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かげろう日記  作者: 文張
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二日目 その三

 東西東西。

 ここで一つ、ある子狐の話といきましょう。

 狐の面をかぶり、少女に手を差し伸べるのは我らが獣組先代当主・狐。伸ばされた手を不思議そうに見るは、幼き日の現頭首・狐。数奇な運命をたどる二人の出会い。場所はある片田舎のあばらや。少女が生きていくのに必要な最低限の食料以外は、何日も人の手が触れていないように見える、はぐれ狐のすみかにて。


「おじさんだあれ?」

「俺と一緒に来て、正義の味方になろう。」

「せいぎのみかたってなあに?」

当時五歳の狐は小さく首をひねって見せた。

「悪い奴らをやっつけて、いい人を助ける人のことだ。」

「おじちゃんもそうなの?」

「ああ、もちろんだ。」

少女は少し考え込んだ後に、そっと口を開いた。

「せいぎのみかたになったら、みんなしあわせになる?」

男はつけていた狐面を手で軽く持ち上げると、まるで少女に顔を見られないようにするかのように空を仰いだ。その様子はまりで、目頭を押さえているようにも見えた。

「ああ。きっとな。」

独り言のようにそう言うと、少女と目線の高さを合わせるためにしゃがみ込む。

「ゆっくり、思い出せばいい。きっと、正義の味方でいれば、いいことがおこる。俺はある人からそう聞いたことがある。」

「なら、やりたい!」

少女は飛び跳ねながら答える。

「わたし。せいぎのみかたになる!」

そううれしそうに叫ぶ少女の首元には、明らかに何者かが応急処置をほどこした刀傷が残っていたのであった。


 続きますは、二匹の狐の最期の話。


 狐十四歳。個性的な忍び装束に澪包んだ彼女は、病で床に伏せる狐の横に控えていた。他の仲間たちも、彼の周りを囲むようにして容態を伺っている。

「子狐」

「はい。」

「お前は、狐の名を継ぐのにふさわしい人間に成長した。」

沈黙が社を包む。

「いやとは言わせん。お前は、この俺が鍛えた自慢の弟子だ。俺と同じじゃなくていい。お前はお前の狐でいいんだ。」

そう言うと、先代狐は病床から手を伸ばし、狐の頭に触れた。その手は、幾度となく彼女の頭をなでてきた手とは違う。たくましく、力強かったその手は、今や震え、枝のように細くなっている。頭から頬へ、そして頬からもゆっくりと離れるその手を追いかけるように狐の目から涙がこぼれ落ちた。

「お前は一人じゃない。仲間たちがいる。仲間を、お前を、守るために、お前にこの組を任せるんだ。明日は、お前が作るんだぞ。」

狐は震える声で

「はい。」

とだけ答えると肩を揺らしてむせび泣いた。その方をふくろうが抱く。

「ふくろう、熊、やもり、いもり。わかっているな。こいつを、頼んだぞ。」

先代狐は、狐にいったのと同じように、仲間たち全員に言葉を伝える。多くのものが涙に溺れた。それでも、みんな言葉を聞き遂げるとそれぞれに決意を固めたようだった。

「これからも、獣組をよろしくな。」

先代狐はゆっくり目を怖じた。まぶたの裏に映るのは今までの人生の走馬灯。

 つらいときもたくさんあった。苦しいときもあった。けれどそれ以上に、いいことがたくさんあった。

 出会った頃とは見違えるように強さを備えた狐。まだまだ未熟なところはあるが、仲間と補い合えば、きっと。いや、絶対頭として申し分ない力はある。大きくなったものだな。これなら、きっと、この子がいつかすべてを知ったとしても、大丈夫なはずだ。

「あいつのおかげか。」

あいつ、というのが誰のことを指すのか、その場にいたものは皆わからなかった。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかったのは明白だ。

「ありがとよ。」

そうして先代狐は眠るように息を引き取った。

 そしてこの瞬間、狐は獣組頭首になったのであった。

 先代は、彼女にとっての養父に当たる。しかし、狐は彼の臨終を見届けると静かに立ち上がった。先代が頭につけていた狐面を取ると、それを頭の横につける。しまっていた木戸を狐が勢いよく開けると、ぱんっ、という音とともに暗かった社内に光が差し込んだ。狐はその光を全身に受けるようにして、仲間たちに背を向けて立った。

 そこにあったのは、先代のような大きくて広い背中ではない。小柄で、まだまだ頼りない背中がそこにはあった。肩を小刻みに揺らしていた彼女は袖で顔を拭うと小さな声で言った。

「師匠、私はあなたのようになりたい。」

振り向いた狐の顔は、目元こそすれて赤くなっているものの、決意に満ちあふれているように見えた。

「ここに獣組頭首・狐あり!」

凜とした声で彼女は言った。

「皆、私に付いてこい。」


閑話休題。


 ふくろうが心配を押し殺しつつ頭を下げたその頃、狐もまた心配を胸の中に封じ込めるのに必死だった。もしもこの男の交渉がうまくいかなかったら?私は仲間を、自分を、守れるのか?

「嬢ちゃん、そう緊張するなって。」

まるで心を読んだかのようにそう言ったのはその男だった。人通りのある場所であるため笠をかぶっている狐は、笠の下から男をにらみつける。

「俺は別にお前の仲間に危害を加えるつもりは今も、これからもないから。目的を果たしたらすぐおさらばするよ。」

「貴様の言葉を、どこの誰が信じると思うんだ。」

「お前の師匠は信じてくれたっぽいが。」

狐はさらに唇をかんだ。こんな男の話、師匠から聞いたことがない。元から多くを語らない人ではあったが、これでは真偽の確かめようがなかった。

 男が交渉の場として設定したのは、どうやら知り合いの店らしい。それなりに大通りに面しているので、狐はなるべく顔を見られないように笠を押さえて、男の後をついて行く。

「俺は、陽炎。お前、名は?。」

「狐に決まってるだろ。」

「ちがう。本当の名だ。」

「それは、わからない。しらない。」

狐は声を低くしていった。

「私には、先代に会う前の記憶がない。家族のことも、どこで生まれたかも、何もかも覚えていないんだ。これで満足か。」

「へえ。」

陽炎は、何かを小声で言ったようだった。おそらく。

 そりゃあ、幸せだな。

「貴様今なんて言ったんだ。」

確かめようと思って言ったその時、狐の体が壁に打ち付けられた。陽炎が狐を建物の中に投げ込んだのだ。どうやら、目的地には着いたようだが......。

「痛てて。何をする!」

「お前、本当に一人じゃあだめなんだな。」

陽炎が舌なめずりをしたのを見て、狐は本能的な恐怖を感じた。にげようとしたが、何かに引っかかって思うように身動きがとれない。陽炎が、持っていた短刀で狐の着物の裾を壁に縫い付けたのだ。

「ひっ!」

昨日は否定したが、狐は刃物が怖い。小さいときから、なぜか刃物だけは怖かった。持つのは出来ないし、近づけられると今でも、腰が抜けてしまいそうになる。記憶がない頃に原因があるのだと思うが、それ故に克服も不可能なのであった。

「なに、するんだ!」

「お前はなぜ俺がお前一人をわざわざ連れてきたのかわからないのか?」

「取引、だろ。」

「まあ、それはそうなんだが、取引がどういうものかを知っているのかってことだ。俺みたいなうさんくさい男がお前みたいな若い女を連れ出して、紳士的に話し合いなんて、するわけがないって思っておいた方がいい。」

「どういうことだ。」

「俺みたいのに、のこのこついて行くべきじゃないってことだ。俺はそういうことをする気はないが、教育として、先代さんの代わりに少し教えてやろう。」

「は?貴様何を言って、むぐっ。」

陽炎の手が狐の口を覆う。狐は叫ぶが、ほとんど言葉にならない。

「ここの家主が帰ってくる前に、確認したいことがある。すまないが、取引はその後だ。」

「むぐぐ。」

陽炎は狐の後頭部に手を回すと、笠の下にまとめていた髪を下ろさせた。陽炎はその青い髪をなめ回すかのようにじっと見る。

「やっぱり。あいつと。」

「むぐっ?」

「すまない。もう一つだけ。」

陽炎は暴れる狐を押さえつけると、狐が着ている町娘風の着物の襟を軽く開く。感じたことのない恐怖に、狐がぎゅっと目をつぶったその時だった。

「こんな昼間っから不法侵入だけでなく未成年に手を出すとはいい度胸だな。」

この言葉とともに陽炎は狐から手を放して、ばっと両手を挙げた。


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