地圖師と運び屋(中篇)
──天素。
「可能性粒子」とも呼ばれるそれは、内地球世界で観測され、様々な超常現象を引き起こす要因として、世界中で研究が行われている。
その研究成果のひとつが、結晶化した天素を内包した結晶炉である。探索士が扱う短杖や長杖に付随する小型のものから、発電施設に設置されている大型のものまで、その用途は様々だった。
「何にせよ、結晶のおかげで食っていけるのはありがたい話だが」
暗闇の中、壁に掛けられた手提げ電燈の光を頼りに、虎は大トカゲ──甲殻蜥蜴の頭部、焦げた外殻の内側から琥珀色の結晶を取り出した。
しばらくの間、その塊を検分してから、隣の少年にそれを放り投げる。
「持っといてくれ」
「は、はい。それはいいんですけど」
受け取った塊を外套の内側、鞄の中に仕舞いながら、緑は恐る恐る周囲へと目を向ける。電燈の明かりは大半が石壁に遮られ、見える範囲は限られていた。
チーグルへと視線を戻せば、彼はわずかに気まずそうな表情を見せた。
「まあ、なんだ。随分と緩い地面だったな」
「チーグルさんの馬鹿力の方が主な原因だったような」
「通気孔でもあったんだろう。多分な」
チーグルが大トカゲに叩きつけた一撃は、劣化していたらしい路面に余計な衝撃を与えてしまった。その結果、ふたりと一匹は周囲の瓦礫もろとも地下にあった空洞へと放り込まれてしまったのである。
咄嗟に発動させた防護術のおかげで、リュはほぼ無傷でいるものの、チーグルの左腕は添え木で固定されていた。
「生身でこれだけ落ちたのに、どうしてそれで済んでるんでしょうか」
「こっち側で長いこと過ごしてりゃな、嫌でも鍛えられるさ」
チーグルは苦笑しつつ立ち上がり、顔を上に向けた。瓦礫の折り重なる天井には、通り抜けられそうな隙間は見当たらなかった。
「さすがに塞がっちまってるか。別の出口を探すしかなさそうだが、深度はどんなもんかねえ」
「少し、待って下さい」
鞄から測量機械を取り出して、狂いが生じていないことを祈りつつ、基準点の方位を計測する。結果を紙に書き留めて、筆算で位置を割り出していく。
「およそ四十米。まだ表層の地下部分だとは思うんですけど」
「微妙なところだな。面倒でないといいが……」
内地球世界の表層からさらに下には、別の遺跡がいくつも積み重なっている。ひとつの遺跡の深さはまちまちではあるものの、五十米を超えるものは数えるほどしか見つかっていない。別の遺跡層へ移動するには、出入口が上手く繋がっている場所を見つけ出すか、抜け穴を自前で用意する必要があった。
「伝声術は使えるんだったか」
「設定はしてあります。けど、緊急発動で障壁を全開にしてたんで、杖の方がまだちょっと」
「冷却期間が必要ってか」
前衛であるチーグルは片腕しか使えず、後衛のリュは術が使えない。拠点に支援要請を行うにしても、少なくともあと数時間はふたりだけで何とかするしかない、ということだった。
「使えるようになるまで、ここで待ちますか」
「いや、さっきから細かい欠片が降ってきているしな。こいつを置いていくのは癪だが、もう少し安全な場所を探すとしよう」
瓦礫に半分埋もれている大トカゲの死骸を名残惜しげに見やって、チーグルは肩をすくめた。
○
石造りの通路は、人ふたりが並んで歩ける程度の幅があった。壁面には松明を設置するための金具が一定間隔で取り付けられており、床の片側には水路らしき窪みが続いている。当然ながら水路に水は流れておらず、茶色に枯れた苔が所々に見受けられた。
正面に伸びた通路は、途中でいくつもの小部屋や分岐路と繋がっていて、少年はそれらをひとつひとつ地図に書き込んでいく。小部屋の壁面には複数の大きな窪みがあり、中には人骨や遺灰、布に包まれた木乃伊が収められていた。価値のありそうな副葬品はどこにも見当たらず、四番目から後は軽く目を通すだけで素通りしていた。
まっすぐに続く通路や直角に交わる分岐の正確さは、相応の建築技術をもって造られたのではないかと、少年は推測する。地図への書き込みが増えるにつれて、その推測は確信へと変わっていった。
「無計画に拡張したように見えて、実際は完成形ありきで掘ったのかな」
「そいつはつまり、どういうことだ」
「通路と小部屋を使って、何かの模様を描いてるような感じで。落ちてきた場所から先が分からないんで、はっきりしないですけど」
分かるような分からんような、と首を傾げた後、チーグルは左右の小部屋へと視線を向けた。これまでと変わらず死体の気配しかない様子に、わずかに眉を顰める。
「かなり移動してはきたが……さすがに、この辺りで休む気にはならんな」
「元は共同地下墓地だったんでしょうけど、やっぱりそっち系統の、出てきますかね」
「さて、な。動く死体やら亡霊やら、出会いたくないモノしか思いつかん」
高濃度の天素の作用によって魔物が出現する場合、その種類は様々であるものの、場所によって一定の傾向があることは判明している。原因は定かでないものの、遺跡に残された記憶、残留思念のようなものが関連しているのではないか、と研究者たちは考えていて、その説は探索士たちにも浸透していた。
斜め前を歩くチーグルの後を追いつつ、リュは背後へと注意を向ける。ふたりの足音を除けば静かな空間であるとはいえ、警報器は注意を意味する黄色を維持していて、暗がりに脅威が潜んでいないとも限らなかった。
以前に叔父から聞いた「槍と盾を持った骸骨兵士が隊列を組んで襲ってきた」という話を思い出して、彼は思わず立ち止まり、耳を澄ませてしまう。
少年の緊張を知ってか知らずか、チーグルは正面だけを見据えて進んでいく。しばらくして、彼の口から言葉が漏れた。
「思い出したぞ。五年前といえば、二度目の『大発生』の年だったか」
「はい。探索坑から湧いてきた魔物の群れを、一番前でずっと相手してましたよね。おかげで、僕も叔父も無事に街まで逃げられたんです」
「いやいや、さすがにそれは言い過ぎだろうよ」
痛めている左手を振ってしまい、チーグルは苦い顔になった。
原因不明の魔物の「大発生」──滿洲國の迷宮庁や関東軍は「大禍時」と呼んでいる──現象を、チーグルは二度経験している。
十三年前に初めて起きたそれは、内地球世界に展開していた軍隊を壊滅させ、都市区画の住人たちも避難を余儀なくされた。事態の収拾には二年を要したものの、その教訓があったおかげで、五年前は都市区画を落とされることはなかった。
しかしながら、そのときにチーグルが居た場所、都市区画の外側に構築中だった下層への探索坑にまでは、迷宮軍による守りの手は届かなかった。事前の警報によって準備が間に合い、仲間や同業者の支援を受け、地形を十二分に活かしてもなお、探索坑の封鎖までに払った犠牲は大きかった。自身や少年が最後まで生き残れたのは実力によるものではなく、単に運が良かっただけだろう、と彼は考えている。
「もう御免だぜ、あんなのは。三度目が起きる前に何とかひと山当てて、こっち側からオサラバしたいもんだ」
「チーグルさんの強さなら、最深部の探索だってこなせると思いますけど」
「さて、どうだかな。命あってこそだぜ」
首を横に振るチーグルに対して、リュは残念そうに相槌を打った。
○
直進と右折を何度か繰り返し、順調に進んでいたふたりの足を止めたのは、古びた鉄格子だった。その先の暗がりには、上へと伸びる階段が見えている。
チーグルは鉄格子の扉部分を掴んで力を込めた。しかし、錆ついた鉄がきしむ不快な音が生まれるばかりだった。
「鍵がかかってやがるな。鍵穴は……向こう側か」
「どうしますか」
「こんなもん工作師に任せたいところだが。別の道も無さそうだし、力づくで抜けるしかないな」
天井を見上げ「しかし、加減が難しい」と呟いたチーグルに、リュは表情を強張らせた。
「ここは慎重にお願いしますよ」
「そう言われてもなあ。そいつは俺の一番苦手な分野だぞ」
「ちょっと待ってください」
右手を振り被った彼を制止し、前に出て鉄格子を調べ始める。錠前は留め金に加えて、天井と床に差し込まれた太い閂で固定されていること、反対側は蝶番でのみ外枠と繋がっていることを確かめて、少年は汗を拭った。
「壊すなら、せめてこっち側にしましょう。かなり劣化してるみたいですし」
「ふむ」
チーグルは曖昧に頷いて、促されるままに移動する。通路に鈍い音が数回響いた後、扉は本来と逆側をこじ開けられていく。
扉の鉄枠が歪み、人ひとりが通れる隙間ができたところで、鉄枠を引っ張っていたチーグルの手が止まった。
「不味いな。何か近付いてきてないか」
リュは背後を振り返る。電燈の光は何も照らし出してはいないものの、硬い物同士がぶつかり合う音が、遠くから絶え間なく聞こえてきた。
「これは何ですかね。随分と数が多いような」
「詮索は後だ。さっさとここを抜けちまえ」
慌てて隙間に体を滑り込ませたリュの後に、チーグルが続く。反対側から扉を引いて元の形に戻そうとしていると、通路の奥から異音の主が姿を見せ始めた。
初めに見えたのは、巨大な灰色の手だった。
がしゃり、がしゃりと音を立てながら近付いてくるにつれて、それが人骨の寄せ集めで形成された両腕であることが、ふたりにも理解できた。
通路を塞ぐほどの胴体には頭部がなく、また腰から下も存在しないように見える。首無しの上半身を引き摺って這い進む骸骨を見て、チーグルはリュへと顔を向けた。
「いろいろと言いたいことはあるんだがよ」
「はい」
「この扉で食い止められると思うか」
「無理じゃないですかね」
チーグルは扉から手を離し、背後の階段を振り返る。長く続く石段を見上げて、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「さすがに、罠までは無いと信じたいな」
「これが上まで繋がってるといいんですけど」
チーグルは階段に向かって一歩を踏み出した。その後をリュが追いかけ、電燈の光は階段の上へと消えていく。
暗闇の中。通路を進んできた骨の腕は、鉄格子をすり抜けてまっすぐに進んでいく。扉の枠や錠前に遮られてこぼれ落ちた骨も、しばらくの間かたかたと震えた後、また胴体へと吸い込まれていった。