二日目 その一
見廻り組隊長、幕府お抱えの護衛組織の隊長には長年の悩みがあった。それは役職上では彼の直属の部下にあたる虚幻四季の存在である。
現在、隊長は見廻り隊の長たる局長から四季への言付けを預かっている。今日は四季は正門の警護にまわしたはずだが、いない。昨晩勝手に持ち場から離れたことをあんなに叱ったのに、もうサボっているようだった。
「おい、副長を知らないか?」
見回り組の部下たちに訊いても少し来てすぐにどこかへ消えて行ってしまったという。本当に世話のかかる部下だ。今日も、狐がいた、とでも言うのだろうか。城下のこそ泥なんて、本来は見廻り組の管轄外のはずなんだが。
「そうか、じゃあすまないけど、副長の分まで頼む。」
「はいっ。」
まだ朝焼けが残る空。隊長はそれを仰ぐと大きくため息をついた。
四季は役職上は彼の部下に当たる。しかし、実際には彼は自分よりも遙かに年下であるにもかかわらず、剣術も遙か上、頭脳明晰で容姿端麗。彼こそ、隊長にふさわしい才能を持っているのだと本気で思う。しかし、彼が隊長という役職でないのは、彼の不真面目な勤務態度と絶望的なまでの仲間への信頼感の欠如のせいであった。確かに、一人で敵と戦える技術はある。だが、彼は一応見廻り組の隊士。隊士としての自覚が認められないと、腕を買われて一応所属は許されているものの、高い役職が彼に与えられることはなかった。本人はそんなこと毛ほども気にしていないようだが、気にするのはこっちである。勤務態度の真面目さが評価され隊長となった身としては、才能あふれる部下の扱いになんとも困ってしまうのであった。
「いた。」
四季は狐が出ていなくても、不要と思えば余裕で仕事をさぼる。そんなとき、彼には決まっている場所があった。城の周りに巡らされた堀と塀。そのうちでも特に人が立ち寄らない場所の塀に寄りかかって、彼は昼寝をしているのがほとんどだ。
「副長!」
呼ぶと、彼はほんの少し頭を上げ隊長の姿を確認すると何にも見なかったかのようにまた頭を下げた。
「寝るな!」
「ったく。うるせえな。」
四季は目を開けすらせずにうなる。
「うるせえな、じゃないですよ!何でまたそぼってるんですか。私昨日言いましたよね、ちゃんと仕事しろって、あなたの役目を忘れるなって。」
「城下で取り逃がした狐がここに潜り込むかもしんねえ。だから、その芽を摘んどくために狐をこの俺が捕まえることにした、以上。」
四季の答えはひどく棒読みで、同じことを昨晩何度言われたことか。心からそう思っているならともかく、明らかにこれは用意した原稿だ。ずっと同じ隊士として暮らしてきたからわかる。この人は、そんなたいそうなことは思っていない。そして今、その話は関係がない。
「昨晩は、そうですか。でも、今、どうして正門にいないんですか。ここに、狐でもいたんですか。」
「ああ、まあ、そんなとこ。」
四季は適当に返す。普通に嘘ついた、この人。
「サボるのもいい加減にしてください。あなたは今首の皮一枚つながって隊士でいられているんですよ。いい加減しっかりしないと、容赦なく除隊させられますよ。」
「ないない。だって、お上も俺を敵に回したくねえもん。この俺を、監視下において手放すわけがねえ。じじいが俺をここに入れたのもそのためっていうのもあったんだろうし。」
「それは……とにかく、副長がこのざまじゃあ、ほかの隊士に示しが付きません。」
「はいはい、わかりましたよ、お母さん。」
「あなたね。」
「それで、何か用ですかい。なんも用ねえのに俺と遊んでんなら、隊長さんも俺と同類ってことになりやすが。」
「遊んだつもりはないですが。」
隊長は諦めて局長からの言伝てを四季に伝える。
「局長から、部屋に来るように、だそうです。」
「へえ、そりゃああついお誘いだ。今夜は狐追っかけるから相手は出来ねえっていっとけ。」
「はあ。あのですね、ふざけるのもいい加減にしてください。今すぐに、来いだそうです。もちろん私も一緒に。話したいことがあるそうです。内容まではまだ聞いていませんが、副長、何やらかしたんですか。」
「しらねえ。隊長様が仕事サボったとかじゃ
ねえの。」
「その言葉、そっくりそのままあなたにお返しします。もしかしたら、あなたの除隊勧告かも。」
「そりゃねえな。」
「とにかく、行きましょう。局長の命令だけは守ることは、あなたにも染みついているでしょうから。」
「まあな。じじいのせいで、な。」
「それ言ったら、殺されますよ。」
「今いねえし、別にいいだろ。」
いつの間にか四季は隊長の背後にいた。待つこともせず、屯所のほうへ歩き出している。
本当に困った部下を持ってしまった。
考えるだけでため息が止まらない隊長なのであった。
見廻り組という組織が結成されたのは遙か昔、今の将軍様の先々代の頃らしい。その長い歴史の中でも特に名を刻んでいるのは、見廻り組、前局長であり、四季の育ての親に当たる人物である。とても厳しい人であって、こんなにもていたらく名四季に剣術を教え、世間で生きるための最低限知識と秩序を教え込んだのも彼だ。教える、というより、体に刻み込む教え方だったためか、彼が沙汰後も『局長』の言うことにはとりあえずは従った様に見せた方がいいらしいぐらいの教養は四季も持ち合わせているようだった。
「副長、絶対今日昨日のあなたの行動についての話なので、念のため、狐っていう奴のことについて聞いておいてもいいですか。真面目な話、本当にここに侵入しそうなら手は打たないといけませんし。」
四季の後ろを歩く隊長が言う。
「だから、手はもう俺が打ってるっての。」
四季は面倒くさそうにそう言ったが心なしか声が弾んでいる。本当に狐が好きだな、この人。
「狐って言うのはまさか本当に獣の狐とか化け狐とかじゃないんですよね。」
「なわけねえだろ。ガキじゃねえんだから。人間だ。大盗賊なんざあ、言われちゃあいるが、どうやらガキ見てえだし。」
「そうなんですか?」
昨日はそんな報告なかったが。この人の気まぐれには本当に手を焼かされる。
「ああ間違いねえ。昨日初めて、あいつの声を聞いたんだ。あいつは、女だ。それも、俺と同じか、下の。それに、腰に柄物をつけちゃあいるが、いざ握らせてみたら、まるでなってねえ。そこら辺のガキ以下だったし、あれは素人だ。」
「だったらなおさら、奉行所にでも頼んでおけばいいじゃないですか。副長がわざわざ無駄骨を折りに行く相手なんですか、それ。」
隊長は皮肉たっぷりにそういった。
「甘いな、甘い。」
四季は楽しそうに答える。
「第一に、狐は逃げ足がはええ。あれに追いつけるのは俺ぐらいしかいねえだろうな。」
「だとしても、奉行所総出でかかればどうにかなるでしょう。待ち伏せしたり、あとは、逃げ足が速いなら、盗みを働いているその瞬間や前に捕まえればいいじゃないですか。」
「第二に、狐には大勢の仲間がいる。やっかいなのは、そこだ。それぞれに得意分野があるみてえで、俺調べだと参謀、手引き、情報収集、あと武闘派の奴らがいて、そいつらが狐が盗みをはたらくのを助けてるみてえだ。連携はまさに神業、幹部の面が、ふくろう、やもり、いもり、熊、そして狐ってとこまではいったんだが、まだ狐しか目視できていないない。」
言っているそばから四季の顔がにやついてしょうがない。完全に、獲物を前にして喜ぶ獣だ。
「それだけの情報を持っているなら、奉行所にも教えてあげたらいいじゃないですか。あなたのことだから、どうせ隠しているのでしょうけど、その情報を教えたらきっと彼らだってもっと有益な捜査ができるはずなのに。」
「第三に、あれは俺の獲物だ。ほかの奴に譲る気持ちは全くない。」
出たよ。聞きましたよ、これ昨日からもう何回も。わかっている。この人がここまで狐にこだわる理由は、単に面白そうだからだ。基本的に何でも出来てしまう彼にとって、手に入れることが難しい獲物であるほど、やる気が出るのだろう。この人は、そういう性格だ。
狐については十分すぎるほどわかったので、これ以上部下のゆがんだ性格を見たくもないので、隊長は話題をそらす。
「狐についてはよくわかりました。で、聞いてて思ったんですけど、昨日副長が出会ったって言うあの男、あいつもかなりの不審者じゃないですか?」
露骨に話題をそらされて四季はあからさまに不機嫌だが、ぶっきらぼうに、
「そうか?俺からすれば、狐を放っておいていいっていう奴の方がよほど変な奴だと思うが。」
と返す。
「いや、普通、屋根の上なんて登れないんですよ。ましてその人酔ってたんでしょ。足もふらふらじゃあ、そんなこと不可能だと思いますけど。」
四季と狐の一騎打ちに割って入った男。ただ者じゃない気がしてならないと、おそらく、四季以外の隊士は思うだろう。かなりの警戒対象だ。
「まあ、てめえほどじゃないにしても、変な奴って言えば変な奴だな。屋根ぐらい、誰でも登れると思うが、この俺の目を盗んで消えやがったのには、少し腹が立ったな。殺気とかもなかったし、あっちに悪意も感じられなかったから無害認定したけど、正直、大きな魚を逃しちまった感じは拭えない。」
「やっぱり。」
あ、でも、と副長はくれぐれも釘を刺すように続ける。
「いくら気になるからって、また単身でそいつを調べに行かないでくださいよ。狐はともかく、その男は単に身体能力が高い酔っ払いかもしれないんですから。」
「わかってますよ、隊長様。それに、今の俺は狐一筋でほかのことにかまっている暇ねえし。」
「そこは上様一筋にお願いですからなってほしいと頃なんですけどね。」
そんな話をしていると、局長の部屋の前に着いた。
「副長。」
「あ?」
「今更ですけど、もう一度聞きます。本当に、何しでかしたんですか。あなたは才能もある。場合によっては、かばってあげてもいいと思っています。」
「だから、しらねえって。」
四季は面倒そうに言った。
「お前こそ、仕事さぼったんじゃねえの。もしくは、寝ている局長の顔に落書きしたとか。」
「それはどちらも、あなたがやったことですよね!知ってますか!顔に付いた墨って、時間がたつと落としにくいんですよ!よりにもよって大切な会合の前にあんなことして。」
「局長も言ってただろ。あれは、局長が寝ている隙に落書きされるほど油断してたのが悪かったって。」
局長はなぜか四季に甘い。理由は多分、元から心優しい性格なのと、最年少の四季を息子の様に見ている節があるからだと思う。四季の職務怠慢の原因も、一割くらいは彼の甘やかしなのだろう。それに、言っていることは絶妙に正しいのがまたたちが悪い。確かに、四季ほどの実力者ならば、日本一の忍びであっても彼に気がつかれずに落書きをするのは不可能だろう。まして、そんな彼に忍び込まれては、気づきようがないというのもまた事実なんのだが。
「相変わらずの四角四面だなあ。仕事しすぎで、いつもと同じくらいおかしくなってんじゃねえの。」
「あなたにだけは言われたくないですね。万年職務怠慢のあなたには。」
隊長はため息をつき、副長の方が笑う。それがいつもの二人の光景だ。
「とまあそういうわけで、ここでうじうじ考えてても仕方がねえんだ。だから」
ここまで言うと、四季はなぜか隊長に先に入るよう促す。隊長はそれに従った。一瞬、やっと上司を敬う気遣いが出来るようになったのかと感心したが、どうやら違うらしい。にっこりと悪魔の笑みを浮かべている。
「何を」
企んでいるんですか、そう隊長が続けようとしたそのときだった。勢いよく障子が開き、中から竹刀が飛び出してくる。
「こら、四季!また勝手に抜け出しただろ!」
「痛ってえ~。」
竹刀を避けきれなかった隊長は思いきり打たれた頭を抱えうずくまる。
「おい、なんでお前が。四季の気配がしたのに。すまん。大丈夫か?」
局長は戸惑いつつも優しく訊く。
「いえ。お気になさらず。避けられるように精進します。」
局長はこんなことをされても憎めないほどに人がいい。それこそ、実力のほかに彼が局長を務める大きな理由であった。
「で、四季は?」
「今までここにいたんですけど、一体どこに。」
「ばあ!」
突然屋根の裾から四季の顔がのぞいた。
「わあ!い、いつの間に!」
「四季、ふざけてないで早く降りてこい。今日は大事な話があって読んだんだから。」
「へいへい。」
四季は刀の腕こそ年齢以上だが、時に幼稚なところがあるのだと、隊長は改めて実感したのであった。
その後、おとなしく降りて部屋に入ってきたと思ったら、そのままおとなしく壁にもたれかかって目をつぶってしまった一名はそのままに、残る二人は向かい合うようにして座った。ちなみに、四季の態度については、どんな姿勢でもいいから話だけは聞けと局長がかつて言ったらしいので、おとがめなしとなっている。
「今日呼んだのは、ほかでもない、これについて訊くためだ。」
そう言って隊長が懐から出したのは、四季の除隊通達、ではなく一通の封筒のようだった。隊長がそれを受け取ってよく見ると、小さく『見廻り組副長へ』と宛名が書かれていた。
「今朝、日の出前ごろ、一人の男がこれを屯所に置きに来たそうだ。」
屯所に入るにはまず城の中に入る必要がある。しかし、場内には門で許可を得た物だけが入れる決まりになっており、普通の人間では通ることは不可能だと言っていい。
「これを持ってきた奴って言うのは。」
「目撃した隊士によると、歳は二、三十代ってところで、刀を差していたらしい。見覚えのない男で、特にどこかの役人って身なりでもなく普通の奴に見えたそうだ。もちろん、ここに侵入してきたことと、追いかけた隊士を撒いて消えるほどの能力を持つことを除いてだがな。」
いかにも普通だが実は超人じみた身体能力を持った男、隊長はそれに聞き覚えがあった。反射的に四季の方を見ると、四季はやはりゆっくりと口角を上げた。
「なんだ四季、知っているのか、そいつが何者か。」
「いいや。知りやせん。見当も付かねえでさあ。」
しらばっくれたな。
隊長はじとっとした目で四季を見るが、代わりに、例の男について口に出すのはやめた。四季の実力はなんだかんだいって認めている。その四季がいま、多分、例の男を面白そうな獲物と認知した。今の答えは、俺の獲物に手を出すなという明確な牽制だ。狐についてもそうだが、この人は一度決めた獲物は他を蹴り落としてでも手に入れようとする。そんなのに首を突っ込ませるとほかの隊士が危ない。隊長は長年の経験則からそう判断するのであった。
「中身はなんて?将軍様を暗殺するとでも?」
おそらく、そうであればかなり容易に排除対象として男が認められ討伐しやすくなるからそう言ったのだろうが、期待は大きく外れた。
「『影暗一門は将軍暗殺をもくろんでいる。』」
隊長が中に入っていた手紙を読み上げた。もちろん、差出人の名は不明だ。
「影暗一門というと、そうだな。かなりよくない噂が立っている家門ではある。」
「きたねえ金が動いてるって話題の、大富豪様か。いかにも狐が入り込みそうだ。」
「狐?」
「いやあ。こっちの話でさあ。」
四季はおかしそうに笑った。
「いくら情報源は怪しいとはいえ、無視は出来ない情報源ですね。」
「ああ、そうなんだ。でも、四季に面識がないことも確認できたし、少し大規模に探りを入れてみようと思う。その男についても、影暗一門についても。」
「そうですね。それでは早速、計画を立てましょうか。」
隊長のこの言葉を聞くとおもむろに四季が立ち上がった。部屋から出て行く気だ。
「おい、四季。どこに行く気だ。作戦立てるぞ。」
「俺は団体行動は苦手なんで、そういうのは苦手なんですよ。だから、お上の御身に何かある前に、少しでも早く探りを入れ始めようかなって。」
「それはいい心がけだし、お前がこういうのに向かないのはそうだから強要はしないが、でも四季、今回は捜査隊を派遣するからお前が城下に行く必要はないぞ。」
「そうですか。じゃあ、おとなしくこの城でも守りに行ってきましょうかね。」
「ああ、頼む。ほかの隊士の様子も見てきてくれ。」
「はーい。」
四季は部屋を後にする。
甘すぎる。
隊長はもはや諦めて引き留めることもしなかった。あの人は、絶対に持ち場に戻る気なんてない。
そして実際、この日のうちに、呼吸をするのと同じくらい簡単に、四季は城を抜け出すのであった。