第8話「王都への帰還と枯れ果てた大地」
王都への旅路は、思いのほか快適だった。
アレクセイが特別に手配してくれた馬車は、振動を吸収する魔法がかけられており、中はまるで小さな部屋のように広くて温かい。
座席にはふかふかのクッションが敷き詰められ、テーブルには私が道中で作った保存食やおやつが並べられている。
スノーもまた、私の足元で満足そうに寝息を立てていた。
しかし、王都に近づくにつれて、窓の外の景色が異様な様相を呈し始めたことに私は気づいた。
まだ秋の終わりだというのに、木々は枯れ落ち、畑の土はひび割れている。
行き交う人々も痩せこけており、かつてのような活気が感じられない。
「……変ですね。王都周辺は『豊穣の地』と呼ばれていて、冬でも作物が採れるはずなのに」
私が呟くと、向かいに座るアレクセイが書類から目を上げずに答えた。
「お前がいなくなったからだ」
「え?」
「王家は認めたがらないだろうが、土地の精霊たちは正直だということだ。真に祝福を与えていた者が誰だったのか、土地そのものが嘆いている」
アレクセイの言葉に、私は胸がドキリとした。
私が聖女?
確かに、私は植物を育てるのが得意だし、私の作った料理を食べた人はみんな元気になるけれど、それは薬膳の知識のおかげだと思っていた。
まさか、本当に私自身の魔力が影響していたのだろうか。
「見てみろ。あの惨状を」
アレクセイが顎で指し示す。
馬車が王都の巨大な城壁をくぐり抜けた先、メインストリート沿いの花壇はすべて茶色く枯れ果てていた。
市場には腐りかけた野菜が高値で売られ、市民たちが争うようにそれを奪い合っている。
埃っぽい風が吹き抜け、どこか澱んだ空気が街全体を覆っていた。
「ひどい……」
言葉を失う。
私がいた頃は、ここは花と緑に溢れ、美味しい食材で満たされていたのに。
「聖女ミレーヌが祈りを捧げているはずなのに、どうしてこんなことに」
「偽物の祈りなど、天には届かんさ。あるいは、自分の欲望のために力を使った代償かもしれん」
アレクセイは冷ややかに言い放つ。
私たちの馬車は、やがて王城の正門に到着した。
黒塗りにヴォルガード家の紋章――氷の結晶と剣――が描かれた馬車を見て、衛兵たちが慌てて整列する。
扉が開かれ、アレクセイが先に降り立つ。
その圧倒的な美貌と、周囲の空気を凍らせるような冷徹なオーラに、周囲の貴族や衛兵たちが一斉に息を呑んだ。
彼は当然のように私に手を差し出す。
「お手を、リリアナ」
「はい、アレクセイ様」
私が彼の手を取って降り立つと、周囲の視線が一層強まった。
ヴォルガード公爵が女性を連れていることへの驚きと、その女性がかつて追放された「罪人」リリアナであることへの困惑。
ざわめきがさざ波のように広がっていく。
「あれは……フローレス家の長女か?」
「追放されたはずでは……」
「なんと美しい……以前よりもずっと輝いて見える」
そんな囁き声が聞こえてくる。
確かに、今の私は以前とは違う。
辺境での生活で心身ともに鍛えられ、アレクセイに愛される自信と、美味しいものを食べて得た健康的な美しさが溢れているはずだ。
ドレスはアレクセイが贈ってくれた最高級品。
隣には、国一番の実力者である公爵様。
背筋が自然と伸びる。
「行くぞ。雑音など気にするな」
アレクセイが私の腰に手を回し、エスコートする。
その力強い掌の温もりが、私の緊張を溶かしてくれた。
私たちはスノーを従え(彼は「従魔」として登録済みだ)、王城の長い廊下を歩く。
謁見の間へと続く道すがら、すれ違う貴族たちが道を開け、恐れと羨望の入り混じった眼差しを向けてくる。
『なんだか、凱旋パレードみたい』
少し可笑しくなって、私は口元を綻ばせた。
その時、前方から見知った顔ぶれが歩いてくるのが見えた。
金髪の青年と、その腕に絡みつくピンクブロンドの少女。
元婚約者のエドワード王太子と、義妹のミレーヌだ。
彼らは私たちに気づくと、驚愕に目を見開いて立ち止まった。
「リリアナ……!? なぜお前がここにいる!」
エドワード殿下が叫ぶ。
その顔色は悪く、目の下には隈がある。
隣のミレーヌも、以前のような瑞々しさがなく、厚化粧で必死に疲れを隠しているようだった。
「ごきげんよう、殿下。ヴォルガード公爵のパートナーとして、招待に応じ参上いたしました」
私は優雅にカーテシー(膝を折る挨拶)をした。
完璧な礼儀作法に、エドワード殿下は言葉を詰まらせる。
「パ、パートナーだと? 罪人の分際で、公爵に取り入ったというのか! 汚らわしい!」
ミレーヌがヒステリックに叫んだ。
「そうよ! お姉様、また誰かを誑かしたのね! 追放されたくせに、ずうずうしいわ!」
その言葉に、アレクセイの纏う空気が一瞬にして絶対零度まで下がった。
彼が私を庇うように一歩前に出る。
赤い瞳が、侮蔑を込めて二人を射抜く。
「……汚らわしいのはどちらだ? 俺の大切な伴侶を愚弄するならば、王太子といえど容赦はせんぞ」
低い声。
しかし、そこには明確な殺気が込められていた。
エドワード殿下とミレーヌは、蛇に睨まれた蛙のように縮み上がった。
廊下の壁に薄氷が張り詰め、シャンデリアがガシャガシャと揺れる。
「ヴォ、ヴォルガード公……貴様、王族に対する不敬だぞ!」
エドワード殿下が震える声で虚勢を張るが、足が震えているのが丸わかりだ。
「敬意とは、それに値する者にのみ払うものだ。……リリアナ、行こう。ここの空気は腐っている」
アレクセイは彼らを一瞥もしないまま、私を促して歩き出した。
すれ違いざま、私はミレーヌと目が合った。
彼女の瞳には、かつての優越感はなく、焦りと嫉妬が渦巻いていた。
そして、彼女の肌が荒れ、髪の艶が失われていることに気がついた。
『栄養状態が悪い……? それとも、魔力の枯渇?』
薬膳師としての観察眼が、彼女の異変を捉える。
彼女は無理をしている。
聖女のふりをするために、何か危険な薬か、あるいは禁術を使っているのかもしれない。
その代償が、彼女自身の美貌と健康を蝕んでいるのだ。
「待ちなさいよ! 明日の舞踏会で、あんたの化けの皮を剥がしてやるから!」
背後でミレーヌの負け惜しみが響いたが、私たちは振り返らなかった。
化けの皮が剥がれるのは、一体どちらなのか。
答えはもうすぐ出るだろう。
その夜、私たちに用意された客室で、アレクセイは不機嫌そうにワイン(私が持参した果実酒)を煽っていた。
「不愉快だ。あんな連中が国の中枢にいるとはな」
「まあまあ、アレクセイ様。これを食べて落ち着いてください」
私は彼に、特製の「リラックス効果抜群のハーブクッキー」を差し出した。
一口食べると、彼の眉間のシワが少し緩む。
「……美味い。だが、明日の舞踏会では、お前の料理をあいつらに食わせるのは癪だな」
「ふふ、大丈夫ですよ。明日は『特別メニュー』を用意するつもりはありませんから。ただ、真実が明らかになるだけです」
私は窓の外、荒廃した王都の夜景を見つめた。
この土地を救うには、一度膿を出し切る必要がある。
そして、それは明日の夜に行われるはずだ。
***
舞踏会当日。
王城の大広間は、表面上は豪華絢爛に飾られていたが、出される料理は貧相だった。
干からびた果物、硬い肉、水で薄められたようなスープ。
招待された貴族たちも、心なしか元気がない。
そんな中、会場の扉が開き、私たちが姿を現した瞬間、世界の色が変わったようだった。
アレクセイの漆黒の礼服と、私の氷のようなブルーのドレス。
二人が並んで歩くだけで、周囲が浄化されていくような清涼感が漂う。
私はアレクセイの腕に手を添え、堂々とホールの中央へと進んだ。
その時、楽団の演奏が止まり、エドワード殿下が壇上に立った。
「皆の者! 今夜は我が国の聖女、ミレーヌの祈りの儀式を行う! 彼女の力により、この土地に再び豊穣が戻るであろう!」
拍手がまばらに起こる。
誰もが、今の惨状を前にして、半信半疑なのだ。
スポットライトの中、ミレーヌが白いドレスで登場した。
しかし、その足取りはおぼつかなく、顔色は白粉でも隠せないほど悪い。
「さあ、ミレーヌ。奇跡を見せてくれ」
エドワード殿下に促され、ミレーヌが杖を掲げる。
彼女が必死の形相で呪文を唱え始めたその時、異変が起きた。




