最終試練
塔の最上階。そこに広がっていたのは、神聖な祭壇などではなかった。床や壁には禍々しい紋様が走り、空間そのものが苦悶に喘いでいるかのように歪んでいる。広間の中央には、天から降り注ぐ魔力を根こそぎ吸い上げる、巨大な黒水晶が不気味な脈動を繰り返していた。
そして、その水晶の前には、あの白銀の試験官が立っていた。しかし、その姿は異様だった。水晶から伸びる無数の黒い管がその身に接続され、彼の階級印はもはや白銀ではなく、紫黒の光を放っている。
「ようこそ、我が処刑場へ。秩序を乱す愚かな虫ケラ共」
その声は、もはや人間のものではなかった。塔の魔力を己がものとし、神をも僭称する傲慢さに満ちていた。
「この塔の試練は、神に選ばれし血統の者を正しく導くためのもの。貴様のような泥鉄が、努力などという汚らわしい足掻きで登ってくること自体が、神への冒涜なのだ!」
試験官が手をかざすと、黒水晶が激しく脈動する。エルザが咄嗟に魔法を詠唱しようとして、顔を青ざめさせた。
「だめ…!魔力が、全部あの水晶に吸い取られる…!」
「無駄だ、魔導師の小娘。この空間では、魔法は全て我が力となる」
絶望。それは、あまりにも絶対的だった。エルザの魔法は封じられ、ブラムは前の戦いで満身創痍。カイは覚醒した力を持つが、相手は塔の力で強化された、遥か格上の『白銀』。勝ち筋など、どこにも見当たらなかった。
「まずは生意気な泥鉄からだ!」
試験官の姿が消え、次の瞬間にはカイの背後に回り込んでいた。覚醒したカイの超感覚が危険を察知し、辛うじて剣で防御する。しかし、キィン!という耳障りな金属音と共に、カイの体は軽々と吹き飛ばされた。
「ぐっ…は…!」
「ほう、今のを防ぐか。だが、何発耐えられる?」
試験官の猛攻が嵐のようにカイを襲う。カイは超感覚を頼りに必死で捌くが、一撃一撃が骨の芯まで響くほど重い。経験、地力、純粋なパワー、全てが違いすぎた。
「どうした、終わりか?貴様の信じる『努力』とやらは、その程度か!」
嘲笑が響き渡る。その時、ボロボロの体を引きずり、ブラムがカイの前に立ちはだかった。
「……まだだ…!」
「ほう、青銅の盾か。砕け散るがいい!」
試験官の渾身の一撃が、ブラムの構える剣に叩きつけられる。凄まじい衝撃音と共に、ブラムの剣は砕け散り、鎧はひしゃげ、その体はくの字に折れ曲がった。だが、それでも彼は、倒れなかった。砕けた剣を杖代わりに、膝をつきながらも、カイを庇い続けていた。
「俺の…役目は…盾だ…。家伝の剣は…守るために…ある…!」
血反吐を吐きながらも、その瞳の光は消えていない。その姿に、試験官は不快そうに眉をひそめた。
「くだらん意地を。ならば、まずはその盾から完全に破壊してやろう」
試験官が、ブラムに止めを刺すべく、その手に黒い雷を収束させる。カイは動けない。間に合わない。
その、誰もが終わりを確信した瞬間。
「――見つけたッ!!」
エルザの絶叫が響いた。彼女は魔法が使えない中、ただ諦めるのではなく、その卓越した魔導の知識で、黒水晶の構造と魔力の流れを完全に解析しきっていたのだ。
「カイ!あの水晶の頂点にある小さなコア!そこが制御核よ!一瞬でいい、私の全魔力をそこに直接叩き込めれば、暴走させて逆流させられる!」
希望。それは、闇が最も深い時にこそ、一際強く輝く。
だが、そのコアは試験官の頭上、あまりにも遠い。
「どうやって…!」
カイの苦悶の声に、膝をついていたブラムが、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「……おい、カイ」
彼は震える手で、カイの服を掴んだ。
「お前を…信じてやる…。だから、お前も…俺を信じろ…!」
その言葉で、カイは全てを悟った。常識外れ。前代未聞。だが、これしか道はない。カイは折れた剣の柄をエルザに投げ渡した。
「エルザ、頼む!」
「任せて!」
そして、カイはブラムに向き直り、叫んだ。
「ブラム!俺の全てを、お前に預ける!俺を、あの水晶まで――**『投げろ』**ッ!!」
「応ッ!!」
ブラムは最後の生命力を振り絞り、咆哮した。彼の全身の筋肉が隆起し、砕けた鎧を弾き飛ばす。彼はカイの体を、まるで砲丸のように抱え上げ、渾身の力で天へと放った。
「行けぇぇぇぇぇっ!!俺たちの、希望ッ!!」
砲弾のように射出されたカイの体に、試験官が驚愕の表情を浮かべる。
「馬鹿な!?人間が人間を…!?」
試験官が迎撃の黒雷を放つが、カイは空中で身を捻り、覚醒した超感覚でそれを紙一重で回避する。その神業の回避機動の先に、エルザが全魔力を圧縮して注ぎ込んだ、光り輝く『折れた剣』が投げられていた。
空中で、カイは光の剣を掴む。
その刃には、エルザの想いが、ブラムの覚悟が、そしてカイ自身の魂が宿っていた。
「お前の理不尽は、俺たちが終わらせる!!」
絶叫と共に、光の刃が黒水晶のコアへと突き刺さる。
時間が、止まった。
次の瞬間、黒水晶はまばゆい光を放って亀裂が走り、塔全体を揺るがすほどの規模で大爆発を起こした。
「ぐ…ぎゃああああああああっ!!」
試験官に流れ込んでいた膨大な魔力が逆流し、その体を内側から焼き尽くしていく。彼は自らが作り出した理不尽の力に飲み込まれ、断末魔の叫びと共に、塵と消えた。
塔が、崩壊を始める。
力尽きた三人は、なすすべもなく、その濁流に飲まれていった。




