第4話 〈土竜の一撃〉亭 2
イオアンは、バルバドスの向かいに座ると、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
「私には、無理だ」
バルバドスは、窓の外を眺めた。
テーブルからは、モンサルゲントの町並みを見下ろせた。麓に小さく見える建物から、幾筋もの煙がたなびいている。おそらく、あれは鍛冶屋の集落だろう。澄んだ秋空には、羊雲も広がっている。
バルバドスは屈強なドワーフである。
三十過ぎに見えるが、頭は薄くなりかけているので、苦労をしているのかもしれない。派手な革鎧を纏っており、衛兵や兵士ではなく、冒険者か傭兵のように見える。足元に大きな鉄槌が立てかけてあった。
「やっぱり、私には無理だ」
テーブルに突っ伏したまま、イオアンが繰り返した。
仕方なくといった感じで、バルバドスが尋ねた。
「いったい、何が無理なんだ?」
「この町で探し回るのがだ」
「坂道ばかりだからな。いい運動にはなったろう」
「そうじゃない」
顔を上げたイオアンは、店内を見回した。
昼下がりの食堂には、気だるげにビールを飲んでいる冒険者たちが一組だけいる。離れているが、イオアンは声を落とした。
「住民たちが、ずっと私を見ているんだ。私がタタリオン家の人間であることに気づいているのだと思う。いつ、衛兵に通報されるんじゃないかと考えると、気が気ではなかった」
「まさか」
バルバドスは、また窓の外を眺めた。
「イオアン様が、エルフだから目についただけだ」
「そうならいいが……」
とイオアンは顔を曇らせた。
「違っていたらどうする? 私が捕まってからでは遅いのだぞ。そうでなくとも、外を歩き回っていると緊張し過ぎて、心臓に悪い」
「じゃあ、俺と代わるか?」
バルバドスが、イオアンに向き直った。
「だが、一日じゅうここに座って、密偵を待っているのは退屈だと、グチグチ言ってきたのは、イオアン様のほうなんだぞ」
「……それはそうだが、それで密偵は?」
「いまのところ、それらしい女は現れんな。そっちのほうはどうだ?」
「いや、いないと思う。〈アクィアの堕天使〉とかいう、ふざけた名前だけでは見つけようがない。叫んで回るわけにもいかないしな」
「予定通り、この宿で待つしかないだろう」
「ただ、おかしなものを見つけた」
「なんだ?」
「町じゅうで貼り紙を見かけた。アリシアという女への注意喚起の公布だ。ずいぶん危険な女らしい。バルバドスは見かけたか?」
「いや」
バルバドスは首を傾げた。
「昨日はなかったはずだ。お尋ね者か?」
「そうかもしれない。だが、不思議なのはアリシア『様』と書いてあったことだ」
「良家の娘が、家出でもしたか?」
「だったら、『一人で捕まえるのは危険です』なんて書かないだろ?」
「気が狂ってるのかもな」
「え?」
「イオアン様も気をつけてくれ」
バルバドスが真面目な顔で告げた。
「いつもみたいに興味本位で首を突っ込むなよ。いま俺たちに一番大事なことは、この町で目立たないことだ。どんな任務を密偵が持ってくるかは分からんが、それまでは大人しくしていてくれ」
「分かっているが……しかし、大丈夫だろうか?」
「何がだ?」
「わざわざ、この私にやらせるんだぞ」
とイオアンは声をひそめた。
「責任重大な任務だと思うが、初めての異国の地で、上手くやれるか自信がない」
「心配するな。公妃様だって分かっている。無理難題を押しつけることはないだろう。出来ることを、ひとつずつ実行していけばいい」
「そうだな……出来ることを、ひとつずつ」
「ああ、その調子だ」
「だが……」
「まだ、何かあるのか?」
「この宿に泊まって、もう三日目だぞ。いまだに〈アクィアの堕天使〉は現れない。何か、不測の事態でも起きたんじゃないのか?」
「かもしれんな。あり得ることだ」
バルバドスは、ぬるいビールを飲んだ。
「イグマスとはわけが違う。総督府の優秀な役人たちが回してるわけじゃない。ひと月ぐらい待つのは、覚悟しておいてくれ」
イオアンは溜息をついた。
「こんなところに、ひと月か……」
「俺はぜんぜん構わん。金はたっぷりある。ここで酒でも飲みながら、ゆっくり待ってりゃいい」
「やっぱり、バルバドスが外を回ったほうが……」
「しつこい」
「ドワーフのほうが目立たないのは事実だ」
「顔見知りに会うかもしれん」
「だが、十年以上前の話だろう?」
「そんな昔じゃない。アクィアを離れたのは七年前だ。しぶとい傭兵なら、まだ生きてるだろうさ」
「ここに傭兵はいない。いるのは冒険者だけだ」
「そのへんは曖昧だからな」
バルバドスは、食堂の客たちを眺めた。
「部隊にいられなくなって冒険者になる奴もいるし、そっちの生活に疲れて傭兵になる奴もいる。だが、どっちにしろ……」
店の主人が、暖かいスープとパンを、テーブルに持ってきた。イオアンとバルバドスは会話を中断し、食べ始めた。イオアンはげんなりした様子で、スープの中身をスプーンで掬い上げた。
「また、これか」
「蛙は嫌いか? 喜んでたじゃないか」
「最初はな。珍しかっただけだ。もういい加減、普通の肉を食べたい」
「蛙は普通だぞ。この町の名物なんだから」
「歩いていて、蛙がいそうなところなんてなかったけどな。この町は石ばかりだし、いったいどこから捕まえてくるんだ?」
「鉱山だよ」
「鉱山?」
「モンサルゲントの廃坑に棲息しているらしい」
「だ、大丈夫なのか?」
「何が?」
「鉱毒があったりするだろ」
「大丈夫さ。ここの住人たちは、昔から食べてきてるんだからな」
「ドワーフとエルフじゃ、消化できるものが違う」
「気にするなって」
しばらく無言で、スープを口に運んでいたイオアンが、また口を開いた。
「それで、さっきの話だが」
「またか」
「外を回るのに、お前のほうが適任なのは、私は……尾けられているからなんだ」
バルバドスが顔を上げた。
「そうなのか?」
「ああ、視線を感じる」
「誰か見たのか?」
「いや、とてもすばしっこい奴で、私が振り返ると、すぐに姿を隠すんだ」
「じゃあ、気のせいだろ」
「そうじゃない。私を追いかけてきている」
「だから、エルフだから目立つだけだ。イオアン様が、タタリオン家の人間だと分かるはずがない」
「本当にそう思うか?」
イオアンは、スプーンの蛙肉を見つめた。
「イグマスから追いかけてきた人間なら、私が誰だか分かるんじゃないか?」
「イグマスからだと?」
「あの事件で、私を恨みに思っている者がいてもおかしくない。家族が死んだとか。それで、私を逆恨みして……」
「仮に、そうだとしてもだ」
バルバドスは、スプーンを置いた。
「さすがに、ここまで追いかけては来んだろう。隣町ってわけじゃないんだ。タタリオン領を離れて、関所を通過し、治安の悪いアクィアまで追いかけにくるっていう、酔狂な奴がいるとは思えん」
「そうかな。それを考えると、夜も寝れないんだ」
「寝てだろ。俺が起こすまで、ぐっすりと」
「そうじゃなくて、寝つきが悪いと……」
「イオアン様……」
バルバドスが声をひそめた。
「顔を上げるな。俺たちを見ている奴がいる」