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地圖師と運び屋(前篇)

 見渡す限りの瓦礫(ガレキ)の山。一言で表現するとしたら、ここはそういう世界だった。


 場所も時代も、世界さえも不確かな文明の遺物たちが、果てなく敷き詰められ、さながら地層のように積み重なっている。

 それらの多くが塵芥(じんかい)と変じている中、元の形を残している遺跡の数々が、複雑な地形を形作っていた。


 (かつ)ては多くの闘士たちが競い合ったであろう円形の闘技場(コロッセオ)のすぐ隣には、硝子(ガラス)か水晶か、恐らくは未知の素材が用いられたと思しき透明な館が収まっている。

 遥か太古の尖塔(バベル)は傾き、崩れ、無数の巨大な断片が、白亜の城とその城下町を圧し潰している。


 雲上の空中都市が、堅牢なる山塞が、英知を極めた学院が、邪神を崇める地底寺院が。

 指針も無く雑多に掻き集められ、小片細工(モザイク)のように配されている。


 天上に星々の輝きはなく、地下には数多の怪物たちが在る。


 咎人に罰を与え罪を焼く煉獄なのだと、ある宗教家は嘆いた。

 人類に与えられた別天地、見果てぬ理想郷に至る道だと、ある科学者は語った。


 (しか)して。真実は未だ地の底、闇の中であるものの、人々が歩みを止めることはなく。


 ここは、そういう迷宮(せかい)だった。



    ○



    〔西暦一九六三年五月十日 午前十一時五分(東亜標準時)〕


     〔内地球世界(インナーワールド)表層:新京基準点(ポイント)より北西(※)に十五(キロ)


         ※注:滿洲國迷宮法に基づく暫定方位



    ○



 廃墟と化した近世的な街並みの中、原形を残していた煉瓦(レンガ)造りの建造物(ビルディング)の屋上に、ふたりの男が立っていた。


 深緑色の外套を身にまとった少年は、片膝をついた状態で双眼鏡を覗き込んでいる。その隣では、体格の良い壮年の男が腕を組み、厳しい顔で空を見上げていた。


 月も太陽も、星々さえも存在しない暗い空では、赤い極光(オーロラ)が静かに揺らめき、周囲を紅く染め上げている。

 不安定だがそれなりの光量を持つそれだけが、この世界における天然の光源だった。


「こいつがもう少し続いてくれれば、探索も捗るんだが」

「予報だと今週一杯は『濃い赤』が続くそうですよ、(チーグル)さん」

「そうかい。なら、それに期待するとしようかね」


 こっち側の天気予報なんざ、どれだけ信用できるのやら。と母国(ロシア)語で呟いて、チーグルは視線を下に向けた。

 少なくとも、この場所から見える範囲に動くものの気配はない。ベルトに取り付けてある警報器(アラーム)の表示も青色のままである。

 彼は表情をわずかに緩ませると、再び滿洲語で少年に声をかけた。


「それで、(リュ)くんよ。そっちの首尾はどうだ」

「もう少し待ってください。地図がまだです」


 リュと呼ばれた少年は双眼鏡を左手で構えたまま、足元に広げた地図へと右手の鉛筆で書き込みを行っている。

 少年の視線は地図と双眼鏡、そして傍らに設置された無骨な測量機械の間を忙しく往復していた。


「写真と測量記録だけじゃ駄目なのか」

「ある程度、地図だけで分かるようにしておかないと、後で困るので」


 顔も上げない返答に、作業がしばらく終わりそうにないことを見て取って、チーグルは首を振って腰を下ろした。


    ○


 少年の手元に視線を向けたチーグルは、几帳面な字で地図のあちこちに記された文章を眺めていく。漢字で書かれているために、すべてを理解するのは無理ではあったものの、十分な情報量を持っていることは彼にも把握できた。


「初仕事と言っていた割には、なかなか手際がいいな。探索士の資格を取ったばかりとは思えんが」

地圖師(マッパー)の仕事は昔、何回か手伝ったことがありますから」


 なるほど、まったくの未経験者というわけでは無いらしい。そう納得すると同時に、新たな疑問が彼の脳裏をよぎった。

 チーグルが在籍しているのは従業員数名の弱小企業であり、新人を高待遇で迎えられるような余裕はない。


「大手の探索公司(カンパニー)でも通用する腕前に見えるがね。わざわざウチに入らんでも、やっていけるんじゃないか」

「いえ、まだまだです。知らないことも多いです。それに大手はいい噂を聞きませんし」

「そんなもんかね」


 謙遜しているのか、あるいは向上心があるのか。どちらにせよ、自分の手間が省けるのは大歓迎だろう、とチーグルは結論付けた。

 地図への書き込みを終えた少年の手が止まり、双眼鏡が肩掛け鞄の中に収められる。続けて測量機械も三脚から外され、片付けられていく。


「この後は、予定通りですか」

「ああ。このまま調査を続けて、この区画の天素(エーテル)濃度が高い理由を特定する」


 大元の依頼には原因となる要素の排除まで含まれている。今回の調査はその前段階としての、新人であるリュの研修と能力査定を兼ねた偵察任務だった。

 危険な状況だとチーグルが判断した時点で、任務を中断して拠点まで撤退することになっている。


「怪しいのは、あの建物でしょうか」


 少年が指し示す先では、ひときわ大きな建造物が存在を主張していた。正面にはアーチ型の大きな入口が並び、その上の壁面には聖印らしき紋様が装飾されている。

 西洋風の大聖堂(カテドラル)に似た雰囲気を持つそれは、揺らめく極光によって紅く照らし出されていた。


「いかにも、って感じだな。手が空いてる学者(スカラー)も誘って来るべきだったか」


 未知の文明(せかい)の遺跡であっても、その建築様式や状況から元の気候風土などを推察し、危険の方向性を判断できる人材は貴重だった。


 使えそうな知り合いの名前を頭の中に並べ、報酬や性格面での折り合いがつくかどうか、指折り数えようとしたところで。

 地図を拾い上げて指示を待つ少年に気付いて、チーグルは思考を打ち切った。


「いや、今更の話だったな。先に進もう。距離は分かるか」

「直線距離で、およそ四(キロ)ですね」

「車が使えりゃ大した距離じゃないんだがな」


 本来は整備されていたであろう道路が、崩壊した建物によってあちこち寸断されている。ふたりをこの場所まで運んできた小型の貨物車(トラック)に乗った状態では、ここから先に進むのは難しいだろうと思われた。


「仕方ない、移動だけで半日は見ておこう。休憩できる場所を探しながら進むぞ」


 そう言って、チーグルは腰を上げた。


    ○


 移動を始めて一時間ほどが経過した。比較的荒れていない広い道を選びつつ、ふたりは廃墟と化した都市を探索していく。

 途中、いくつかの建物を調べてはみたものの、これといった成果は得られなかった。


 前を歩いていたチーグルが立ち止まり、周囲と腰の警報器(アラーム)を確かめる。


「そろそろ気を引き締めていくぞ」

「了解です」


 引き締めるも何も、そもそも緩めてはいなかったんですが、と少年は心の中で呟いた。

 天素(エーテル)濃度を計測し、魔物の襲来を予測する警報器。最新の技術で小型化され、時計と一体となったものはリュの手首にも巻かれている。

 文字盤の中央付近に配された天素濃度の表示は、青から黄色に変化したところだった。


 外套の内側、腰から下げている短杖(ロッド)に沿えていた左手に力が入る。

 チーグルはといえば、合皮の大袋を担いで歩く姿に変化は見られなかった。武装と呼べそうなものは、彼が両腕に装着している黒光りする籠手(ナックルガード)だけだった。迷彩柄の戦闘服は見た目よりも頑丈に出来ているものの、臨戦態勢とは言い難いその様相に、リュは思わず口を開いた。


「チーグルさんは確か、槍斧(ハルバード)を使っていた覚えがあるんですけど」


 わずかに顔を上げ、チーグルは「ああ、アレか」と懐かしむように呟いた。


「アレはどうも、俺と相性が良すぎてな。何でもかんでもぶち壊すからって、社長から禁止されてるんだわ」

「禁止、って、それで大丈夫なんですか」


 都市区画の外を武器も無しに出歩くなど、自殺行為ではないか、という問いかけに、チーグルは右腕を掲げて見せる。


「まあ、表層を調査する分にはコイツで十分だ。それにしても、倉庫に放り込んだのはもう何年も前の筈だが……よく知っていたな」


 彼は立ち止まり、振り返ると少年を見据えた。探るような視線を受け、リュは慌てて口を開いた。


「覚えていないかもしれませんけど、五年前に見ていますから。あのときチーグルさんのおかげで助かったんですよ」

「五年前、というと……」


 何のことだったか、と問い返そうとしたチーグルの耳に、みしり、と何か固いものが軋む音が聞こえてきた。

 咄嗟に警報器に目を向け、赤色の危険表示を確かめる。少年は短杖の留め金を外し、左手で構えて周囲を見回していく。


「話は後だな。どうやら、敵のお出ましだぞ」


    ○


 高濃度の天素(エーテル)が放つ燐光に気付いて、チーグルとリュは正面へと顔を向けた。

 道路を塞ぐように崩れた建物の、煉瓦と木材の山の上。緑色の光はそこに集中し、次第に脅威の姿を縁取っていく。


 四つ足で瓦礫に貼りつき、琥珀(こはく)色の瞳でふたりの方を見つめる大トカゲ。頭部や首、胴体の一部は灰白色の殻に覆われていて、隙間からは土色の鱗が見えている。

 その体長は尻尾を除いても二(メートル)ほど。大柄なチーグルをも圧倒する大きさのそれが、光の消失と同時に動き始めた。


 近付いてくる大トカゲから少年を庇うように、男は一歩、前に出る。顔を相手に向けたまま、背後に向かって声をかける。


甲殻蜥蜴(アルマラケルタ)。知ってるか」

「はい。乾燥地帯に生息していたと推測される大型肉食の爬虫類、ですよね」


 外皮は硬く、衝撃に強い上に、ある程度の温度変化にも適応できる。つまり、半端な攻撃では倒せない相手だ、とリュは続ける。

 満足気に頷いて、チーグルはさらに一歩、前進した。


「戦うんですか」

「逃げるのも手だが、折角の臨時収入だぞ。俺が抑えておくから、アレに効きそうな術でも使ってみろ」


 返事を待たずに、チーグルは歩みを速めた。それを見て、遅ればせながらリュも覚悟を決める。前衛は複数人で務めるのが常道(セオリー)ではあるものの、彼であれば問題ないだろう、と少年は判断した。


 大トカゲの突進を両手で受け流し、一対一の態勢へと持ち込んだチーグルを見ながら、左手を正面に向ける。短い金属製の杖は握り(グリップ)以外の部分が太く、その内部には超常的な現象を引き起こす結晶炉と、それを動かすための機構(システム)が収まっている。その外見は、歪な鎚矛のようにも見えた。


「出番だ、雷侯錫(サンダラー)


 励起の言葉を放ちつつ、右手で短杖の目盛盤(ダイヤル)を回す。装填されている術の中から、有効かつ自らの実力を示せるであろうものを選択し、関東軍謹製の制式儀典(プロトコル)に従って手順を進めていく。


神鳴(かみな)る響きを左手に、神建(かんだ)つ光を我が杖に」


 少年の足は陣を刻み、その口からは東国の呪言が紡がれる。短杖の安全装置を外し、大トカゲへと狙いを定める。


「悪鬼魔神を討ち祓う万象摂理の一節を、今此処に顕現(あらわ)せしめん──装填(ロード)天雷召来(コールライトニング)


 杖の先端が淡く光り、紫電を纏い始めると同時に、稼働し始めた装置が低い唸りを上げていく。少年の方をちらと見て、チーグルは感心したように口角を上げた。


「大きく出たな。いけるか」

「はい、いけます」


 横薙ぎに振るわれた長い尾を屈んで避け、チーグルは大トカゲの横腹に拳の一撃を叩き込んだ。身をよじり、咆哮を上げる魔物から、荒れた地面を蹴って飛び離れる。


撃滅せよ(リリース)ッ!」


 リュの口から起動の言葉が発せられ、雷の魔術が具現化する。短杖の先端から大トカゲに向かって、刹那の間に白い雷光が駆け抜けた。

 大気の爆ぜる音が響き渡り、続けて苦悶の叫びが聞こえてくる。大トカゲの甲殻は黒く焼け焦げ、隙間から薄く煙が上がっていた。


 痙攣しながらもまだ動こうとする魔物へと、チーグルは再び接近する。止めとばかりに、組んだ両手が振り下ろされた。

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