第6話 〈土竜の一撃〉亭 4
相変わらずイオアンは、バルバドスたちに背を向けて、窓の外を眺めている。
バルバドスが声をかけた。
「イオアン様、聞いているか。やっと任務の内容が分かるぞ。まさか、昔の知り合いが教えてくれるとは思わなかったがな」
だが、イオアンは動かない。
バルバドスが、痺れを切らしたように繰り返した。
「どうした? 聞こえてるんだろ?」
「本当に、その若者は信用できるのか? お前は覚えてないんだろ? すべて作り話かもしれない」
「何を言ってるんだ。こいつの顔は覚えてないが、干潟の村の話は、俺の記憶と一致する。そもそも疑う理由がないだろ」
「タキトゥス家の罠かもしれない。もしくは、私への復讐を遂げるために送り込まれた刺客だとか」
「考え過ぎだ。いいから、ちょっとこいつの顔を見てみろって。絶対に刺客って顔じゃない。たしか、お前の村の名産は蟹だったよな?」
「はい。たくさんワタリガニが採れます」
「な? 年がら年中、蟹ばっかり採ってるような顔をしている。嘘なんかつける男じゃないんだよ」
イオアンはまだ背を向けている。
「では、ダヴィ君、任務の内容を説明してみてくれ」
「俺は詳しく知らないんです。これを渡すように命じられただけなので」
ダヴィは懐から封書を取り出すと、バルバドスに手渡した。バルバドスはその封書を、背を向けているイオアンの前に置いた。
イオアンは手元で隠すようにして封書を確かめた。
宛名などは一切ない。封蝋は確かに、総督府の監察長官の刻印がされている。封を開け、一枚の文書を取り出すと、イオアンは目を通した。すぐに読み終えると溜息をついて、文書を畳んでバルバドスに戻した。
「どうした?」
バルバドスが心配そうに尋ねた。
「イオアン様には、難しそうな任務なのか?」
「そうじゃない。私が期待されているのは、この程度ということなんだろう」
「で、何をするんだ?」
「人探しだ」
「やることがはっきりしていて、いいじゃないか。何が不満なんだ」
「もっと大きな仕事を任されるのかと思っていた」
「いったい、どんな仕事だよ」
「帝国を揺るがすような陰謀とか、古代都市の謎を解き明かすとか……」
「やめてくれ。そんな任務だったら何年もかかるぞ。イオアン様だって、早く戻りたいんだろ?」
「この仕事を終えたら……戻れると思うか?」
「さあ、それはどうかな? いまは小さい仕事をこなし、実績を積み上げていくしかないんじゃないか。そう簡単に許されるとは思えないし……」
「そうか。拍子抜けしたよ」
「それにだな」
「何だ?」
「背中を向けられると話しにくい。いい加減、顔を見せてくれ。もう、ダヴィのことを信用してもいいだろ」
仕方なくといった感じで、イオアンは振り向いた。
「あっ!」とダヴィが声をあげた。
「どうした?」とバルバドス。
「見たことがあります!」
「イオアン様をか? どこでだ?」
「モンサルゲントの路地を歩いているのを見ました」
「なんだ、ダヴィは会ってたんじゃないか。特徴を聞いてなかったのか?」
「教えられてはいました」
「でも、見分けられなかった?」
「背が高くて高貴な血筋のエルフの若者としか、教えられてなかったので……」
「まったく、その通りだろう」とイオアン。
「フードを被ってたので、エルフだとは判別できなかったんです」
「顔を隠していたのかよ。それじゃあ相手も見つけられんだろ」とバルバドス。
「注目を浴びたくなかったんだ」とイオアン。
「それに……」
とダヴィが申し訳なさそうに付け足した。
「とぼとぼと背中を丸めて歩いてたので、俺には、鉱山で鉛中毒にかかった冒険者に見えました」
「君はかなり失礼だな。私は寝不足だっただけだ」
「……すみません」
バルバドスが尋ねた。
「それで、誰を探すんだ?」
イオアンはダヴィを見ると、答えるのを躊躇った。
「ここで話すのは……どうかと思う」
「あの……」
とダヴィが申し出た。
「もし探しているのが、ゲインという少年のことでしたら、俺も聞いています。〈アクィアの堕天使〉の手伝いをしてたので」
「そうか、君はゲインのことを……」
とイオアンが訊き出そうとすると、バルバドスが嬉しそうに身を乗り出した。
「おお、〈アクィアの堕天使〉か! どんな女だ?」
「どんな女かと言われても……」
「美人か?」
「どうなんでしょう。ドワーフの美人の基準が、俺にはよく分からないので……」
「ドワーフなのか!」
「ええ。アクィア生まれだと聞いています」
「仕事はできる女か?」
「そうだと思います。ちょっと、いい加減なところもありますけど」
「ふむ。いちど会ってみたいものだな」
「その女の話は、もういいだろう」
とイオアンが話を戻した。
「ダヴィが、少年の捜索を手伝ったときのことを教えてくれ。まずゲインが、この町にいるというのは確かな情報なのか?」
「そこまでは〈堕天使〉さんが調べてました。モンサルゲントの鉱山に入っていく、それらしい二人組を門番が見ています」
「二人組?」
とバルバドスが訊いた。
「ゲインという少年は、ひとりじゃなかったということか? 連れがいたわけか」
「ええ、処刑人です」
「連れが処刑人! いったいどういうことだ?」
「そのことは、すでにここに書いてある」
とイオアンが密書を掲げた。
「私は、この密書に書かれていないことを知りたいんだ。ふたりが鉱山に入ったのはいつ頃になる?」
「二週間ほど前です」
「何のために、鉱山なんかに?」
「分かりません。〈堕天使〉さんも掴んでいなかったと思います。もしかしたら護衛の仕事かもしれません。モンサルゲントの鉱山では多いので」
「なるほど、この町でやたら冒険者を見かけるのはそのせいか……だが、二週間前だと、もう鉱山を出たかもしれないな」
「かもしれませんが、出たという話もないようです」
「その門番には会えるのか?」
「残念ながら数日前に、女の門番に代わってしまいました。〈堕天使〉さんが原因かもしれません」
「それはなぜだ?」
「最初の門番は、酒にだらしのない男で、〈堕天使〉さんは酒場に誘ったり、色仕掛けで情報を聞き出そうとしてました。それが新しい門番に代わってから、逆に捕まるかもしれないと、俺に仕事を押しつけていなくなったので……」
「当局に、ばれそうになったか……?」
とイオアンは首を傾げた。
「それで、いま〈堕天使〉がどこにいるか、君は知っているのか?」
「公爵領に戻ったんじゃないんですか? 俺のほうが教えてほしいぐらいです」
「密書に書いてないのか?」とバルバドスが訊いた。
「ここには書かれていない」
とイオアンが答えた。
「〈堕天使〉がいる前提で、私が任務を引き継ぐことになっている。密書が書かれた時点では、上手くやっていたんだ。だとしたら理解に苦しむのは……どうして私なんかを要請したのかだ」
イオアンは考えながら、密書の入った封筒を指でトントンと叩いた。
「〈堕天使〉なら独力でゲインを探せただろう。それなのに、まったく未経験の私をなぜ呼んだんだ?」