先に向かって声を張り上げた。
「チーグルさん、行けます!」
「おうッ!」
少しずつ薄れていく砂塵の中から、応えと共に迷彩服の男が飛び出してくる。魔物がそれに気付いて動き出すより早く、彼は右腕を頭上に掲げた。
「出て来い、砕くもの!」
呼び声と共に、右手の上に小さな闇が生まれた。薄暗がりの中でなお暗さを主張する闇黒は、水平に細長く伸びてチーグルの手の中に収まっていく。
わずかに遅れて、魔物が向きを変えた。動かないチーグルに対して骨の腕が振り上げられ、次の瞬間にはまっすぐに振り下ろされた。
響いたのは、爆音だった。
魔物の腕を構成していた灰色の骨は、チーグルに当たる直前になって、残らず粉々に砕け散った。薄く残っていた砂煙もまた、風圧によってか薙ぎ払われるように消えていく。
その場に立ったままのチーグルの右手には、長柄の槍斧が握られていた。その刃は赤い光沢を持ち、黒い柄には血管のように巡る朱色の装飾が施されている。
一度、二度。
チーグルはぐるりと槍を振り回して脇に抱え、髑髏を見据えて口の端を上げた。
○
運転手の口から吐き出された何度目かの溜め息に、調査資料を眺めていたリュは視線だけを横に向けた。
「そろそろ諦めてください」
「だってなあ」
荒れた道をがたがたと揺れながら走る、小型の貨物車の中であった。
右手だけで操舵環を捌きながらチーグルは振り返り、荷台に乗せられている大きな皮袋を恨めしそうに見つめた。その中には、彼が粉砕した天素結晶の欠片がいくつも収められていて、はち切れんばかりに膨らんでいる。
「アレが無傷なら、発電用の大型炉に使える大きさだったんだぜ」
「ええ、分かりましたから、前を見て運転してください」
「さぞいい値で売れただろうに」
二桁は違っただろうな、と漏らしながらもチーグルが前に向き直ったのを見て、リュも資料の束へと意識を戻し、工程表に目を通していく。元々は調査だけで終わるはずの任務だったものが、随分と予定から外れてしまったようだけれども。
「原因の排除もできましたし、後の手間が省けたと思えば上々じゃないですか」
「そりゃ、そうなんだがよ。左手も治さにゃならんしな」
「急ぎなんですか」
急ぎなんだよ、と頷きつつ、チーグルは未練がましく肩を落とした。骨の魔物との戦闘で怪我を悪化させてしまった左腕はふたたび固定され、三角巾で吊るされている。
結晶炉を利用した治療術や、内地球世界で発見された未知の素材のおかげで、ここ数年の傷病治療に関する技術発展は目覚ましいものがあった。しかし、速くて確実な治療ほど高額であり、探索士の仕事に保険が効くはずもなく、怪我の治療費は彼らを悩ませる要因のひとつになっていた。
「現況確認のために、近いうちにまたあの区画に行くことになるしな。そのときにこの腕じゃあ、恰好がつかんさ」
痛い出費だが、金払いのいい依頼主を逃したくはない。今後のためだと自分を納得させて、チーグルはようやく気持ちを切り替えた。
「これ以上、金のことばかり言うのも何だな。街に戻ったら、リュくんの初仕事の成功祝いってことで、ひとつ飲みに行くかね」
赤い極光の下。
元あった時代も世界も定かではない荒れた道路の先に、都市区画を囲む外壁を示す、照明灯の光が見えてくる。外壁の内側から漏れる街の明かりを目指して、ふたりを乗せた車はまっすぐに走っていった。