試練の塔と2人の志願者
天を衝くようにそびえ立つ七つの塔。その中でも、最も多くの挑戦者の血を吸ってきたのが、第一の塔、『剣の塔』だ。カイが塔の前に立った時、その威圧感に思わず息を呑んだ。積み上げられた黒曜石は、まるで巨大な墓標のようだった。
塔の内部は、不気味なほど静まり返っていた。壁には魔石の灯りが点々と灯り、挑戦者たちの進むべき道をぼんやりと照らしている。第一階層の広間には、カイの他に十数名の挑戦者が集まっていた。その誰もが、カイの腕にある『泥鉄』の刻印を見て、侮蔑か、あるいは哀れみの視線を送ってくる。
「さて、今年の命知らず共はこれだけか」
どこからともなく、響くような声が広間を満たした。声の主は、階級『白銀』の刻印を持つ、塔の試験官だった。その眼光は、まるで獲物を品定めするかのように、挑戦者たちを一人一人射抜いていく。
「ルールは三つ。一、塔の最上階に到達すること。二、仲間を殺すことは禁ずる。三、己の死は己で受け入れること。以上だ。塔の扉は、諸君らが全滅するか、誰かが最上階に到達するまで、外からは開かぬ。覚悟を決めて挑むがいい」
試験官の言葉が終わると同時に、広間の奥にある巨大な石の扉が、地響きを立てながらゆっくりと開いていった。その先は、先の見えない闇。挑戦者たちはごくりと唾を飲み込み、お互いを牽制し合いながら、武器を手に取った。
「フン、泥鉄が混じっているとはな。今年の試練は質が落ちたものだ」
カイの隣にいた、貴族らしい豪華な装飾の鎧をまとった男が、あからさまにカイを蔑んで言った。腕には『青銅』の刻印。おそらく、家の金とコネで手に入れた階級だろう。
カイは何も言い返さず、ただ静かに古びた剣の柄を握りしめた。
挑戦者たちが次々と闇の中へ進んでいく。カイもまた、その流れに従った。通路を進むと、すぐに最初の試練が始まった。四方八方から、俊敏な魔物・ダークウルフの群れが襲いかかってきたのだ。
「うわぁっ!」
「ちくしょう、数が多い!」
悲鳴と剣戟の音が響き渡る。貴族の男は、恐怖に顔を引きつらせながらも、必死に剣を振り回していた。他の挑戦者たちも、それぞれの得物を手に戦うが、連携の取れていない集団は、統率された狼の群れに徐々に追い詰められていく。
カイはその乱戦から一歩下がり、冷静に戦況を観察していた。彼は闇雲に剣を振るわない。狼たちの動き、連携、そしてリーダー格の個体を見極めようとしていた。日々の鍛錬は、ただの筋力トレーニングではなかった。いかに効率よく、最小の力で最大の効果を上げるか。彼は常にそれを考えてきた。
(リーダーは、あの右目に傷のあるやつだ。あれを叩けば、群れの統率は乱れる)
狙いを定めたカイは、地面を蹴った。他の挑戦者たちが複数の狼に足止めされているのを尻目に、まるで影のように戦場を駆け抜ける。彼の動きには一切の無駄がなかった。敵の攻撃を最小限の動きでかわし、一直線にリーダーの懐へと潜り込む。
「ガルルァァ!」
リーダー格のダークウルフが、カイの存在に気づき、鋭い牙を剥き出しにして飛びかかってきた。それは、青銅階級の者ですら避けきれないであろう神速の一撃。
しかし、カイは冷静だった。彼は狼が飛びかかるす寸前、わざと体勢を崩して地面に倒れ込んだ。狼の爪が、カイの頭上を空しく切り裂く。そして、体勢を立て直そうとする狼の、がら空きになった腹部へ――カイは寝そべったままの不自然な体勢から、螺旋を描くような鋭い突きを繰り出した。
「――っ!」
断末魔の叫びすら上げさせず、剣はリーダーの心臓を正確に貫いていた。
リーダーを失った狼の群れは、明らかに動きが乱れた。好機と見た他の挑戦者たちが、一斉に反撃に転じる。カイは静かに剣の血を振り払い、立ち上がった。
彼の鮮やかすぎる一撃を見ていた者は、ほとんどいなかった。だが、二人だけが、その信じられない光景を目に焼き付けていた。
一人は、先程カイを侮辱した貴族の男。彼は、信じられないものを見たという顔で、カイを凝視していた。
そしてもう一人は、フードを目深に被った小柄な人物だった。その人物は、魔法の詠唱をしようとしていた手を止め、驚きに満ちた瞳でカイを見つめていた。その瞳には、侮蔑ではなく、純粋な興味と驚嘆の色が浮かんでいた。
狼の群れをなんとか退けた後、挑戦者たちは荒い息をつきながら、互いに距離を取っていた。カイもまた、次の戦いに備え、呼吸を整える。
その時、先程のフードの人物が、カイの元へ静かに歩み寄ってきた。
「……すごい。今の動き、どうやったの?」
フードから聞こえてきたのは、鈴の鳴るような少女の声だった。カイが顔を上げると、フードの隙間から、夜空の色を閉じ込めたような、美しい紫色の瞳が覗いていた。
「ただ、弱点を突いただけだ」
「弱点……。でも、あの体勢から、あれほど正確な一撃を放てるなんて……。あなた、本当に『泥鉄』なの?」
少女は純粋な疑問として口にしたのだろう。だが、『泥鉄』という言葉に、周囲の空気が再び剣呑になる。カイは自嘲気味に笑った。
「ああ、見ての通りだ」
カイが腕の刻印を示す。少女――エルザと名乗った魔法使いは、それを見ても眉一つ動かさなかった。
「私はエルザ。見ての通り、魔法使いよ。剣はからっきしだから、さっきは助かったわ。ありがとう」
「……カイだ」
素っ気なく答えるカイに、エルザは構わず続けた。
「ねぇ、カイ。この先、一時的にでも協力しない?私は後方から魔法で援護する。あなたは前衛。その方が、生存率は上がるはずよ」
階級社会に生きる者として、最下級と組むなど普通は考えられない。だが、エルザの瞳には、階級へのこだわりは感じられなかった。彼女が見ているのは、腕の刻印ではなく、カイ自身の力だった。
カイは少し考えた後、短く答えた。
「……好きにしろ」
それは、カイがこの理不尽な世界で初めて手にした、階級によらない『仲間』の誕生の瞬間だった。この出会いが、彼の、そして世界の運命を大きく揺り動かすことになるのを、まだ誰も知らなかった。




