泥鉄のチカイ
神が与えし恵みの光は、強者だけに降り注ぐ。それが、この世界の絶対的な理だった。
剣と魔法が支配し、神の恩寵たる自然と、それを脅かす魔物が共存する世界。人々は神から与えられた五つの絶対的なルールを遵守し、生かされていた。
一、階級が上のものには絶対服従。
二、五年に一度は試練に挑戦する。
三、同じ階級同士の揉め事はどちらかが折れるか決闘で決める。
四、アクマと契約してはならない。
五、神のお告げは絶対である。
中でも第一のルールは、人々の生き死にすら左右する、血よりも濃い戒律だった。
少年の名はカイ。その二の腕に刻まれた階級印は、最も蔑まれるべき最下級位――『泥鉄』。それは、泥の中に転がる鉄屑にも劣る、という意味が込められていた。
「おい、泥鉄のカイ!聞こえねぇのか!」
背後から投げつけられた唾を含んだ声に、カイは背負っていた魔物の素材袋を降ろし、ゆっくりと振り返った。そこにいたのは、胸を反らせた三人の男。彼らの腕には、カイの一つ上、『青銅』の階級印が鈍く光っていた。
「これはこれは、ブラム様。何か御用で?」
カイは表情を殺し、頭を下げる。内心でどれほど腸が煮えくり返ろうと、ルールは絶対だ。階級差は、神が定めた序列。逆らうことは、神への反逆に等しい。
「御用だと?てめぇが俺たちの狩場近くをうろついたせいで、獲物のゴブリンが逃げちまっただろうが。どうしてくれる」
「……申し訳ありません。ですが、あちらは共有の狩場のはず」
「口答えか?泥鉄の分際で!」
ブラムと呼ばれた男の拳が、カイの頬を殴り飛ばした。地面に倒れ込み、口の中に鉄の味が広がる。これが日常だった。理不尽な暴力、搾取、侮辱。ただ『泥鉄』であるというだけで、人間としての尊厳すら許されない。
「お前みたいな最下級が、俺たちと同じ場で剣を振るうこと自体、穢らわしいんだよ」
仲間たちが下品な笑い声を上げる。カイは唇を噛み締め、滲み出た血を飲み込んだ。怒りで目の前が赤く染まりそうになるのを、必死でこらえる。今はまだ、その時ではない。
彼らが見下すように去っていくのを、カイは地面に這いつくばったまま見送った。そして、ゆっくりと立ち上がり、土のついた唇を拭う。その瞳には、侮辱への諦めなど微塵もなかった。宿っていたのは、静かに燃え盛る、鋼のような闘志。
(今に見ていろ……必ず、お前たちを超えてやる!!)
カイには夢があった。いや、果たさねばならない誓いがあった。それは、流行病に苦しむ最愛の妹、リナを救うこと。彼女の病を癒す特効薬は、王都の富裕層しか手に入れられないほど高価で、最下級のカイが得られる日銭では、日々の糊口をしのぐのがやっとだった。
力を、階級を、手に入れなければならない。妹を守るため。そして、二度と誰にも理不尽に頭を下げずに済むように。
家に帰ると、小さなベッドでリナが苦しそうに咳き込んでいた。
「兄さん……おかえり」
「ただいま、リナ。今日は少し良い薬草が手に入った。すぐに煎じてやるからな」
カイは顔の痣を隠すように微笑み、リナの頭を優しく撫でた。この小さな手の温もりを守れるなら、どんな屈辱にも耐えられる。
カイは夜、誰にも見られない森の奥深くで、古びた剣を振るい続けた。来る日も来る日も、血反吐を吐くまで。女神の祝福は、半年に一度、無作為に階級を授ける。しかし、それだけでは足りない。自らの手で運命をこじ開ける唯一の道――それは、七つの塔のひとつ、『試練の塔』を制覇し、階級を上げること。
五年に一度の義務。だが、カイはそれを待つつもりはなかった。
数日後、カイは稼いだわずかな金を握りしめ、街のギルドへと向かった。壁には様々な依頼書が貼られている。その中に、ひときわ大きく、そして挑戦する者の少ない羊皮紙があった。
『剣の試練 挑戦者募集』
周囲の冒険者たちが、その羊皮紙を見つめるカイを嘲笑う。
「おい見ろよ、泥鉄のガキが試練の塔に興味を示してるぜ」
「死にたいのかね。あそこは青銅階級ですら、半数が命を落とすっていうのに」
カイは聞こえないふりをして、受付カウンターへと歩を進めた。受付の男はカイの腕の刻印を一瞥し、鼻で笑う。
「やめとけ、小僧。お前みたいなのが来るところじゃねぇ。命が惜しけりゃ、ゴブリンの巣掃除でもしてな」
「……やります」
「あ?」
「俺は、剣の試練に挑戦します」
揺るぎないカイの瞳に、受付の男は一瞬たじろいだが、すぐに面倒くさそうに書類を差し出した。
「後悔するなよ。死んでも、ギルドは一切関知しねぇからな」
カイは震える手で、その書類に名を刻んだ。それは、理不尽な世界への宣戦布告。自らの全てを賭けた、最初の挑戦状だった。




