十五日目 その四
陽炎が初めてこの天守閣に来たのは、もうずっと昔のことだ。幕府の役人に引きずられてこの場所に来たときには、まだ彼には死神という異名はなかったのであった。
陽炎が座らせられたのは玉座の前である。彼の周りを囲むのは刀の腕に自信ありげな役人達。彼らは陽炎につながる縄をつかんで、周りに控えている。正直に言って、にげようとも思えばいつでもにげられる。だが、それをする気にはなれなかった。今から拷問でもされるのか、殺されるのか、どちらにしたってそれでもいいと思った。
この城の主が現れたのは数分後のことだった。彼の到来を告げる鈴が鳴ると、役人達は一気に頭を垂れる。陽炎も無理矢理肩をつかまれ、ひざまずかせられた。
「主が陽炎か?」
玉座に着いたその男は言った。顔を上げることも出来ない陽炎は、畳に向かって話かける。
「ああそうだ。」
陽炎のその言葉に、周囲の役人が騒ぎ立てる。将軍はおおらかにそれをなだめると、かっぷくのいいからだを上機嫌に揺らしながら口を開いた。
「主の刀の腕は相当らしいな。」
「まあ、お前を今すぐ殺せるぐらいにはな。」
「ほっほっほ。威勢がいいな、虚幻陽炎。噂通りの面白い奴だ。」
「んだ、将軍様よお、俺みてえな浪人になにかようかい?」
「まあそうことを急ぐではない。」
将軍はおかしそうにそう言った。
「話によりと、おぬしは人助けが趣味のようだな。」
「人助けじゃねえよ。あんなもん、無責任な自分勝手だ。」
「ほっほっほ。面白い。そういうことをあの娘は言っていたのか。」
「娘、だと?」
「あの娘を逃がすために捕まったらしいが、お主も無様よのう。」
「別に俺はあんなじゃじゃ馬を逃がすためにここに来たんじゃねえよ。」
「ほお?」
「あいつとの腐れ縁がきれんなら何でもよかったんだ。まあ、まさかお前さんのような奴と話すことになるとは思えなかったけど。」
陰る尾は言うと自嘲気味に笑った。
「でも、どうせ死ぬんならこういう酔狂も悪くねえか。」
「死ぬ?何を言っているんだ?」
将軍は言う。
「お主は殺すには惜しい人材だ。」
「へえ、お褒めいただき光栄ですが、お前、俺を買いかぶりすぎじゃあないか?」
「お主は、私のために働く気はないか?」
「ねえな。」
即答だった。
「俺は誰かの狗にもなんねえ。人は誰でも、ただでさえ自分の狗なんだから、他の奴の狗として利用されている暇なんてないんだよ。」
「ほお、ではこの私を助ける為であってもそんなことを言っていられるのか?」
「はあ?」
陽炎は素っ頓狂な声を上げる。
「お前を守ってくれる奴らなんて山ほどいるだろ。」
「お主出なければあの敵は倒せないのだ。この国を助けると思って、働いてほしいものだが。」
「国のため?はあ。大きく出たものだな。」
陽炎は鼻で笑って見せた。
「あんたからのこういうのって本来は喜ぶ者なんだろうけど、俺は御免だぜ。」
空気がすこし重くなった。将軍がやっと気分を損ねてくれたのかもしれないな、と陽炎はほくそ笑んだ。
しかし、予想は大きく外れていた。
「そうか。では、これでもだめか?」
将軍が意地悪く笑ったのが見なくてもわかった。
「私を狙っている奴というのはな、どうやら山賊の娘らしいんだ。相当腕が立つらしいし、狙われてはひとたまりもないだろう。お主には手始めにこいつを殺して貰おうと思ったが、やらないのならしょうがない。なんとかあの娘を説得して、お主の代わりとして私の狗として、働いて貰わないといけないな。」
「やめろ。」
陽炎が、うめいた。
「俺がやってやるよ。」
「ほう?」
「あんなじゃじゃ馬にお前の狗なんて大役務まるかよ。」
その時だった。
「あんたこそ、そんな大層なお役目できんのかい?」
その声は、陽炎にとってはききなじみのある者だった。声の出所は自分の背後であったが、それでも陽炎はなんとかそちらに目をやる。
「そのものが私を殺そうとしてくるのだ。」
「何でここにいるんだよ。」
少女は機嫌の悪さを前面に出して役人の間に座り込んでいた。
「似ればわかるだろ。捕まった。」
「ありえねえだろ。」
「あんたがいなくなって油断した。」
「油断すんなよ。」
鳴神は笑った。
「アタシならともかくあんたに殺し屋はむりだよ。」
相変わらずふてぶてしく鳴神はそう断言する。
「あんたが幾ら自分の為と言っても、あんたの殺しの動機はいつでも誰かを救うためだ。でも、あんたが今からしようとしてるのは、仕事としての仕事だよ。殺しの先には何にもない殺しさ。それを続けてればどうなるかなんて、アタシを見ればわかるだろ?」
「人を殺すのに違いなんてねえよ。殺しの対価はいつだって優越感。それだけだ。」
「はあ。」
鳴神は大きなため息をつく。
「じゃああんたはなんでアタシを連れ出したんだ。」
「助けるに決まってんだろ、お前みたいな奴のことは。」
「それはなぜ。」
鳴神が訊いた。
「アタシを哀れんだからだろ。今思うと、アタシは別にあそこで大して不幸だとも思っていなかったんだ。だから、あんたに助けられたという気もあんまりしてなかった。むしろ、よくも仲間を殺したなって怨んでいたぐらいだ。アンタは私の家族を殺してどう思った?後悔、哀れみ、罪悪感、そんなところだろ。」
じゃ下郎は何も答えない。
「アタシはそうは思わないよ。アタシだったら何も思えないはずだ。アタシみたいな、人を殺しても何も思えないような死神になってしまったらもう終わりさ。楽しい、なんて思ってしまったらもう手遅れ。それはもう化け物だろ?」
「じゃあ、俺はもう化け物だな。」
陽炎が言った。鳴神が何かを叫んでいる。それでも、その言葉は彼には届かなかった。
「なあ、その役目引き受けるのはいいが一つ条件がある。」
陽炎はにやりと笑った。
「俺がお前の狗になる代わりにこいつに普通の幸せをくれてやれねえか?人並みに衣食住がそろっていて、人並みに平和で、人並みに不幸な、こいつが退屈がりそうなそんな毎日をあいつにくれてやると約束しろ。そうすりゃあ退屈にやられて、こいつもちっとはおとなしくなるだろうからよ。」
ならば俺は名目だけでも守る為の刀を振りたい。それがたとえ生きるための刀であっても、俺はただ、こいつをあっ盛りたい。
こんなことでこいつを助けられるのかはわからない。そもそもこいつにとっての救いがないんであるかなんて俺にはわからない。それでも、たとえ見当違いでとしても、俺はこいつの為に人を殺してもかまわない、おれはあの日そう思ったんだ。
そう純粋に思ったはずだったのだ。
俺は一体どこで道を間違えてしまったのだろうか。いや、俺は多分道なんて間違えていない。そもそも、分かれ道なんて存在していなかったではないか。分かれ道をあえて作らないようにしてここまで来たのではなかったか。選択の余地なんて会ったことはなかったように思う。
今までの選択の理由も、選択した未来も、俺は航海なんてしていない。理由なんて小野は見つけるものでも、探すものでも、まして考えるようなものではない。
理由はこじつけるものだ。
未来は言い張るものだ。
もう一人の自分を作り出したのだって、そうしないという選択肢はなかったはずだ。
将軍が忠誠の証として陽炎に与えた刀は実際のところなんの為の刀だったのかわからない。人を守るための刀だったのか、人を生かすための刀だったのか。
「どっちでもないよ。」
そう言ったのは、いつしか存在していたもう一人の陽炎。
「その刀をどうするか決めるのは僕ら次第だった。」
彼は陽炎の影としてこじつけの結果生まれた存在。
「僕が君の生きるための刀。だから君は僕の守るための刀だ。」
死神と、そう呼ばれる化け物は笑う。
「僕は思う存分人を殺した。思うままに、欲望のままに、殺しに忠実だった。僕は君が行き続ける限り、君の中で大きく鳴り続けるだろう。人間はこじつけるのが好きな生き物だ。人助けを自分の為と言い張って、その手を血に染めてきた君ならもってのほかだ。君はきっといつか、僕こそが本当の『陽炎』だとこじつけるようになる。でもね、それが誰も望んでいないことだって君もわかっているんだろ。君には守りたいものがたくさんある。だからもしも、万が一、いや、絶対、僕がその人達を殺そうとしたときは、君は守るための刀を振ることだろう。だから。」
彼はいつの間にかそこにあった夜空のような暗闇を見上げた。今日の月は、どんな月だろうか。
「その時が来たら、僕は君を、君は僕を、殺すんだ。」
それは、いつの日か彼が言い放った未来。
「生きるための刀を折れるのは、守るための刀だけだ。」
そこにいたのは、紛れもない『陽炎』だった。彼は狐に向けられていた死神の刀の動きをとめると、その刀を下ろさせ、そして笑った。
「やっと本物の正義の味方様のご登場か。」
死神が言う。
「ああ。待たせたな。」
陽炎が答えた。
「僕らはさ、ずっと孤独だったよね。強すぎるが故の孤独って奴。僕たちはずっと誰かの刀だったから、大切な人も、家族も、すべてを斬って孤独で居続けた。他の奴を、いや、自分自身を守るためにはそうしていることが必要だと考えた。」
「おい、一丁前に一人語りか?」
「いいでしょ、別に。悪者って言うのは最後に一人語りをするものだよ。」
死神はおどけて見せた。
「一人でいることは、僕たちの強みであるはずだった。でもねえ。」
「どうやら俺たちはそんなことも出来ていなかったようだ。俺たちを助けようとする馬鹿は思っていたよりも多くいたみてえだ。」
「最強であるはずの僕らが同情されるだなんてね。やきが回ったってことかな?」
「いいや、ただ年取ってじじいになったってことだろ?」
今夜、月が出ていたらいいのに、と二人は思う。
まあでも、それでもいい。
初戦闇の中で暮らしていた人間だ。光の中で死にたいだなんて今更願うまい。
「あの子にとどめを任せる気だったんじゃないの?僕はてっきり、あの子にいつか殺して貰うために刀を教えたのかと思っていたよ。」
「最初はそうだったんだけどな。でも、多分、本当は血が手痛んだ。本当は……。」
陽炎はすこし言いよどむ。
「本当は俺を守って貰うためなんだ。お前を殺すのも、俺を殺すのも、俺。だから俺はおちおち他人に殺されたってしょうがねえんだ。俺を殺そうとするあまり、他の敵を排除してくれるような。それでもって俺を殺せないような人間が必要だった。」
娘には、人を殺せない呪いをかけた。
息子には、陽炎を守るよう呪いをかけた。
「俺はそういう人間だ。」
「正義の味方の風上にも置けないような発言だね。」
「いいんだ。こんな俺たちを助けようとする馬鹿どもに巡り会っちまった時点で。」
「生きるための刀も。」
「守るための刀も。」
二人は、二人で一人。
二人は、二人で一本。
「とうの昔に、折れちまってるんだから。」
血が、こぼれ落ちた。
彼が生きていた証が畳の上に広がった。
「あっ。」
倒れゆく陽炎を狐が支える。つい数秒前まで狐の首元に向けられていた刀は、今は陽炎の胸に深く突き刺さっている。彼は己の手で己の心臓を貫いたのだ。狐も四季も驚きはしなかった。こうなることはわかっていた。それでも……。
「ありがとな……こんな俺の……近くにいてくれて……。」
狐の涙が陽炎の頬に落ちる。何も言うことが出来ない狐の代わりに口を開いたのは四季だった。
「らしくねえこと言うなよ、親父。」
陽炎は微笑んだ。手を伸ばし、狐の頭に触れる。
「水の……月……。」
陽炎の瞳には、彼を見て笑う水の月の姿が映っていた。
水の月、御免な。
今日も月は出てねえよ。
でも。
きっとまた陽は昇るよな。
陽が昇って、陽が暮れて、月日が流れてきっともうすぐきれいな満月が昇る。
だから、また一緒に見よう。お前と見る満月は特別きれいなんだ。
そうやってお前と一緒に満月を見られたら、俺はきっと思うんだ。
楽しかったぜ、こんな人生も。
そんなふうに。
陽炎の姿はいつの間にか消えていた。
血も、未練も、何も残さずに、彼はただ、存在していたというその事実のみを残してこの世を去った。
朧はかつて言った。
「あいつが死んだのは、処刑されたからではない。あいつは、己の手で、己の心臓を突き刺して、一人で死んだんだ。」
夜は明け始まる。
夜の暗闇をかき消すように明るい朝日が差し込んだ。ふくろうを、熊を、いもりを、やもりを照らしながら。局長を、隊長を照らしながら。狐を照らしながら。四季をお照らしながら。鳴神を照らしながら。いい奴にも、悪い奴にも、一人を除いて、全員を照らすように、光が差した。
崩れ落ち座り込んだままの狐をおいて、四季は刀を杖に立ち上がる。窓の前に立つと、眼下に広がる江戸の町を見下ろした。もしかするとそれよりももっと遠く、その先にある何かを見ていたのかもしれない。
しばらくすると、狐も黙って四季の隣に立った。目からあふれ出る涙は止まらなかったが、それでも彼女の頭にやさしく置かれた温かい手は、ほんの少し、彼女の口元を弱めた。
それと同時に、四季の刀が畳の上に落ちる。彼女の隣にあった大きな影が後方に倒れていくことに気がついた。四季はそのまま畳の上に倒れる。
「おいおい、しっかりしろよ。」
狐はいつも通り、四季を馬鹿にするような口調で言った。
「俺のことは、支えてくれねえのかよ。」
「当たり前だ。私と決闘して貴様が負けるまでは、ご褒美の膝枕はお預けだ。」
四季は仰向けになったまま力なく笑う。
「俺が起きるまで江戸の町はてめえに任せるからな。」
「言われなくても、最初から江戸を守っているのはこの私だ。貴様が江戸の風紀を乱さない間は、この町も退屈なほどに平和だろうよ。」
「はいはい、そうですか。」
四季は静間に目を閉じた。
「俺の唯一の楽しみ邪魔するなよ。」
「貴様ってほんと、寂しい奴だな。」
狐は言うと、在りし日の母のように四季の横に膝をつきその頭に手を伸ばした。
「おやすみ。」
「おやすみ。」
四季は言って思う。
母様の方がなで方はやさしかったな。




