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かげろう日記  作者: 文張
39/42

十五日目 その三

「なあ、てめえ、どういうつもりだ?」

「何がだ?」

狐はとぼけてみせる。

「大好きなお仲間さん達を他人のところにやっちめってよかったのかって言ってんだ。」

江戸城に入る直前、狐は熊たちにふくろうと合流するように言った。私は大丈夫だ、そういつも通り笑っていう狐の姿を指揮はただ黙って見守っていた。

「大丈夫だ、心配はいらない。私があいつらにそう言ったのが聞こえなかったのか?」

「その上で聞いてんだろ。」

「はあ。」

狐は大げさにため息をついて見せた。

「貴様にはわかる毎夜。仲間のいない貴様にはな。」

「ああ、そうかい。」

四季はそう言ったものの、すこし考えるように顎に手をあてた。

「てめえ、怖くはねえのか?」

「怖いだと?」

「馬鹿で、弱虫で、弱虫なてめえは仲間が動機じゃなきゃ死神のことなんて怖き手にげちまいそうなものだが。」

「おいきさま、なぜ弱虫と二回言ったんだ?そんなわけないだろ。そういう貴様こそどうなんだ?本当は怖くて怖くてちびっているんじゃないだろうな。」

「どうも光も、俺は別、なんともねえよ。別に面白いことも起こらなそうだし。」

すると狐は少し驚いた様な顔を四季に向けた。

「意外だなあ。貴様なら、面白そうだ、とかなんとか言って刀を振り回しそうだが。」

「心外だ。俺の印象どうなってんだよ。あいつと斬り合うぐらいなら、てめえをからかっていた方がずっとおもしれえよ。」

「気持ち悪いことを言うな。ふざけている場合か。」

「はいはい、そうですね。」

四季は棒読みで答えた。

「んで、本当のところてめえはどうなんだよ。」

狐はすぐには答えなかった。それでもすこしすると、真剣な顔をしていった。

「怖い。」

「へえ。」

「貴様と二人きりでいると、何をされるかわからないからな。」

「なるほどな、っておい。」

狐はまっすぐな目をして笑う。

「真面目な話。怖いんだ。父とは言え、貴様の腕をつかえなくした奴が相手じゃあ、怖いに決まっているだろ。私だって死にたくない。まして、貴様ともろともなんて御免だ。死んで一人になるのはもっと嫌だ。正直に言うと、殺気から震えが来ている。足もまともに力が入らないし、これではまともに戦えないような気もしてきた。」

「おい。俺をあんまり当てにすんなよ。いめてめえが解放してんのは他でもねえ、この俺なんだぞ。」

「しっかりしろよ。長男だろ?」

「都合のいいときだけ妹ぶるな。」

狐は四季を見上げた。

「でもな、こんな風に役立たずで意地悪ばかりしてくる兄でも、いてくれるから私は一人ではない。たとえそれが変態であっても、誰かがいてくれることは心強いことだ。」

「てめえ、馬鹿にするか褒めるかどっちかにしろって。」

「貴様がいるから、私は弱いところを見せるわけにはいかない。貴様もそれは同じだろ。」

「まったく、変わんねえな、本当。」

四季は独り言のようにそうつぶやいた。

「つまり、危険だから、仲間をおいてきたと。」

「は?何わかったかのような口をきいているんだ。」

「違うのか?本当に危険なところに仲間は連れて行かねえ。仲間を危険にはさらしたくねえし、自分の弱いところも見せたくないから。そういうわけじゃあないんですかい?」

その言葉を聞いた狐は思い切り四季を蹴り飛ばした。

「いだっ。なんだよ、急に。こっちはけが人だぞ。」

「馬鹿だな、貴様は。危険なところに一緒に行きたいと、そう思える相手が真の仲間なんだろうが。」

「はっ。」

なんだよ、と四季はつい笑みをこぼした。

「ほら、そろそろ一人で歩け。いつまで妹に甘えるつもりだ、お兄ちゃん。」

狐は四季を突き放した。

「いいだろ、あとちょっと。てめえに合法的にくっつける貴重な機会なのに。」

「だ、か、ら、貴様はそういう所が変態なんだ。いいな、戦う用意をしろ。敵はもういつ襲ってくるかわからないんだから。」

「へいへい、わかりやしたよ。」

四季は刀をぬき、いつも通り肩にかけ、立ち直した。利き手は使えずとも、変わるまい。

「貴様、格好つけすぎて気色悪いぞ。」

「てめえにだけはいわれたかねえよ。」

「ま、なんであれ。」

狐もふん、と鼻をならしてどや顔をして見せた。

「正義の味方の邪魔をしないように、頑張ってくれたまえ、四季くん。」

「うぜえ。まあ、でも、俺はいつでもここにいてやる。てめえの隣にはいてやるぜ。」

「死ぬなよ。」

「てめえこそ。」

 許さねえぞ、親父。

 許さねえぞ、妹。

 死んだりしたら、許さねえ。

 あの日の約束、忘れてねえよな?


 夜更け。満月。静寂。

「もう夜も遅い。そろそろ、寝ろ。」

陽炎が言った。

「おやすみ!父上!」

「おやすみなさい、父上。」

後に狐、四季と名乗るようになる双子は、そう言って布団に潜る。静かになったのを確認して、陽炎は二人が寝ている部屋の明かりを消した。定位置に戻ってわずかな月明かりを頼りに酒を注いでいると、すうすうと穏やかな寝息が耳に届いた。こんな風に出来るのはこの家にすむ者の特権だろう。質素という言葉がよく似合うこの家は一番近くの村からもすこし離れたところにあった。それ故にこの家に響くのはいつだって家族の音だ。世間と隔離されたこの環境は、身を隠しありふれた幸せを作り出すのにはちょうどよかった。

「なあ、水の月。今日は満月だぜ。」

彼女が亡くなってもう二ヶ月になる。いままでの苦労がたたったのだろう。彼女はほんのひととき夢を味わい、旅立っていった。

「あんなにおぼつかねえ足取りで歩いてたのに世、今じゃあもうすっかりあいつらも生意気なガキになったよな。おまけに、あいつはついこの間まで木の棒振ってたくせによ、今じゃあ一丁前に刀振ってんだぜ。ほんっとうに、子育てって大変だな。お前と……お前ともっとこの大変さを味わいたかったぜ。」

 平穏は、訪れた。たとえ仮初めであっても、神様は平等に平和を与えてくれた。水の月と、子供達と過ごした時間はとても楽しかった。家族といる間は、もう一人の自分のことも忘れることが出来ていた。とはいえ、もう一人の自分は完全に消えたわけではない。彼は自分で、自分は彼だ。

 人越しは、人殺しの血には逆らえない。

 人殺しは、人を殺さないと生きていくことは出来ない。

 そんなことはわかっている。そんなことは、わかっていた。

「来たか。」

陽炎は重い腰を開け、引き戸を開けた。立っていたのは、たぶん、幕府から派遣されてきたとおぼしき役人のような男。彼が本当に役人だったのか。それとも、そんな風に変装した誰かだったのかはわからない。陽炎はそれを確認する前に男を斬っていた。

 時は満ちたのだ。

 俺はもう、十分に幸せを味わった。未練なんて、ない。

 そんな風に見切りをつけたいのに、すべてを終わりにしてしまいたいのに、それが出来ない。いつの間にか自分は、未練にがんじがらめにされていたようだ。どれもこれも、何もかもが遅かった自分がいけないのだ。

 ふと、背後から殺意を感じた。

「あなたが、カゲロウさんかい?」

カゲロウの首に刀をつけた男はそう絡みつくような声で言った。

「ちげえ、ってそう言っても、どうせきく耳なんてもってねえんだろ。」

陽炎は何一つ動揺を見せなかった。

「なあ、俺にようなんだったら、もう少し静かに出来ないのか。さっきガキを寝かしつけたばっかなんだ。あんまり騒がれてあいつらが起きちまったら、俺の努力が水の泡になっちまうだろ。」

「ええ、いいですよ。勿論、あの童達が生きていたらの話ですが。」

陽炎はその言葉を鼻で笑った。的はこれを降参の意と判断したのかもしれないが、あながち間違ってもいない。どちらかと言えば自嘲の念の方が強いが。

「で、お前は何もんだ。目的は俺を殺すことか?」

「私のことをお忘れですか?まあ、いい。私は狐様の下についていたものです。あの方亡き後は、この私がお庭番衆の長をしています。」

 狐?

 ああそうだ。確かそんな奴もいたな。

 ちょうどいい。あいつに貸しを返して貰うのも悪くはないな。

「あなたが雲隠れしてくださったお陰で、我々はまた以前のように重宝していただけるようになりました。以前よりも仕事を貰えるし、なんと言ってもあなたを探すという大任まで仰せつかることが出来た。」

「そりゃあご苦労さん。じゃあ今日はその例でもこの俺に言いに来たのか?」

「そうだと思いますか?

男はくるしそうな声で言った。

「あなたはいいですよね。身勝手に姿をくらませてもなお、あの方に重宝され続けるだなんて。」

諜報?馬鹿らしい。

「俺もお前もなんも変わんねえよ。俺たちはただの、あの方の捨て駒なんだ。」

「そういうと思っていました。」

男は破棄してるようにそう言った。

「それで、お前の言いてえことはそれだけか?」

「いえ。上様からあなたに言付けが。『水の月は元気にしているか』と。」

陽炎は花魁だった頃の水の月の姿を思い出し、思わず笑みを浮かべた。

「あいつは、死んだよ。」

「そうですか。それは残念。ではそう伝えて起きますね。勿論私が。」

男の口はもうそれ以上は動かなかった。陽炎が首をはねたからである。

「生きていたらな。」

陽炎はそうつぶやいて、首から上がない男の死体を抱き上げた。

「こいつも結構腕の立つ忍びだったんだろうな。」

陽炎は月を見上げた。相も変わらず、月は夜空を照らしていた。

「刀を下ろせ。」

少年が、死体を前に刀を持って震えていた。その切っ先が向く先には肩から血を流し震える少女がいた。


 どかーん。

 爆音をたて天守閣の襖が外れた。

「よお。」

四季は中にいる男をにらみつけた。

「人殺し。」


「もういい。落ち着け。そいつも怖がってるだろ。」

「こいつらは誰だ。どうして、どうしてこいつがこんな」

「お前らは知らなくていい。」

陽炎は少年の言葉を遮るようにして言った。

「刀を下ろせって。泣いてる。」

少年はそう言われて初めて、少女の目から涙がこぼれていることに気がついたようだった。少年はすこし動揺を瞳に宿したが、刀を下ろすことはせず、そのまま切っ先を陽炎の方に向けた。

「ちち、うえ……。お兄ちゃんが、お兄ちゃんが!」

少女の悲痛な叫びが空虚に響いた。


「君も、人殺しだろ。」

死神はいうとうれしそうに笑って見せた。

「ねえ。」

死神は狐の方を見る。

「こんな人殺しを、君はまだ家族と言ってくれるのかい?」


「こいつを父と呼ぶな!」

少年が叫んだ。

「こいつは人殺しだ。お前を傷つけた奴の仲間だ。こいつは、悪い奴なんだ!」

「で、でも、お兄ちゃん。」

少女が肩を押さえてうつむいたとおもったその瞬間、彼女は目にもとまらぬ早さで兄に抱きついた。

「お兄ちゃん、刀を下ろして!」

「でも。」

「もうこれ以上。お兄ちゃんはそれを振っちゃだめ。そうしたらお兄ちゃんも、お兄ちゃんがまた、人殺しになっちゃう。そうなったら、私はどうしたらいいの?母様ももう、いないんだよ……。」

少年は母の面影が残る少女の顔を見てほんの少し、腕の力を弱めた。それでも彼は、刀を下ろせなかった。


「私は。」

狐はまっすぐ死神をみる。

「こいつも、貴様も、家族だと思う。」

その言葉に、死神は小さくため息をついた。

「殺しは、いけないことだ。人を殺すことによって成り立つ正義なんてあり得ないし、そんな者を私は正義とは言わせない。」

狐はチラリと四季を見上げた。

「それでも、そんなことをしている奴らでも、私は貴様らを家族と言わざるを得ない。たとえ父親が『正しい』父親じゃなくても、たとえ兄が『正しい』兄じゃなくても、私はそいつらを父と、兄と呼ばなくてはならない。家族というのはそういうどれだけ忘れようともにげられない、無意識につながれた足かせでもあるのだ。」

「そう。だったら。」

四季が動いたのは、もはや反射だった。状況を頭で理解できたのは、刀と刀が合わさる金属音を聞いた後のことだ。

「なっ。」

狐の頬から鮮血が流れた。死神の刀もうっすら朱に染まっている。

「やめろ。」

四季が低く、うめくような声で言った。

「今更まだそんなこと言うの?」

死神の刀と四季の刀がぎりぎりと音を立てる。

「ここに来たんならわかってると思っていたよ。僕も君たちも、ここで死ぬ運命なんだよ。そのくらいのことは覚悟してほしいね。」

「そんなことはとっくに俺はかくごしてらあ。」

「だったらなんで今やめろ、なんて言ったの?ああ、言わなくていい。僕にはわかるよ。君はこの子を利用しに来たんだ。かつて僕たちがこの子を殺さなかったから、君は僕が狐を殺さないとふんだ。だったらこの子を狙う時に心置きなく僕を狙えるもんね。我ながら、君が彼女に似てずる賢くてよかったと思うよ。」

「そんな訳あるか!」

隙を見て死神の背後に回っていた狐が足を振り上げた。死神はその足を、刀を持っていない方の手で受け止める。

「私がこいつを連れてきたんだ。こいつを私が利用したんだ!誰も死なないですむように!」

死神は狐の足をつかむ手に力を入れた。

「そのためには家族だって利用してやるさ。」

狐がそう言って笑った瞬間、四季が死神を斬った。といっても、四季の刀は死神には届かない。代わりに死神が四季を斬る。四季が崩れ落ちたのを見ると、今度は狐の首元に刀をあてがった。それでも狐は微動だにせず、まっすぐ死神の目を見る。死神の手は、動かない。

「あのときは言えなかった。でも今なら言える。」

狐は無邪気に笑って見せた。

「貴様が、父上が、たとえ人殺しだったとしても、父上は父上だよ。だから、帰っておいで。私たちの家に、帰っておいで。くるしいことも、悲しいことも、みんなで分け合っうのが家族なんだって、私は獣組のみんなから教えてもらったんだ。失敗しても、間違っても許してくれるのが家族だ。いつまでも待ってくれる人がいて、帰りたい場所がある。そんなことは別に、誰にだって平等に与えられていることなんだよ。」

そういう狐は水の月に似ているように見えた。それでも、彼女は水の月ではない。彼女は決して、水に映る虚像などではなかった。

「私たちが貴様の帰りを待っているぞ。」

「ったくよ。」

かすれた声で言ったのは四季だった。

「てめえは俺たちをどれだけ利用すれば、どれだけ俺たちに甘えれば気が済むんだ。」

『死神』と、そうよばれていた男が息をのんだ。


「俺は消える。すまない。」

陽炎ははっきりとそう言った。

「しなきゃならないことができたんだ。」

押さないながらにも何かを感じたのだろう。少女はまた素早い動きで父親の元へ向かい抱きついた。少年が引き留めようと伸ばした手は空をつかんだ。

「父上、いっちゃやだ。」

そう言って見上げる娘を一瞥すると、陽炎は適当に自分の着物の袖を破って止血をし、丁寧に手当をした。しかし、それが終わるとすぐに、何も言わずに少女を押しのけ、戸を開けて出て行こうとした。一歩外に踏み出したとき、視界の端がキラリと光った。陽炎は軽く息を吐くと、飛んできたそれを素手でつかんで止める。手のひらからしたたる血が刀を伝わり落ちる前に、その刀を投げ捨てていた。

「無駄だ。俺はもうここへは帰ってこない。怨むなら怨め。憎むなら憎め。忘れてえんなら忘れろ。」

この言葉の意味を、幼い二人がどれだけ理解していたかはわからない。それでも少年は走り出していた。落ちていた刀を拾い、父に向かって振り上げる。それでも、陽炎は軽くその刀をかわし、峰で息子を斬った。峰打ちではあるものの、少年はその場に倒れ込む。

「お前の刀は、俺には届かねえよ。」

陽炎は振り向かずに言った。

「生きるための刀を折れるのは、守るための刀だけだ。」

「く、そ……。」

少年が言う。

「だったら、いつか、てめえが、帰ってきやがったら。」

少年は言葉を切る。

「俺と殺りあえ。そんときは、ぜってえてめえに、勝ってやる。だからここに、帰ってこい。俺たちは、ずっとここで、待っててやるから。」

陽炎はもう笑うことしか出来なかった。

「父上、帰ってきてくれるの?」

少女はうれしそうに言ったが、黙ったままの陽炎に変わって答えたのは少年だった。

「帰って来る。」

その声は確信に満ちていた。

「だから、早く行けよ、くそ親父。俺たちを置き去りにしてとっとと行けばいいじゃねえか。」

投げやりなその言葉が陽炎の背中を押した。

「いってらっしゃい!」

少女は笑ってそう言った。


 どうしてだろ。

 死神が内心動揺しているのは確かだった。先ほどから、二人を斬ることがまったく出来ない。致命傷となるような傷を一切与えることが出来ないまま攻撃が続いている。

どうしよう。

このままでは殺し合えないではないか。

 死神は四季に刀を振り下ろした。しかし、その刀は四季を斬るどころかかすることもなく畳に刺さる。四季は、笑っていた、いつも通りの余裕そうな笑顔を浮かべて、人を殺せないような安易な刀ばかりを振っている。狐もまたたいした攻撃力もない技を繰り出していた。向けられるのは殺気どころか憎しみや悲しみもない攻撃ばかり。

 僕は何をしているんだろう。

 僕は何がしたいんだっけ。

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