結 かげろうが揺れる家で
昔々あるところに、仲睦まじい夫婦と双子の兄弟が幸せに暮らしていましたとさ。
父親の振る木刀が風を切って音を出した。その隣では彼の息子が木の枝をまねをするように振っている。誰に教えられたわけでもないのに、少年の枝を振る腕は日に日に増している。いつかは自分がこいつに刀を教える日が来るのだろうか。そんな風に考えて、父親はため息をついた。
「ちちうえー!」
そう叫びながら駆け寄ってきたのは、彼の娘である。少女は父親の姿を捉えるやいなや、父親に抱きついた。彼は刀を振る動きを止め、娘と、そして息子の頭をなでる。心地よい風が指呼し強くなりかけていた日差しを和らげる。野に咲く花の香りが父親の鼻をくすぐった。本当に穏やかな日々だった。この日常を彼が手に入れた。
職も地位も己の正義も失い、それでも手に入れたいと願ったこの日常。その代償は大きい。そんなことは、はじめからわかっていた。いつかはこの手でそれを失わなければいけないことも、わかっている。それでもこの日常がほしかったのだ。ただ本当に、人として。ただ本当に、化け物として。
いつかはこの子達を殺さなくてはならない、否、殺したいと思ってしまう日が来るのだろう。せめてその日までは、こいつらの父親でいたい。そんな風に思ってしまう。
こんな父親で御免な。
それでもこんなのがお前らの父親なんだ。こんなのでも、お前達の父親なんだ。
だから俺はそれを、誇りに感じるよ。死ぬまでそれをほこりに思ったお前らを守りたいんだ。ずっとずっと、このままでいたいと思うんだ。
父親はもう一度、双子の頭をなでた。
「あなた!春夏!秋冬!お昼にするわよ!」
そう三人を呼ぶ母親の声がした。父親は娘を抱き上げ、息子の手を引いて母親のいる家へと帰る。ただでさえ人気のない場所だ。この暖かな景色を、この温かい毎日を味わえるのは、この家族しかいない。
家に近づくと、母親が珍しく家の外に出ていた。陽の光に弱く、月光にしか普段は亜足すことのない彼女が珍しく外に出ていたのだ。
「ただいま!」
「ただいまもどりました。」
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
母親はやさしく微笑んだ。
「外に出て、体の方は大丈夫なのか?」
「ええ。」
言うと母親はすこし不思議そうな顔をした。
「ん?なんだ?何かあったか?」
「いえ、たいしたことではないんです。」
母親は父親達が北方向とはまったく異なる方向を見ていた。
「あちらの方から笑い声が聞こえた気がしたんです。てっきり、あなたたちのものかと思ったんですけど、あなたたちはまったく違う方から帰ってきたので、すこし不思議で。」
父親もつられるようにお案じ咆哮を見た。
「迷い犬かなんかだろ。人の気配もねえし。でなきゃ、狐にでもつままれたんじゃねえか。」
「そうですよね。あなたが言うのなら、きっとそうなのでしょう。とても楽しそうな声だったので追記になってしまっただけなの。きっと山の獣たちがじゃれていた、だけね。」
母親はうれしそうにそう言うと家の中に入っていった。
「さあ、あなたたち、ご飯の用意を手伝って。」
「はーい!」
「はい。」
子供達は絡まるようにじゃれ合って家の中に入っていく。父親は念のため、笑い声がしたという方へ見廻りに向かった。
「ありえねえ、よな。」
近づいてみても人の気配はない。追手が来ていることも、まさかないだろう。
「あなた!ご飯ですよ!」
「ん、ああ。」
家に帰ろう。家族がいる、家族が待つ家へ。父親は子供達の笑い声を聞いてすこしうつろげな笑みを浮かべた。
家に入る前、父親はもう一度笑い声が聞こえたという方を見た。自分でもなぜそうしたのかはわからない。それでもなぜか、誰かを探していた。見慣れているその景色の中で、揺れては消え、消えては揺れる、かげろうのような何かをさがすように。
「気のせいだよな。」
自分が何を探しているかなんてわからないのに、それを見つけられないことがなぜかひどく寂しく感じた。まるで誰かに助けを求めている科のようだ。彼の腕がひとりでに動き、刀を引き抜いた。
この日常を『日常』のまま終わりたいのだ。
たとえ己という刀が折れても。
たとえ俺が死んだとしても。
おわりてえ?がらにもねえこと言うなよ。
そんな声が聞こえた。しかし声の主の姿は見えない。
終わりてえなら、俺が終わらせてやる。
だから。
死なないでくれ。
春夏と秋冬。この二つの名を背負った俺がてめえの刀を背負っててめえの前に現れるまで。
死ぬんじゃねえ。
私たちが助けてみせる。
貴様のなくした物を拾って追いかけていく。
私たちの正義を見せつけてやる。
だから。
笑ってくれ。
また会うその日まで。
父親は息を吐く。
守るための刀も、生きるための刀も、研いで待っていよう。さびて、もろくなるまで大切にするとするか。
陽炎は太陽にかざすようにして刀をあげ、その刃に映った己の姿を見ると満足げに刀を仕舞った。
「しょうがないな。」
陽炎は笑いを浮かべ、振り返ることもなく家の中に入る。
家の外には誰もいない。
ただこの家族の残像が、ゆらゆらと揺れている。二体のかげろうが家の前で揺れていた。
「笑え。」
「俺に」
「私に」
「届くまで!」
かげろう日記 完




