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川の水を止める? どうぞお好きになさって下さいませ

 二つの領地を流れるワーテル川。

 ワーテルというのは王国における“水神”の名に由来する。

 陸を源流にして陸で終わる内陸河川であり、上流に位置するのはブルス伯爵領、下流に位置するのはリウェール子爵領であった。


 ワーテル川の水資源を利用する上で優先権は当然ブルス家にあり、ブルス家とリウェール家は爵位の差以上の上下関係ができていた。

 世代を経るにつれ、ブルス家のリウェール家に対する態度は横柄になっていく。

 しかしそれでも、ワーテル川の水はリウェール家にとっても必要である。多少無理な要求をされても呑むしかなかった。



***



 ジェシカ・リウェール。20代の若さでリウェール家の当主となった貴族女性。

 真紅のドレスの着付けをしつつ、彼女は大きな決断をした。


(ダリードが当主となってから、ブルス家の傲慢さは目に余るものになっている。このままにしておくわけにはいかない)


 長い金髪をシニヨンにまとめ、ジェシカは立ち上がった。


(今までの関係を……終わらせる時が来た!)


 ブルス伯爵領とリウェール子爵領の境目で行われる当主同士の定例会談。

 会場となる屋敷にジェシカは開始時刻前に到着していたが、ブルス家現当主ダリードは、開始時刻より30分以上遅れて現れた。

 ダリードは詫びの言葉も入れず、ふんぞり返るように椅子に座る。

 年はジェシカと同世代、整った黒髪に青いスーツを着たその姿は貴族然としているが、顔にはジェシカに対するあざけりがにじみ出ている。

 テーブルを挟んで、ジェシカとダリード、二人の当主が向き合う。


「知らぬ仲でもなし、堅苦しい挨拶はカットでいいよな?」


「ええ」


「さっそくだが我がブルス家から、そちらへの要求を話そう」


 ダリードはぶしつけに語り始める。

 その内容は――ブルス伯爵領の商品をこれまで以上に買い取ること、リウェール子爵領の鉱物資源を格安で譲渡すること、ブルス領民を働き手として雇うこと……無茶な要求を次々に突きつける。

 ブルス家の領地経営は近年芳しくなく、そのツケを全てリウェール家に支払わせるつもりなのだ。


「全部呑んでもらう」


 ダリードはニヤニヤしながら締めくくる。答えは分かり切っているからだ。

 ところが――


「そのような要求、一切呑めません」


「……!? な、なんだと!?」


「長らく我がリウェール家はあなた方に従属……いえ、隷属してきました。貴族社会に上下関係はつきもの。それも義務と甘んじて受け入れてきました。ですが、これからは違います。できないことはできないと、きっちり突っぱねさせてもらいます」


 ダリードが顔を歪める。


「お前……それがどういうことか、分かってるのか!?」


「……」


「ワーテル川の水源は我が領地が押さえているんだぞ!」


 ダリードは革のカバンから書面を取り出す。

 古びた羊皮紙。端っこには破れたような跡がある。


「これを見ろ!」


 そこには古風な文字でこう書かれていた。


『水神ワーテルの名の下に、ワーテル川の水の優先権はブルス家にある』


 水神ワーテルが直々に書いた……とされる、古の盟約書である。

 もちろん、ジェシカもこの盟約は知っている。


「ワーテル川は優先的に我が家のものだ。なんなら川の水を止めたっていいんだ」


 川をせき止められれば当然、リウェール子爵領に水は流れてこなくなる。

 そうなれば水を確保するのにどれほどの苦労を要するか。

 だが、ジェシカは毅然と言った。


「どうぞ、お好きになさって下さいませ」


「な、なにっ!?」


「領民の水はどうにか確保します。ですから、お好きなように」


 ジェシカの顔に迷いはなかった。凛とした美しさが漂っていた。

 ダリードはその気迫に押されつつも、声を荒げる。


「いいだろう! その宣言、聞き入れてやる! お前たちを干上がらせてやる!」


 ダリードは怒りのまま立ち上がると、そのまま会談の場から立ち去った。

 ジェシカもまた、その背中を険しい顔で見つめる。


(もう後戻りはできない。私のなすべきことは領民を守ること。“その時”が来るまで――)



***



 ダリードの行動は早かった。

 会談の翌日には、ワーテル川の水を独占するためにダム建設を職人らに命令する。


「しかし……それではリウェール家の領民は干上がってしまうのでは……」


「干上がらせていいんだ! とっととやれ!」


 ダリードは工事を強行させる。

 ダム建設は順調に進み、それに伴い、リウェール子爵領は川の水に頼れなくなる。

 領民たちはジェシカの元に殺到する。


「ジェシカ様、このままでは私たちは干からびてしまいます!」


「分かっています。今、方々に手を尽くして、全力で水を確保しています」


 リウェール子爵領に流れてくる水量が少なくなった以上、足りない分は自力で何とかするしかない。

 ジェシカはこれまでのリウェール家の蓄えを放出し、各地で水を買い、水の確保に尽力した。

 しかし、それでも領民にとって必要な水の量にはとても追いつかない。

 こんな声も出る。


「ダリード様に謝罪して、ダム建設をやめてもらいましょう!」


 ジェシカは首を横に振る。


「それはダメです。どうか耐えて下さい、領民の皆さん。お願いします」


 ジェシカは領民たちをなだめた。

 いつも凛々しく堂々としたジェシカは人気があり、かろうじて不満は収まった。

 ジェシカのこれまでの真摯な領地経営が実を結んだ。

 そうでなければ、暴動が起きてもおかしくなかった。

 リウェール子爵領は一丸となって、水不足に耐えた。


 そして、こんな報告が――


「ジェシカ様、ダムが完成した模様です!」


 自身の飲む水の量さえ減らし、ジェシカの肌はカサカサに乾き、唇は割れていた。

 その顔に、笑顔が浮かぶ。

 とても渇きに苦しんでいるとは思えぬ、報告した従者がぞっとするほどの満面の笑みだった。


「ついにこの時が来た……!」


 そして――それは起こった。


 二つの領地の全領民に降り注ぐ、低く厳かな声。

 誰が聞いても「人ならぬ者の声」と分かるものだった。


『約は破られたようだな……。では盟約通り、罰を与える』


 言い放たれた瞬間、海をひっくり返したような大雨が、ブルス家邸宅を襲った。


「な、なんだこれは!? ――ゴバァ! ガボッ……ゴボッ……」


 ダリードを始め、ブルス家の者たちは逃げることもかなわず、家ごとまとめて水没した。

 “天罰”という言葉がよく似合う、圧倒的な光景であった。

 この報告を聞いたジェシカは安堵したように「終わった」とつぶやく。


 ダリードが常々見せつけていた古の盟約書。

 あれは“半分”に過ぎず、もう半分はリウェール家が保管していた。

 そこにはこう書かれている。


『但し、川を独占しようとすれば、その家の者には滅びの罰を与える』


 合わせると「川を優先的に使用できるのはブルス家、但し独占しようとすれば滅ぼす」となる。

 おそらくは当時ブルス家とリウェール家の関係は非常に良好で、この盟約書は分けて保管することにしたのだろう。

 しかし、水源を押さえている形のブルス家はいつしか横柄になり、リウェール家をこき使うようになっていく。

 そして、ジェシカは決意する。

 ブルス家を終わらせると。


 ダリードの要求をはねのけ、彼が川を独占するように仕向ける。当然ジェシカたちは水不足に苦しむことになるが、その間は必死に耐える。

 そしてダムが完成し、独占が成り立った瞬間、ブルス家に罰が下った。

 盟約を破ったダリードは水神ワーテルの怒りに触れ、水の底に消えた。



***



 その後、ワーテル川は在りし日の姿を取り戻し、造られたダムは川の増水対策など機能を残しつつ存続することになった。

 ブルス伯爵領はダリードらがまとめて没したため、リウェール子爵領と合併することになった。

 それに伴い、リウェール家は伯爵位への昇格を認められる。

 領地が広大になったのだから、その方が都合がいいだろうとの王家の配慮であった。


 ジェシカ主導の元、ワーテル川周辺の地域は豊かになっていく。

 ダリードの領主としての腕が今一つだったこともあって、ブルス伯爵領の者たちからも不満は殆ど出なかった。

 以後、“リウェール伯爵領”は王国でも有数の領地として発展していくこととなる。


 水没したブルス家の跡地は追悼の意味を込めて「ブルス湖」と名付けられた。

 由来が由来なので、訪れる者は殆どないが――


 ガボ…… ゴボ…… ガボボ……


 近づくと、今でも水の底で何者かが溺れ、もがき苦しんでいるような音が聞こえてくるという。






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
題名と、題名の言葉を拝読したときにここからどうなるんだろうと惹きつけられました。ジェシカ様の覚悟が決まっていてダム完成時の姿に凄みがありました。 夏のホラー、楽しませていただきましたありがとうございま…
最後でファーwwブルスコァwwが頭から離れなくなった
人類にとって水資源の奪い合いはいつの世も争いの種だった。 この物語は水神ワーテルの怒りが鍵だったのですね。 ジェシカの慧眼と明君然とした行動が光ます。
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