第10話「偽りの聖女と真実の光」
浄化の光が収まると、会場は静寂に包まれた。
さっきまでの混沌が嘘のように、清浄な空気が満ちている。
崩れ落ちたドラゴンの骨だけが、現実の出来事だったことを示していた。
私は荒い息を吐きながら、へなへなと座り込みそうになった。
魔力を使いすぎた。
全身が鉛のように重い。
「リリアナ!」
倒れかけた私の体を、誰かが強く支えた。
アレクセイだ。
彼の体温が、ドレス越しに伝わってくる。
温かい。
以前よりもずっと強く、確かな熱。
「大丈夫か、無茶をしやがって」
彼は叱責しながらも、その声は震えていた。
私を抱きかかえる腕に力がこもる。
「……アレクセイ様、無事ですね。よかった」
「俺のことはいい。それより、見ろ」
彼が視線を向けた先には、呆然と立ち尽くす人々の姿があった。
そして、その視線はすべて私に注がれている。
畏敬、感謝、そして確信。
「光が……あの方から溢れていた」
「あの香り、体が温まるようだ」
「彼女こそが、真の聖女様ではないのか?」
囁き声が波紋のように広がる。
もはや、誰も疑う者はいなかった。
私の起こした奇跡――料理と祈りによる浄化――は、ミレーヌの虚飾とは比べ物にならないほど鮮烈で、圧倒的な現実だったからだ。
「う、嘘だ……こんなこと、ありえない!」
ミレーヌがヒステリックに叫び、髪を振り乱した。
「私が聖女なのよ! 私が! これは手品よ、トリックよ! 騙されないで!」
彼女は壊れたように叫び続けるが、もはや誰も彼女を見ようとしなかった。
エドワード殿下もまた、青ざめた顔で後ずさりし、ミレーヌから距離を取ろうとしている。
「ミレーヌ、お前……本当に聖女なのか? 今までのは何だったんだ」
「殿下! 信じてください! 私は……!」
ミレーヌがエドワード殿下にすがりつこうとするが、彼は無情にもその手を払いのけた。
見苦しい内輪揉め。
アレクセイは冷ややかに鼻を鳴らし、私を抱きかかえたまま彼らに歩み寄った。
「茶番は終わりだ。これ以上、リリアナを侮辱するなら、今度は俺がこの国ごと凍らせてやる」
その迫力に、エドワード殿下は腰を抜かしてへたり込んだ。
その時、会場の入り口から厳かな声が響いた。
「そこまでだ」
現れたのは、老いた国王陛下と近衛兵たちだった。
国王陛下は杖をつきながら、ゆっくりと私たちの前まで歩いてきた。
その瞳は、息子であるエドワード殿下ではなく、私を真っ直ぐに見据えている。
「ヴォルガード公爵、そしてリリアナ嬢。……今の光、見せてもらった。余の代になってから曇っていた王都の空が、一瞬で晴れたのを感じた」
国王陛下は深く頭を下げた。
「我が愚息と、偽りの聖女の非礼を詫びる。そして、この国を救ってくれたことに感謝する」
王の謝罪。
会場中が息を呑む。
エドワード殿下は顔面蒼白になり、震えが止まらない。
「父上! お待ちください! 私は騙されていたのです! ミレーヌが……!」
「黙れ!」
国王陛下の一喝が響く。
「お前には失望した。真実を見抜く目を持たず、私情で忠臣を追放し、国を危機に晒した罪は重い。エドワード、お前の王位継承権を剥奪する」
「な……!」
エドワード殿下は絶望に顔を歪め、崩れ落ちた。
ミレーヌは衛兵に取り押さえられながら、「嫌! 離して! 私は王妃になるのよ!」と泣き叫んでいる。
勧善懲悪。
物語のような結末だが、私の心はどこか冷めていた。
彼らの不幸を喜ぶというよりは、ようやく終わったのだという安堵感が強かった。
「……リリアナ嬢。そなたの冤罪は晴れた。フローレス家の地位も回復させよう。どうだ、王都に戻り、再び聖女として国を支えてはくれぬか?」
国王陛下が期待を込めて尋ねる。
貴族たちも、期待の眼差しで私を見ている。
聖女リリアナ。
その称号があれば、富も名声も思いのままだ。
しかし、私は迷わずに首を横に振った。
「申し訳ありません、陛下。私には、もっと大切な場所があります」
私はアレクセイを見上げた。
彼は黙って私を見つめ返しているが、その瞳には不安の色が見え隠れしていた。
私が王都に残ることを選ぶかもしれないと、心のどこかで恐れていたのだろう。
「私の居場所は、北の果て。凍てつく大地と、温かい食卓のある場所です。それに……」
私はアレクセイの腕に身を寄せ、にっこりと微笑んだ。
「私は聖女などという大層なものではありません。ただの、公爵様の専属料理番ですから」
その言葉に、アレクセイの表情が一気に緩んだ。
彼は我慢できないというように私を強く抱きしめ、額を私の額に押し当てた。
「……愛している、リリアナ。もう二度と離さん」
「はい、私もです」
衆人環視の中での熱烈な抱擁。
貴族たちは顔を赤らめ、国王陛下は苦笑しながらも温かい目で見守ってくれた。
スノーが「僕も混ぜろ」とばかりに割り込んできて、アレクセイに鼻面を押し付ける。
私たちは笑い合った。
王都の華やかな舞踏会よりも、北の城での静かな夕食の方が、私にとっては遥かに輝いて見えた。
こうして、偽りの聖女騒動は幕を閉じた。
しかし、アレクセイの呪いが完全に解けたわけではないことを、私たちはまだ知らなかった。
最後の試練が、帰路に待ち受けていることを。




